初恋は桜の中で
マイ・ラヴ・エンジェル1


 二日間の共同合宿も終わり。桜架達、天文部は帰路についていた。
 聖祈は帰り際、相手方の女性部員に囲まれ何時ものように自由な羽根を舞わせていた。それは普段と何ら変わらない風景。聖祈は『本命との恋』が叶っても、その本質を変える気はないらしい。

「聖祈くん、良かったね。プレゼントいっぱい貰えて」
「あれ? もしかして、ハルちゃん怒ってる。ぁ、そうか、嫉妬しちゃったんだね。カッワイイな〜」

 鮮やかな花束。手作りのお菓子。未来を期待したメールアドレス。可愛らしい少女達から贈られた真心が、紙袋から溢れ返っている。
 同年代の男子から見れば非常に羨ましい状況。それを聖祈は有り触れた日常のように対応していた。そう、モデルの仕事をしている聖祈にとって『女の子からのプレゼント攻撃』等、有り触れた当たり前の日常に過ぎないのだ。

「はは。まさか」

 桜架はニコリと微笑み。期待に満ちた聖祈の言葉を跳ね返した。
 聖祈は桜架との関係を隠す気がないようで、人前でも開け広げな愛を叫んで来る。けれどその態度は、以前とそう大差のないものだ。
 だから聖祈の愛歌を聴いても、桜子は驚かなかった。親しい友人同士がじゃれて、言っているだけ。桜架の可愛い妹はそう思ったのだろう。正直、桜架は桜子からの軽蔑を恐れている。聖祈との関係を“気持ち悪い”と言われたら、立ち直れない。

『ぷるるるる』

 夏休み真っ只中の駅は混んでいる。大きなリュックを背負った小学生の集団。旅行に出かける家族。暑い夏の中でも、スーツをカチリと着込んだサラリーマン。様々な人間が行きかい、雑音が混ざり合っている。
 そんな空間に、短い音が鳴った。桜架が視線を向ければ、一夜がスラックスのポケットからケータイ電話を取り出していた。

「はい、今着きました。……え? ……ぁ、いえ、俺が行きます……はい……それでは――」

 電話を掛けてきた相手を確認し、一夜は素早く通話ボタンを押した。心做しか、その声音は弾んで聞こえる。名前は出ずとも、その相手が誰なのか分かってしまう。

「あの、俺。“迎えが来ている”ので、先に失礼してもいいでしょうか?」
「うん、いいよ。もう、解散するだけだから」
「ありがとうございます」

 通話を終えた一夜は天文部の部長である桜架に向き直り、確認を取る。その態度は控えめで、初々しい。
 桜架はほわほわと温かい陽だまりのような微笑を浮かべ、後輩の背中を送り出した。一夜は「お世話になりました」と、丁寧に頭を下げ。小走りに駅の出口へと向かって行く。一夜の薄い背中はひとの波に飲み込まれ、直にその姿を視線の先から消した。

「あれ絶対、椿姫だよね」
「だろうね」

 聖祈は桜架の肩に腕を回し、ヒソヒソ話をする。桜架も同じ人物を思い浮かべていたので、それに同意を返した。

「ねぇ。ボク達も、デートしようか」
「え?」

 聖祈は一夜達に感化されたとでも言いたげに、ハート付きのウィンクを贈ってきた。今までの桜架なら、それを無慈悲に送り返していただろう。
 けれど今日の桜架は、聖祈からの誘いを喜んで受け入れる事にした。



 ◆◆◆



「ハルちゃんって、スイーツ好きなの?」
「え? 普通だよ」
「普通の男子高校生はケーキを三つも頼まないよ」
「いやだな、聖祈くん。ケーキとタルトとパイは別物だよ」

 テーブルの上には濃厚なチーズケーキ、季節のフルーツがたっぷりと乗ったタルト、そして本日のオススメチェリーパイが並んでいる。それはすべて別のお菓子だ。桜架には、聖祈の疑問の方が分からない。
 大体にしてスイーツの種類が豊富なカフェに誘ったのは、聖祈の方ではないか。何を自分だけ、涼しげなカキ氷を頬張っているのだろう。それだから、頭がキーンと痛くなってしまうのだ。

