初恋は桜の中で
星に願いを4
「今回の共同合宿に快いお返事、ありがとうございます。天文部、四名。お世話になります」
「いや。こっちこそ、よろしく頼むよ」
部長の桜架が部員を代表し、挨拶を述べる。
目の前に居るのは他校の生徒。人数は十名ほど。彼等は、桜架達が名を連ねている学園と昔から交流の有る姉妹校の天文部員。今回の合宿は、彼等と共同で行われている。桜架に挨拶を返したのは、相手方の部長だ。
「キャー! むこうの部長、格好良い」
「ハーフかな? 金髪碧眼。初めて見た〜」
爽やかな夏風が梢を揺らし、複数の溜息が漏れる。
桜架達の所属する天文部の人気は今一。それどころか、存在を知らない生徒もいる。けれど、この天文部の人気は上々のようで。男女比率も偏りの無い5対5。その五人――女性部員の視線が、桜架に熱く注がれていた。
「おしい。ハルちゃんは、クオーターだよ。キュートなレディ達」
「ちょ、重いよ。聖祈くん」
女性部員のヒソヒソ話を耳に入れた聖祈が、桜架の背中に伸し掛かり。相手方にフェロモンたっぷりのウィンクを贈った。
「きぁああ! 蕩けちゃう」
「きゃ! もしかして、天羽聖じゃない」
「え! あの、モデルの?」
桜架の存在に頬を紅葉させていた女性達が、今度は聖祈の登場に色めき立つ。顔面偏差値の高い青年達に、相手方の女性部員は皆一様に気分を高揚させている。
桜子が逃げ、一夜を怯えさせていた聖祈のフェロモンが漸く真の効果を発揮したのだ。
「君、可愛いね。恋人いるの? 立候補していい」
「ぇ!? お、お兄ちゃん……どうしよう」
「“お兄ちゃん”だって、マジ萌える!」
そして残りの五人。男性部員は、桜子の周りに群がっていた。六人いる女性。桜子はその中でも群を抜いて可愛らしい。目新しさも有るのだろうけれど、彼等は桜子の存在に興味津々だ。
桜架はこの状況に、危機感を感じる。桜子の瞳が兄――桜架に助けを求めていたのだ。
「ごめんね。この子はそういうの得意じゃないから、あんまり困らせないでくれる?」
桜架は聖祈の体重を押しのけ、男性陣に割って入る。それは可愛い妹を飢えた狼達から守る兄の姿。
桜架は桜子を自分の影に隠し、狼達に釘を刺す。
「もしかして、部長さんが彼女の恋人なんですか?」
「いえ、兄なんです」
桜架の行動を見た女性達は、残念そうな表情を浮かばせる。桜架と桜子が恋仲だと勘違いしたようだ。
桜架はそれにやんわりと首を振り、訂正を促す。桜架と桜子の容姿は、似ていない、と。いう事はなかったのだけれど、何故だか恋人だと思われる確率が高いのだ。
「……」
モテモテの天文部一同。その中で一夜だけが、人の輪から取り残されていた。
「えッ!? 関係ない中学生かと思ってた」
「マジ同級生かよ! 弟みてー」
「……」
一通りの自己紹介も終わり。桜架達、天文部員は大部屋に通されていた。
今回の合宿は相手方の学園施設を利用させて貰っている。二十畳ほどの宿泊部屋。扉には『男子部屋』と、張り紙が張って有った。
当然ながら女性部員とは別室、別階だ。
「嗚呼! こんな、密室に年頃の男が8人。何かの間違いが起こってもおかしくないよね!」
「聖祈くん、自分の発言のおかしさに気づいてる?」
聖祈は部屋の中を見渡し、興奮を語っている。女性部員と同室なら兎も角。聖祈は男だらけの空間に“ナニ”を期待しているのだろう。
桜架には、聖祈の頭の中が理解出来ない。そもそも、この部屋は密室でも何でもない。普通の和室だ。
「ああ、そうだよね。ウサギちゃーん!」
「――はい」
聖祈は何かに気づいたように、一夜を手招きする。
一夜は相手方の一年生に囲まれ、成長速度を比較されていた。幼く見える外見。一夜は同級生の中でも、何歳が下に見える。弟のような可愛らしさだ。
「今夜の“過ち”は、椿姫にシークレットでお願いね」
「?」
