初恋は桜の中で
星に願いを5
「フッフフフフフフ」
「そんなに可笑しい?」
聖祈は目に涙を溜め、腹の底から込み上げる感情に身を委ねている。
桜架は布団から起き上がり、その様子を眼下に見詰めた。聖祈が“チャームポイント”と語っていた、長い下睫毛が雫を吸っている。
「そうだね。こういう時は、逃げるか、そのまま身を委ねるひとが多いかな。友情を引き合いに出されたのは、初めてだよ」
聖祈も起き上がり、隣に寝ている一夜に視線を向けた。一夜は聖祈の笑い声に気づかず、スゥスゥと静かな寝息を立て続けている。
「ちなみにウサギちゃんには逃げられて、後で椿姫に怒られちゃった。いやー、あの冷たい瞳に氷らせられるかと思ったよ」
「聖祈くん、一夜くんにも何かやったの?」
「え? ちょっと“成長具合”を確かめようと、軽く視か――八ッ!」
「へぇ」
ペラペラと口を滑らかに動かしていた聖祈の喉が詰まる。桜架の背後から立ち上る“黒いオーラ”に気づいたのだ。
◆◆◆
「ハルちゃん、まだ怒ってるの?」
黒曜石に染められた夜空が世界の果てまでも続いている。空により近い建物の屋上に昇り、天体望遠鏡を設置した。
流星群のピークには未だ少し早い時間だけれど、煌く星達は流れ始めている。夏の夜空を彩るペルセウス座流星群。十二月のふたご座流星群、一月のしぶんぎ座流星群、と並ぶ年間三大流星群の一つ。夜空からの素敵な贈り物。
「なんで? 聖祈くんが“そっち方面”に奔放なのは、知ってるし。一夜くんに迫ったのはどうかと思うけど、椿くんから怒られたのなら、“ぼく”が今更お説教する必要もないよね」
桜架は早口でそう言い、聖祈の追求を吹っ切った。
楽しみにしていた流星群。宇宙から降り注ぐ、永遠とも思える一瞬の輝き。それを聖祈の悪戯くらいで腹を立てていたら、堪能など出来はしない。
「ねぇ。卯月くんは、お願い事決めた?」
「はい」
頭上には満天の星空が広がっている。一晩中灯りの絶えない都会ではけして見えない天の川(ミルキー・ウェイ)。眼前に落ちて来そうな星屑。各々の視線が遠き宇宙に縫い付けられ、感動を口にする。
桜子は天体望遠鏡を覗き込み、隣に立つ一夜に話題を振っている。一夜と桜子、共通の友人を持つ一年生組の関係は良好のようだ――と言っても、そこに男女の匂いは存在しない。一夜が桜子の――他人の前でその無表情を崩す瞬間は必ず、美しい花の名前が咲いている時だからだ。
「雪白くんの事?」
「そう、ですね」
涼やかな夏の夜風が漆黒を揺らす。心に一輪の艶やかな花を咲かせ、一夜の頬は愛情に染められる。
天空に無数の光が流れ、流星が雨のように降り出す。夜空の饗宴が始まったのだ。
「雪白くんね、昔は本当に“入っていけない”感じがしたのよ」
桜子は一夜と天体望遠鏡の順番を変わり、流れる流星に視線を向けた。
桜子は一夜の知らない椿の記憶を持っている。だてに同じ小学校で幼少期を過ごしていた訳ではない。
「葉月くんが毎日、誘いに来ていたけれど――結局頷かなくて。最後は何時も、葉月くんと朝霧くんとで遊びに行っていたわ」
桜子は遠き日々の思い出に頬を綻ばせる。可憐な少女の頭上では、星が煌き流れていた。
「でも、卯月くんとは距離感零なんだもの。驚いちゃった」
「――椿は、」
桜子の柔らかな声音を横に聞きながら、一夜の瞳は流れる星屑を映している。無数の流れ星に、遠い空の下にいる美しい少年の幸せを願っているのだろう。
「ウサギちゃ〜ん。ハルちゃんにフラれて傷心なボクを、癒・し・て」
「ッ!」
一夜の薄い背中に、重い影が伸し掛かる。スリスリと身体を擦り寄せる青年に、一夜の顔色が見る見るうちに青く染まった。
桜架の真なる怒りに隣を追い出された聖祈が、ユラユラと流れて来たのだ。
「天羽先輩。卯月くん、震えてますよ?」
「え! 快楽の波に?」
「違います」