「聖祈くんは面白いね」
「痛みに耐えるボクを楽しむなんて、やっぱりハルちゃんは“S”だよ」

 聖祈は頭を押さえ、カキ氷頭痛を訴えている。それでも軽口は止まらないようで、ペラペラと唇を動かしていた。
 天文部の合宿から、空けて一日。桜架の中で、聖祈と付き合っているという実感は未だ薄い。
 けれど、聖祈を見ていると色々と面白いと思う。それが聖祈の語る性癖ではない事を願いつつ、桜架は『ボクを食べて』と、美味しそうに誘惑してくるチェリーパイを口に運んだ。

「“チェリー”パイとか、挑発にしか見えない」

 直様聖祈が、意味深な台詞をのたまう。勿論、桜架に他意などありはしない。

「気のせいだよ」
「ア八ッ。意味は分かるんだね」

 桜架のそっけない切り返しに、聖祈はニヤニヤと笑んだ。どうやら桜架は、聖祈の罠に引っかかってしまったようだ。

「ボクも食べたいな桜架のチェリーパイ」

 聖祈は声のトーンを色っぽく落とし、桜架の空色を見据える。その意図に思い当たる部分はあれど、桜架は素知らぬ言葉を吐いた。

「はい、いいよ」

 桜架は“聖祈ご所望の”チェリーパイを一口サイズに切り分け、餌をよこぜと吼える肉食獣の口元に突き出した。

「ハルちゃんのいけず」
「食べないの?」
「食べるよ」

 聖祈は拗ねたように口を曲げ、チェリーパイに齧り付いた。刺していた銀色のフォークまで聖祈の口内に吸い込まれ、周囲から黄色い悲鳴が上がる。
 桜架の差し出した菓子を頬張る聖祈の図。それは世間一般的な目から見れば『はい、あ〜ん』と言う、恋人同士の甘いやり取り。どうやら桜架は、婦女子を盛り上げる話題を提供してしまったらしい。

「ぁ、」
「どうした?」

 桜架の後から、カタンと小さな音が鳴り。動揺を感じ取った声音が後を追った。

「な、なんでもありま」
「アレ〜。ウサギちゃんじゃなーい」
「!」

 桜架よりも先にその音の正体に気づいた聖祈がハートを飛ばし、親しげに手を振る。
 視線を向ければ、一夜が動揺に固まっていた。桜架と聖祈のやり取りを目撃してしまったようだ。

「天羽先輩……それに、桜架先輩」

 一夜の後から、美しい少年が顔を覗かせた。椿だ。椿は桜架と聖祈のアレコレを目撃していなかったようで、一夜の様子に疑問府を浮かべていた。

「店、変えようか?」
「ぁ、」
「待って、椿くん」

 椿は一夜の手を引いて、カフェを出て行こうとする。人間関係の複雑さを考えて、空気を読んだのだろう。
 桜架は席を立ち上がり、その脚を引き止めた。



「――は? 僕の一夜を振っておいて、その軽薄男と付き合ってる?」
「うん……まぁ」

 桜架の話を聞いた椿の眉が不機嫌に歪む。
 桜架は一夜と椿を同席に招き、聖祈との関係を打明けていた。態態言うべき事でもないと思ったのだけれど、椿との関係がギクシャクしてしまうのは心惜しい。

「え? ちょっと何その話、ボク聞いてないよ!?」
「黙っていろ、色魔。僕達は真剣な話をしている」
「聖祈くん、静かにしててね」
「……はい」

 事情を知らない聖祈が、驚きに騒ぐ。
 けれど冷気を宿した椿の眼力と、にこりと微笑む桜架の微笑みに押さえられ、聖祈の口に鍵が掛けられる。自由自在に舞う聖祈の軽い唇も、場の空気に圧倒される事があるようだ。

「……」

 元より寡黙な一夜は口を真一文字に噤み。桜架と聖祈の顔を交互に見詰めている。意外な組み合わせに、驚きを深めているのだろう。

「だから、横恋慕の心配はない。そう言いたいのですか?」

 椿の冷気に反応するように、水に浮かぶ氷がカラリと音を立てた。
 椿の纏う雰囲気は夏の暑さを感じさせないほどに冷涼としている。一夜はそれに魅了されているけれど。桜架はそのオーラに負け、思わず身を引いてしまった。陽に透けるレモン・ブロンドが乳白色の壁と抱擁を交わす。
 椿が年下だと理解はしていても、桜架の背筋は冷や汗を流してしまう。一夜はよく整然と隣に座っていられるものだ。