ボクが怒られちゃうから、と。聖祈は人差し指を自分の唇に乗せ、シーと息を吹いた。一夜は意図が分からない、と。疑問府を浮かべている。
「流星群の観察以外に、何か有りましたか?」
「いや、大丈夫だよ。聖祈くんは、何時ものアレだから」
一夜は部長である桜架に、確認を取った。自分の方が、重要な予定を忘れていると思ったのだろう。
しかし当然、聖祈が期待していような予定など有りはしない。桜架は一夜に綿毛のような柔らかい微笑みを向け、聖祈に心の底から呆れた溜息を吐いた。
「なんか、ハルちゃんもウサギちゃんに優しいよね。ボク、妬けちゃうな」
「ッ!」
「……」
聖祈の何気ない一言に、桜架の心臓がギクリと音を立てる。一夜を盗み見れば、普段と変わらない無表情。
桜架への告白など記憶の奥底に沈めてしまったように、もしもの期待さえも浮かばせてくれない。
(ああ。もう本当に、君は彼の事しか見ていないんだね)
桜架はこの一ヶ月間、タラタラと未練を引きずっていた感情を吹っ切った。
一夜はもう、椿以外の人間を愛する気などないのだろう。それくらい、桜架にも分かる。ならばキッパリと、次に気持ちを切り換えよう。
桜架がそう思えたのは、冬乃の存在が少なからず影響している。冬乃が夏陽に出していた信号。桜架も、自分に向けられている信号に気付く時が近付いているのだ。
「それは――聖祈くんが、おかしな事ばかり言うからでしょ」
「え〜? ボクは何時でも本気なのに」
「本気で一夜くんの事、口説いてるんだ……」
「ぁ、それは心の潤いに。本気なのは、ハルちゃんへのラヴコールだよ」
何時もと変わらない聖祈の軽口。その中に含まれている確かな真実に、桜架の心臓が不意に音を立てた。
淡い感情に決別を決めた瞬間から、なんて浮かれた心臓だろうか。
「もう、いいから。布団の準備始めよ」
「え!? こんな日の高いうちから、ハルちゃん大胆」
桜架は聖祈とのじゃれ合いに手を叩き。押入れに向かった。
今夜は一晩中、流星群から目を離せない。だから日の高い間に睡眠を取り、夜に眠ってしまわないようにするのだ。
妙な期待にアリス・ブルーの瞳を輝かせている聖祈以外の人間は、もうその準備に取り掛かっている。率先して行動しなければならない立場なのに、少し出遅れてしまった。
「眠れねー」
「誰か子守唄歌ってー」
「あー。女子部屋きになるー」
「桜子ちゃん、可愛かったよな」
「お前等、客人の前で煩いぞ」
「いいじゃないですか、部長」
「そうスッよ。あんな美少女、中々いませんよ」
「まぁ。確かにな」
厚手の遮光カーテンが閉められた和室は、薄暗い闇に包まれ。壁を隔てた外界の光を隠している。
けれど騒ぎたい盛りの少年達はその静寂に耐え切れない、と。誰からともなく口を開き、音を生み出していた。
「……」
桜架は手招きをしている睡魔に待ったをかけ、神経を研ぎ澄ました。
疑う訳ではないけれど、可愛い妹を不健全な男子トークの餌食にされては堪ったものではない。
「ハルちゃんは、優しいお兄ちゃんだね」
青い畳みの上に八組の布団が並んでいる。部屋の東側と西側にそれぞれ四人。桜架の左隣には、一夜が静かに目を瞑り。そして右隣には、聖祈がゴロンと横になっていた。
聖祈は数分前『ボクの寝衣はシャネルの5番さ』と、のたまっていた。それを言い竦め、ジャージを着せたのは桜架だ。けれど聖祈は布団に潜ると同時に上着を脱ぎ捨て、現在では上半身裸の状態になっている。
「普通だよ。ぼくは」
桜架は聖祈に応えながら、けれど耳は飛び交う単語に注意を払っている。下世話な話題には発展していないけれど、それでも兄としては気が気でない。
「でも、ボクはキミのそういうところが大好きだよ」
「っ……!」
純銀製の十字架(クロス)が、小麦色の胸元を飾っている。聖祈のシルバー・アクセサリー好きは相変わらずで、今日もジャラジャラと身に付けていた。
今は寝るのに邪魔な指輪やブレスレットを取り外し、枕元に置いているけれど。そのクロスだけは外さなかったようだ。
