初恋は桜の中で
星に願いを3


「えぇ!? ハルちゃん、“山吹サマ”見たいのがタイプなの。敵わないじゃん、超ショック!」

 聖祈の肩が天を突き抜けんばかりの衝撃に揺れ、アリス・ブルーの瞳が驚きに見開かれる。どうやら聖祈は、桜架が山吹のファンだと受け取ったようだ。
 確かに山吹は天上人の如き輝きを持った、魅力的な人間。桜架もそれは認識しているし。プライベートに興味が無いと言えば、それは嘘になる。根も葉もない噂話なら、聞く耳を遠ざけもするだろう。けれど、それが近しい人間からの言霊ならば、桜架の耳は反応の色を濃くしていた。
 しかし、実際にそれが話題の種に上がった時。桜架の脳は、山吹ではない“別の人間”を思い浮かべていたのだ。

「いや。ぼくじゃなくて、聖祈くんは」
「勿論、超大好き! 間近で見たら、マジあのカリスマ性に惹き込まれたよ」

 桜架は自分の胸の内を測りかねていた。聖祈を『好き』か『嫌い』かで、カテゴライズするならば『好き』だとは思う。
 でもそれが『恋愛感情』かと自分に問えば、桜架は迷ってしまう。

「やっぱり、本物は輝きが段違い! アレはもう神! 緊張してまともに話せなかったけど、優雅な青年(ひと)だったよ」

 聖祈は誰に対しても分け隔てのない愛を向けるから。桜架の心は不用意に揺れてしまう。自分から断った感情を、また後悔しそうになるのだ。
 一夜は三ヶ月で、別の愛を見つけた。ならば、聖祈はもっと早いのではないだろうか。

(ぼくは、優柔不断なのかな?)

 桜架はふと思う。相手に応えを返したのに、自分の感情は何時までも振子のように揺れている。
 桜架はのんびりしている、と。よく言われている。けれど恋愛感情までそうだとは、思っていなかった。
 誰だって、ハッキリとした感情を示された方がいいだろう。断ったのならば、嫉妬など見せず。普段と変わらない態度を貫けばいいのだ。
 そうすれば、羽根のように軽い聖祈の愛は桜架の元を離れ、別の愛を見つけるだろう。聖祈も一夜のように、彼を一途に想っている相手がいるかも知れないのだから。

「でもやっぱり、ボクはハルちゃんが一番好きだよ」

 普段と――告白前と変わらない調子で、聖祈は桜架の手を握る。
 遠い異国の王子が愛しい姫君に愛を囁くように、聖祈の睦言は桜架に贈られ続けていた。

「はいはい」

 けれど、桜架はそれを冗談として受け取っているように、聖祈に送り返す。
 聖祈の羽根が風に流されて、自由な空に舞って行くのを後悔しないように。何でもない台詞なのだと、自分自身に言い聞かせていたのだ。

「ハァ。何時になったら信じてくれるの? ボクの本命がキミだって」

 聖祈は残念そうに呟くと、桜架の手を離す。桜架は遠のく体温に微かな心残りを覚え、胸中でそれに首を振った。




 桜架は色気を宿した聖祈の眼差しに耐え抜き、帰路に就いていた。
 聖祈は帰り際。桜架に再度写真集を渡して来たけれど、それは丁重に断らせて貰った。やはり“アレ”は手元に置いておけない。

「ただいま」
「おかえりなさい。お兄ちゃん」

 桜架がリビングに顔を出すと、桜子の可憐な笑顔が出迎える。桜架は桜子に柔らかな微笑みを返し、妹の存在に心を癒す。
 聖祈と居ると、忘れようとしている感情を揺さぶられて落ち着かないのだ。

