初恋は桜の中で
星に願いを2


 夏陽の言葉に、桜架の左胸がズキリとした痛みを脳に伝えた。
 話題の旅行に参加している第三者の存在に心当たりが有る。それは恋多き、天の羽根。

(まさか、聖祈くんが……?)

 桜架の脳内に有り得ない妄想が、再び広がる。
 山吹は超が付くほどの有名人。世界にその名を轟かす、大俳優。聖祈は駆け出しのモデルだけれども、同じ業界に名を連ねているのだ。何かの切っ掛けで、知り合っている可能性は十二分に存在している。しかも聖祈は、山吹の妹・菜花の後輩だ。
 桜架は言い知れぬ不安感を覚える。聖祈は山吹のような男前も、勿論タイプだろう。桜架は山吹のプライベートな人間性を知らない。けれどもし、山吹が聖祈のような人間を好いていたら。そう思うと、感情が揺らぎを感じてしまうのだ。

「えッ! 山吹、恋人いんの。地味にショック」
「一夜は“炎みたいなひと”ってたな」

 悩む桜架を置き去りに、夏陽と冬乃は盛り上がる。芸能人の裏話に、冬乃の興味はマックス状態だ。

「何それ、ワイルド系って意味?」
「さぁ。一夜の奴、椿ちゃんの事も“優しくて、親切”とか言うしな。よく分からん」

 夏陽は冬乃に応えながら、コーヒーと共に注文したクラブハウスサンドに手を伸ばし。頬張る。鶏肉や目玉焼きが挟まったボリューム満点の小山が、大きな口の中に消えてゆく。
 夏陽は大食漢だ。五人前くらいは、平気で平らげる。小食な一夜とは正反対の、旺盛な食欲を所持していた。

「そりゃ、卯月君には優しいだろうよ」

 冬乃は付け合せのポテトを口に放り込み。お代わりのコーヒーを注文する。話は未だ続きそうだ。

「つか、遠まわしな惚気じゃねーの?」
「いや。聞いたの、中二の時だし。椿ちゃんは居なかったけど――」

 注文のアイス・コーヒーが届き、冬乃はBLTサンドに手を伸ばした。カリカリに焼けたベーコンの香ばしい香りが食欲をそそる。
 夏陽は二個目の小山を片付けながら、冬乃に一夜との思い出話を語る。それは気心の知れた友人同士の有り触れた世間話。

「冬休み明けにさ、見慣れないマフラー巻いてて。聞いたら『雪白君が、“寒そうだから、あげる”って。くれました』って、嬉しそうに言いやがんの」

 夏陽はポテトを摘みながら、思い出話を続ける。
 その日は、前日から降り積もった雪が街の色を白く染め上げ。厚い雲からは真白な結晶が、絶え間なく降り続いていた。冬の冷気が骨の髄まで沁み込む。寒い、寒い、雪の日。
 夏陽は厳しい北風に身を縮こませ、通学路を歩いていた。厚手のコートに、マフラー、手袋、と。防寒対策は万全。けれど氷の塊をそのままぶつけられたような冷気が、鋭いナイフのように襲い掛かり。体の芯を氷らせる。ふと、目線を前に向ければ、見慣れた漆黒。夏陽は一夜の後姿を見つけ。駆け寄る。朝の挨拶を交わし。
 一夜の首元を温める真新しいマフラーに気づく。そしてそれを、友人との会話のネタにした。椿との思い出を聞かされるとも、知らずに。

「初詣に行った時に、クシャミして。それで、くれたってさ――オレは思ったね」

 夏陽はコーヒーを一口、飲み。喉を潤す。長い思い出話に乾きを覚えていたのだ。

「それはつまり、一緒に初詣行ったって事かぁ! この野郎ぅぅぅぅうう」
「おい、夏陽。中二の初詣は、クラスの女子達と行っただろ」
「ゥッ!」

 夏陽は恋に破れた悔しさを、思い出の中にぶつける。けれど夏陽の過去を知る冬乃の鋭いツッコミが、透かさず浴びせられた。

「ハーレム楽しんでる間に、本命相手がその本命と距離縮めたって悔しがっても、誰も同情しないぞ」
「楽しんでねーよ! 誘われたから、行っただけだって。大体、冬乃も居ただろ」