「それもあるけど、椿くんとも仲良くなりたいかなって」
「貴方から見れば、横から掠め取ったのは僕の方だ。それでも?」

 桜架は気をしき締め直し、氷の女王の如き吹雪を降らせる少年に挑む。少しでも恐れを抱いたら、骨の髄まで氷らされてしまいそうだ。

「そう、だ……ぁ、いや。ぼくは、断っているし」
「でも、意識していましたよね。断るんじゃなかった、と。後悔していたのではありませんか」

 桜架は両手をブンブンと振り、言いかけた台詞を飲み込む。けれど椿の追求は容赦なく、厳しかった。
 喉が詰まり、視線が泳ぐ。椿の降らせる氷の矢に、桜架の胸は穴だらけだ。

「僕が目障りなら、そう言えばいい」

 そんな憎悪には慣れている、と。椿の瞳が悲しみを宿す。桜架はその瞳の色に既視感を覚えた。以前、同じ色を宿した人間に会った気がする。

「――ごめんなさい」

 冷たい氷華の降る世界に、静かな音が響いた。

「俺が、悪いんです」
「一夜……ッ」

 一夜が椿の瞳を見詰め、悲しみを癒すように真白な掌をギュッと握った。椿がそれに息を飲み、氷河期は終わりを告げる。

「俺が……椿の感情に、気付かずに、行動したのが悪いんです」

 一夜は過去の行いを叱咤し、桜架にも迷惑を掛けたと頭を下げた。告白を断られた人間が謝るとは、なんと珍しい状況だろうか。
 浮気をした訳でもない、発展さえしなかった淡い感情なのに。一夜は心からの謝罪を言葉にする。椿を悲しませてしまった、自分自信が許せないのだろう。

「君が謝る必要はない。僕が、醜い嫉妬心を燃やしてしまったから……!」
「椿」

 椿が首を横に振り、一夜の掌を握り返した。冷涼な空間は和らぎ、花蜜が溶けたように甘く蕩けだす。
 横をチラリと窺えば、聖祈がニヤニヤと笑んでいる。一夜を前にした椿の雰囲気の違いに、桜架だけが置いてけぼりを食っている状況だ。桜架は椿の事を、もっと冷静でストイックな少年だと思っていたのに。

「桜架先輩」
「な、なにかな?」

 椿は一夜から視線を外し、桜架に向き直った。その繊細な美貌に、思わず心臓がドキリと音を立てる。
 椿の瞳は心を映す鏡のように、桜架の本音を見抜いてしまう。だから少しだけ、怖いのだ。

「一夜の事を“可愛い”と、思っていますね」
「うん。でもそれは、後輩としてだよ?」

 桜架は椿の質問に、正直に応えた。一夜に抱いている感情を隠す必要もないし、未練もない。桜架はもう、自分の一番星を見つけているのだから。

「そうですか。それなら、よかった」

 椿は桜架の感情を確かめ、安堵の表情を浮かべた。それは横恋慕の心配が取り除かれた事よりも、一夜に好い感情が示された事に喜んでいるような表情だった。

「“ぼくはただ、一緒にいたかった”」
「ぇ……?」

 不意に、椿の唇が音を生んだ。それは脈絡の無い独り言ではなく、桜架の心に届けるような純粋な音色。

「――やっぱり、覚えてなかった」

 椿は桜架の反応に予想通りだ、と言い。席を立った。隣に座っていた一夜もそれに倣い、席を立つ。

「、……椿」

 一夜が不安そうに椿の名前を呼ぶ。桜架に投げた言葉の意味を知りたいのだろう。

「ああ。後で、教えてあげる」

 椿は一夜の思考を読み取ったように、漆黒をサラリと撫で。「僕の心は君のものだから、安心しろ」と、愛しい少年に囁いた。




「もしかして、一夜くんに嫉妬されてた?」
「ああ、意味深な台詞だったもんね。てか、ボクも意味知りたいんだけど」

 カフェを出て行く二つの背中を見送りながら、桜架は肩の力を抜いた。椿を前にすると妙に緊張してしまう。
 何と言うか、纏っているオーラが一般人のそれを超越しているのだ。流石は芸能一家の末っ子。将来が末恐ろしい。

「聖祈くんも、嫉妬した?」
「そうだって言ったら、チューしてくれる」

 桜架の冗談に、聖祈が食い付いた。長い小麦色の指が唇をなぞり、挑発的な視線を向けられる。

「まぁ、しないけどね」
「え〜? なんでー」



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あきゅろす。
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