一夜は重い鎖のように身体に巻きつく青年の腕を解き、聖祈との距離を開ける。セクハラされ続けて、早一ヶ月と少し。一夜の聖祈に対する苦手意識は、順調に成長し続けていた。
実年齢よりも幼く見える一夜に対し、聖祈の外見は実年齢よりも育っている。13cmという身長差もあるけれど、その対比は大人と子供のようだ。
「アハッ。もしかして“他の男の匂い”を付けて帰ったら、椿姫に怒られちゃうのかな」
聖祈は萎れていた背を立たせ、楽しそうに羽根を舞わせた。聖祈は自分の感情を瞬時のうちに“楽”へと導けるのだ。
小麦色の胸元も露に洋服を乱している聖祈の肌はムスク系の香水を纏い。男の色気を惜しげもなくばら撒いている。その空気が苦手な者は、無意識に避けてしまいたくなるのだろう。
「俺が、嫌なだけです」
「ぇえ!? ボク、ウサギちゃんに嫌われてるの? 超ショック!」
「ぁ、違が……聖祈先輩の事ではなくて、」
聖祈は大袈裟に落ち込んだ態度を作り、アリス・ブルーの瞳に涙を浮かべて見せた。誰が見ても演技だと思える仕種。それに一夜は、焦りを見せる。聖祈の心を傷つけたと思ったようだ。
「ああ、そうなの。なら良かった。ボクじゃないなら、浮気の方?」
「……」
聖祈はサラリと何時もの調子を取り戻し、一夜の感情をサラリと問う。それに一夜は黙って頷いた。
「自分の好きなひとに、他にも“沢山の相手”がいるのは、嫌です」
一夜は遠い過去を思い出すように瞳の色を暗く落とす。その声音は哀愁を含み。聖祈の瞳に、一夜の抱える孤独の一欠片を垣間見せた。
「そう、辛い恋を経験していたんだね。さぁ、ボクの胸でお泣き。可哀想なウサギちゃん」
「いえ。父親の話です」
聖祈の脳内に、恋人の浮気に悩む一夜の姿が浮かび、その両手を大きく広げた。自分がその悲しみを癒してあげる。そう語る聖祈に、一夜の真実が返された。
「俺は“今のひと”としか、付き合った事ないですから」
「ああ。一途だもんね、椿姫。そこが良いんだ」
「はい。大好きです」
「ぅわ、直球素直。キミはクーデレに成長しそうだね」
「?」
聖祈は恋に溺れた後輩から、流星の流れる夜空に視線を向けた。幾千もの光が生まれ、一瞬のうちに消えて無くなる。それは聖祈の想い人が好きな景色。愛している宇宙の輝き。
「――やっぱり、誰でも軽薄なのは嫌なのかな」
聖祈は光の筋をアリス・ブルーの中に閉じ込め、流れる星粒に一つの願い事を囁いた。
◆◆◆
「やっぱり、街の灯りが無い所では、星の輝きが違いますね」
「まぁ、その分。遊ぶ場所はないけどな」
一方。桜架は相手方の部長と天文話で盛り上がっていた。ギスギスと逆立っていた感情が満天の星空に癒されてゆく。
部員達は思い思い親しい相手と夜空の饗宴を楽しんでいる。流星群観測に格好を付けて、桜子を口説こうとする不埒な輩が現れるやも。そんな心配をしていたけれど、今のところその気配はない。一夜の存在が壁の役目を果たしているようだ。
一夜の容姿は未だ幼さを残しているけれど、その目鼻立ちは整っている。漏れ聞いた女性部員の感想では『三年後に会いたい』と、謳われていた。
「お話中、すいません。ハル――うちの部長、借りてもいいですか?」
「ぇ?」
突然、桜架の身体が風に攫われる。一夜とじゃれ合っていた聖祈が、桜架の元に舞戻り。その腕を掴んで歩き出したのだ。
「ちょ、聖祈くん。どうしたの?」
宝石を散りばめたような星屑世界の中を二つの大きな影が横切る。
桜架は戸惑っていた。聖祈の行動は何時も唐突で、心臓に悪い。飄々としている癖に、その純粋な恋心を受け取って欲しい、と。桜架に惜しげもなく注いでくるのだ。けして涸れない泉のように、聖祈の愛は桜架へと溢れ続けている。
「ん〜? ハルちゃんと、二人っきりになりたかったから」
「ぼくは、君の告白を断っているんだよ?」
「だから迷惑? それなら、もうやめるよ」
そう言って聖祈は、色気を含んだ瞳に桜架の姿を閉じ込める。桜架の愛が欲しい、と。激しく求めているのだ。