「あ、そうだ。少し前に卯月くんが来てね“旅行のおみあげ”届けてくれたのよ」
「えッ」

 桜架は桜子から発せられた単語に動揺を覚えた。
 まさか、一夜も聖祈のようなプライベートアルバムを、と。桜架の脳裏に一夜の水着写真が浮かぶ。

「はい。ソフトクッキーだって」
「ああ、うん」

 そうだよね、と。桜架は海の写真がプリントされた四角形の箱を受け取った。
 いけない、聖祈の行動が妙なところで影響を見せている。



 ◆◆◆



 そんな事があった数日後の八月十二日。今日は天文部の合宿日。
 天体望遠鏡や、星図を持ち。いざ、天文部一同は移動の為に特急列車に乗り込んだ。

「この前のクッキー美味しかったよ。ありがとうね、卯月くん」
「いえ」

 向かい合った四組の椅子。上から見た構図は天文部のそれと大差ない。けれど今回は、その組み合わせが異なっていた。
 天文部では、桜子の隣には桜架が座っている。しかし現在、桜子の横隣に座っているのは兄である桜架ではなく。物静かな漆黒・一夜だった。

「桜子ちゃん、冷房寒くない? 上着あるよ」
「うん。ありがとう、お兄ちゃん」

 桜子は胸元にフリルの付いたキャミソールを着ていた。大学生風の男性が、空席を探すふりをしながらチラチラと桜子に視線を向けている。
 桜架はそれを敏感に感じ取り。男の厭らしい視線から妹を守るように、桜子に薄手のカーディガンを渡した。
 今回、桜架は桜子の真向かいに腰を下ろしている。理由は、聖祈のセクハラ行為から部員を守る為。ひっそりと壁の役目をしていたのだ。

「ああッ! そんなぁ」

 桜子がクリーム色のカーディガンを羽織り、少女の露出度が下がる。
 途端、桜架の横から残念そうな声音が湧いた。聖祈が口惜しそうに桜子の胸元を見詰めている。

「ハルちゃん、ヒドイ。ボクの密かな楽しみを奪うなんて!」

 聖祈は心が傷ついた、と。涙を溜め。桜架に訴えた。勿論、桜架はそれに怯みはしない。
 この合宿中、桜子の身の安全は自分が守る。桜架はそう心に決めていたし、桃香にも宣言していた。

「ウサギちゃんも、触らせてくれないし。独占欲というな名の愛が厳しいよ。ハルちゃん」
「はいはい」

 桜架は聖祈の軽口を受け流し、瞼を閉じる。今日は合宿の為に朝早く起きていたので、眠いのだ。
 窓に付けられたカーテンを引き。桜架はカタンコトンと揺れる列車の動きに身を委ねた。

『ぴろりろり〜ん』
「……ん?」

 眠りの森の住人になろうとしていた桜架の瞼に光が現れ、人工的な電子音が耳に届く。

「ハルちゃんの寝顔ゲット〜!」

 聞き捨てならない不審な台詞に、桜架の安眠は妨げられた。
 桜架が重い瞼を薄く開け、確認すれば。聖祈がケータイ電話を弄っている。どうやら、それで桜架の寝顔を撮ったようだ。
 穢れなき乙女の寝顔なら兎も角。聖祈は男の寝顔など撮影して、何が楽しいのだろうか、と。桜架は思う。

「ウサギちゃんも、覚えなよ。椿姫の寝顔なら、確実に超激レアのお宝になるよ」

 聖祈は声音を弾ませながら、一夜に話題を振る。
 一夜はケータイのカメラを使用した事がない。だから、当然。扱い方も分からない。それを弄っているようだ。

「えッ? 卯月くんって、雪白くんの寝顔を見るような、そんな」

 聖祈の台詞に桜子が一夜よりも早く反応を見せる。心成しか、桜子の声音からは好奇心が滲み出ていた。

「うん。それはもうラヴラヴラヴァーな関係だよねぇ、ウサギちゃん」
「ッ」
「ゃ、ポーカーフェイスな卯月くんが照れてる。……ぁ、でも、可愛い」

 聖祈の意味ありげな視線とウィンクに、一夜の頬が朱に染まる。
 感情の起伏が少ない少年の照れ顔を見た桜子は、意外性と共に何ともいえない感情の色を浮かばせた。有体に言えば少女の中に眠っていた『萌え』という感情が刺激されたのだ。
 気高く美しい椿と、物静かで礼儀正しい一夜。綺麗な少年二人の組み合わせ(カップリング)に、桜子の興味は俄然燃え上がる。