桜架はそれに見覚えがある。それは聖祈が桜架に告白をした日に身に付けていたクロス。聖祈は失恋の記憶を呼び覚ますそれを、気に入っているのだろうか。
(やっぱり、聖祈くんの事は、よく分からない……や……)
火照る頬の熱を意識しながら、桜架は瞼を閉じた。
盛り上がっていた少年達の男子トークも徐々に途切れ。桜架を巧みに誘う睡魔の誘惑を止める者は誰もいない。
◆◆◆
『桜は嫌い。直に消えてしまうから』
暗い静寂の世界に、雪のような桜の花弁が光り舞っている。
それは桜架の夢。幼い頃の――記憶の奥底に沈めた。儚い夢の残像。
『でも君は、何時も桜を見ているね』
桜架は夢の中で、幼い姿になっていた。両親を亡くし、悲しみを抱えていた頃の姿に戻っていたのだ。
その世界は夜の闇を敷き詰めたように暗く、大きな桜の大樹が静かに泣いている。
『――貴方はこの世界が、煩わしいと思いますか』
凛と透き通る声音の持主。それは桜架以外の存在。小さな、小さな、桜架よりも小さな“女の子”。
その顔は前髪の影に隠れて、表情を窺う事は困難だ。けれどその“少女”は、桜架の心の内側を探るような音を紡いでいる。
桜架は一歩、身を引いた。見えない筈のその瞳に、心をすべて見透かされているようで。微かな恐怖心を感じてしまったのだ。
『ねぇ。春風さんの、“お義兄さん”』
嗚呼、君は誰だったのか。
自分はその問いかけに、何と応えたのか。
それを記憶の奥底に沈めてしまった桜架は、思い出す事が出来ない。
「――……椿」
静かな音色に呼び戻されるように夢の世界が白み、終わりを告げた。
「、……ん?」
見慣れない布団の柄。桜架は一瞬、自分が何所に居るのか分からなかった。
横にゴロリと寝返りを打つ。一夜があどけない寝顔を浮かべている。先ほどの音色は一夜の寝言だったのか、と。桜架は寝惚けた頭でボンヤリと思う。
「えへへ。ハルちゃ〜ん」
「……何を、やっているのかな? 聖祈くん」
背中にピタリと感じる体温。桜架は自分の状況を思い出し、上着のボタンを探っている指先を制した。
隣の布団では、一夜がスヤスヤと規則正しい寝息を立てている。
「え? 勿論夜這いだよ。ぁ、今は“夕”這い(ゆうばい)になるのかな?」
聖祈は悪びれた様子もなく、桜架の指を逆に絡め取った。指の付け根をスリスリと撫でられ、ゾワリとこそばゆい感覚が浮かぶ。
聖祈の熱い舌先が白い首筋をヌルリと舐め。桜架の唇から小さな悲鳴が漏れる。
「聖祈くん、やめ……ッ!」
幾ら聖祈の趣味が他人とのスキンシップだと言っても、これは少し冗談が過ぎる。桜架は聖祈の熱から逃れようと、首を左右に振った。
桜架と聖祈以外の人間は、未だ深い眠りの森の住人だ。けれど、何時誰が起きるか。それは分からない。
幸せな夢を魅ている一夜か、それとも桜子の存在に浮き足立っていた少年達か。誰の瞳が開かれても、今の状況は不味い。不味過ぎる。
「フフフ。ハルちゃんも“健康的な、年頃の男の子”だね。ちゃんと、反応してる――カワイイよ」
「ひッ!?」
拒否を訴えている桜架の信号を軽く受け流し。聖祈は長く男らしい指先を下へと滑らせた。ズボンの上から敏感な部分を撫でられ。桜架の脳裏に危険信号が点滅する。
「――ッ! もう、いい加減に、しないと……聖祈くんの事、本気で嫌いになるよ!」
「へ?」
「口もきかないし、一緒にお茶も行かない。それでも、いいの?」
「――ぷッ、あはははは。ハルちゃんは面白いね。そんなコト言われたの初めてだよ」
桜架は聖祈に振り向き、怒りに任せた言葉をぶつける。それで聖祈が態度を変えなければ、本当に“友達”を止めてやる。そう息巻く桜架に、聖祈はキョトンと驚き。そして、腹を抱えて可笑しそうに笑った。
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