桜架は聖祈の事が分からない。どうして、諦めてくれないのだろう。どうして、桜架の心の中にスルリと入って来るのだろう。
(どうして、ぼくは――)
聖祈は桃香のように優しい女性でも、一夜のように初々しく可愛らしい少年でもない。何所からどう見ても、立派な男性――それも年頃の女の子が挙って熱を上げる、色男だ。
それなのに、どうして。この心臓は動いてしまうのだろう。桜架は、自分で自分の感情が分からない。
一度断ってしまった聖祈の感情に、期待を抱いてしまう。それは桜架だけの宝物だ、と。他の人間へと向けているソレは、残像でしかないのだ、と。願ってしまうのだ。
「――……迷惑だって言ったら、聖祈くんはどうする?」
「そうだね、流石のボクも諦めちゃうかな?」
嗚呼、星が消える。今、手を伸ばさなければ。一際大きく輝く一番星が消えてしまう。
「キミを困らせたい訳じゃないし、諦めの悪い男と嫌われるものイヤだしね」
聖祈は掴んでいた腕を放し、寂しそうに眉を潜めた。これは聖祈にとっても、最後の希望なのだろう。桜架の応えが、以前と変わらないのならば――
「迷惑じゃ、ないよ」
春の陽だまりのようにあたたかく柔らかな唇が、確かな感情を聖祈へと伝える。桜架の瞳は雨のように流れる星屑よりも、聖祈のアリス・ブルーを魅惑的に映し出す。
これが聖祈の最後の賭けならば、桜架もそれに真意を見せよう。
「君が未だ、ぼくを好きだと言ってくれるのなら――迷惑じゃない」
自由奔放に舞うその羽根には、困ってしまうけれど。桜架が聖祈の事を、本気で迷惑な存在だと思った事はないのだ。
「いいの? そんな思わせぶりな台詞を言うと、勘違いしちゃうよ」
「それは、困るね」
聖祈の長く艶かしい指先が、桜架の唇をなぞる。その可愛い唇を奪ってしまうぞ、と。伝えるように。
「本気にして貰わないと。聖祈くんの事――“嫌い”って言うよ」
「うわぁ。それはボクも困るな」
桜架は底を見せない心根を確かめるように、聖祈の左胸に掌を重ねた。高鳴る胸の鼓動が心地の好い旋律を刻んでいる。
無数の光線が真黒な空を流れ、消えて無くなる。流れ星に何度願っても、桜架の願いが叶った事はない。失った愛は永遠に失われたまま、夜空を飾る星々に姿を変えた。
「――好きだよ、桜架。今すぐキスしたい」
「ぁ、それは駄目」
長い下睫毛が眼前に迫り、桜架は老若男女を酔わせる唇を人差し指の腹で制した。獲物を取り上げられた肉食獣が話が違うと訴える。
「なんで? ボク達もう両想いでしょ。今この瞬間からラヴラヴラヴァーな関係じゃないの!?」
「あのね聖祈くん、ぼくは“軽いお付き合い”とか、出来ないから……直にそういう行為は出来ません」
「ぇえ!? この若く弾けた肉体は準備万端なのに? ハルちゃんの鬼。思春期の情熱が迷子になっちゃうよ!」
聖祈は自分自身の身体を抱き締め、悲痛な叫びを上げた。
「天国からの放置状態、こんなプレイは初めてだよ。ハルちゃん、意外に“S”だね」
けれど落ち込んだのも、一瞬。聖祈はそのまま頬を蒸気させ、クネクネと身を捩った。桜架にそんな意図は欠片もないのだけれど。
「アア……! 今夜は生殺しに身悶える“ボクの状態”を楽しみながら、ハルちゃんが自分自身を――――ウェフフフフフ。想像しただけで、若い情熱が弾けそうだよ」
「絶対しないから、やめてね」
聖祈は目を閉じ、妄想の世界に翼を羽ばたかせた。恐らくその脳内では、桜架があられもない醜態を晒しているのだろう。
興奮状態を隠さない激しい息遣い。聖祈の妄想内容を教えているようなそれに、桜架の脳は早くも後悔の二文字を浮かばせそうになる。
「本当に君は、困ったひとだよ――聖祈くん」
願いを叶える流星の雨が青年の元へと降り続ける。それは遠い空から贈られた祝福のシャワー。
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