「いいよねぇ、椿姫。超絶美人な上に、程好くエロいし。ボクもあの氷華を愛の炎で溶かしてみたいよ」
「止めて下さい!」

 聖祈の挑発的な発言に、一夜が透かさず反応を返した。一夜は椿関係の話題を出すと、感情の動きが分かりやすい。
 聖祈はそれを面白がって、遊んでいるのだろう。威嚇を表す黒うさぎを、ニヤニヤと楽しそうに見ている。

「冗談だよ、ウサギちゃん。それにボクがモーションかけても、氷らされるだけだってぇ」

 聖祈はアハハハハ、と。笑いながら一夜の心に芽生える恋敵(ライバル)心を摘み取る。
 仮に聖祈が甘い誘惑の詩を詠ったとしても、椿は微塵も相手にしないだろう。その心を開く鍵を持っているのは、たった一人の少年だけだから。

「ぁ、ごめんなさい」
「ウサギちゃんは律儀だねぇ。後輩カワイイなぁ」

 聖祈のからかいを理解した一夜は、申し訳なさそうに頭を下げた。先輩に敵愾心を向けた事を恥じているようだ。

「次のラヴァー(恋人)に立候補したいくらいだよ」
「お断りします」
「ハァ……。ウサギちゃんって“椿姫のテンプテーション”にはコロッと堕ちるくせに、ボクだと全然だよね。つまらないなぁ」
「……」

 聖祈自慢の色っぽい流し目から、濃厚なフェロモンが立ち上がり。一夜はそれを眉一つ動かさず返却した。
 一夜の羞恥が見られると期待していた悪戯が不発に終わり、聖祈はふて腐れたように座席に身を沈める。己の十八番である“お色気攻撃”が悉くかわされ続け、面白くないのだろう。

「雪白くんは、そういうの興味なさそうだけど。やっぱり、卯月くんの前だと変わるの?」
「ぇ」

 一難去ってまた一難。聖祈のフェロモンから逃れた一夜に、今度は桜子の好奇心が迫る。
 桜子も年頃の女の子。恋愛の話題には、人並みの興味を持っていたのだ。

「雪白くんは、ツンと澄ましてるっていうか、他人と一線を引いてる感じじゃない」

 椿は高嶺の花というか。別次元の存在のように、桜子の瞳に映っていた。
 その椿が一夜(恋人)の前では、どのように態度を変化させるのだろうか、と。桜子の瞳は星を散りばめたように輝きを増ます。

「ぁ、……」
「可愛い? 意外に甘えっ子だったりするの」
「それは……」
「妖艶な魔性の小悪魔」
「ッ!」

 戸惑いを浮かばせる眉根にも気づかず、桜子は興味の星を煌かせる。一夜の微かな信号に気づく人間は、この場所にいない。
 ふて寝を決め込んでいたと思っていた聖祈も、桜子の好奇心を煽るように追加の言葉を発した。

「ぁ! ウサギちゃんには、エロ可愛い子猫ちゃんに見えているのかな。潔癖に見えて、ラヴァーにはスイーツのように甘いよね。アレはアレでギャップ萌え」
「そうなんだぁ。雪白くん、昔は他人に興味無かったのに意外。でも、あれ? なんで天羽先輩が知ってるんですか」
「フフフフ。それはね、桜子ちゃん」
「聖祈先輩!」

 疑問を浮かばせる桜子に、聖祈は取って置きの秘密を教えてあげる、と。一夜に意味有りげな視線を投げた。

「言わない、約束」
「うん。だから、なのは先輩達“には”言わなかったよ」
「ッ!」

 桜子はその中に含まれていない。聖祈の態度がそれを教え、一夜の背筋に雷に撃たれたような衝撃が走った。
 聖祈の仕掛けた言葉のマジックに、一夜は焦りを見せる。

「誰にも、言わないで下さい」
「え、なんで? 自慢しないの」

 一夜はアリス・ブルーを真直ぐ見据え、新たな約束を申し出る。けれど聖祈は何処までも純粋な疑問を返した。

「ボクなら、世界中のひとに幸せを自慢するよ」

 聖祈はそう言いながら、規則正しい寝息を立てる青年を盗み見た。陽に透けるレモン・ブロンドが、天使の輪を浮かばせている。



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あきゅろす。
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