 夏陽は冬乃にストップを掛け、釈明する。
 爽やかな笑顔とフレンドリーな性格から、夏陽の人気は高く。遊びに誘われる事も多い。その大半は同年代の女子で、憧れを宿した視線を贈られれば、悪い気はしない。夏陽はそれを快く受け入れ、ファンの数を増やしていた。
 けれどその遊びの場には、冬乃の姿も高確率で存在していたのだ。

「そりゃ。夏陽といると――可愛い女の子が寄って来るからな」
「はは。なんだよ、それ。オレは客寄せパンダじゃねーぞ」

 冬乃は、からかうように言い。残りのBLTサンドを口に放り込む。夏陽はその台詞を冗談として受け止め。爽やかな笑顔を浮かばせた。
 夏陽は友達の数が多い。冬乃はその中で、一番仲の良い“親友”。朗らかな笑い声が空間を包み、夏陽の笑みは深みを増す。
 親友と交わす何気ない世間話。夏陽はそれが楽しくてしかたがない。冬乃といると、夏陽の笑顔は三割り増しに輝いた。

「――ぼく、そろそろ……帰るね」
「ぁ、はい」

 夏陽と冬乃の会話が盛り上がるにつれ、口数の減っていた桜架が席を立つ。桜架の眉は、何かを思い悩んでいるように潜められていた。

「なんか、すみません。俺達だけで盛り上がって」
「いや、楽しかったよ。ありがとう」

 桜架は柔らかな笑顔を咲かせ、夏陽と冬乃に礼を述べる。程なくして、華やかなレモン・ブロンドがカフェを出て行った。



 ◆◆◆


 それから、二日後。桜架は学園近くの公園に呼び出されていた。
 夏休み真っ只中の小学生が、公園内を無邪気に駆け回っている。虫取り網を振り回し、蝉を取ろうとしている子供達。桜架も、数年前まではその輪の中に居たというのに、つい懐かしさを感じてしまう。

「ハルちゃーん!」
「……」

 桜の大樹が、木漏れ日を作るベンチ前。歌うように弾む声音が、桜架を呼ぶ。
 こんがり焼けた小麦色の肌。それは健康美よりも、匂い立つ色香を教えていた。

「焼けたね、聖祈くん」
「うん。海行ってたからね、もうこんがり」

 桜架を呼び出した人物。それは銀髪フェロモン・聖祈だった。
 聖祈がベンチを進め、桜架はそれに腰を下ろす。夏の陽射しを遮る桜葉が、緩やかな南風を受けてサラサラと揺れている。

「それで、用件は?」

 桜架は極力、聖祈の姿を見ないように努めた。人間の心は移り行くもの。桜架は、自ら断った感情に未練をぶつけない、と。椿を想う一夜の幸せそうな表情を見た時に、決めていたのだ。

「おみやげ。渡そうと思って」

 聖祈はそう言うと、持っていた紙袋を開け。中を探る。A5サイズの本を取り出し、桜架に差し出した。

「海なのに、本?」

 桜架は疑問を抱きながらも、聖祈の手からそれを受け取り。パラパラと捲る。

「こ、これ……ッ」
「いや〜。最初は写メ送ろうとしたんだけど、ウサギちゃんが操作分からないって言うからさ。予定変更」

 絶句する桜架を置き去りに、聖祈の右腕が本に伸び。次のページを捲った。
 サファイアのように煌く海をバックに、際どいポーズを作る青年の姿が空色の瞳に飛び込み。桜架から、サァーと血の気が引く。
 渡された本。それは、聖祈の“水着写真”が大量に納められたアルバムだった。面積の少ない蛇柄は、三角を通り越した一本筋。ポーズによっては、全裸にも見える。海の土産に自らの写真集を贈るとは、聖祈の脳内は一体どうなっているのだろう。

「頑張って自分撮りを駆使したよ。椿姫は協力してくれないし、なのは先輩達には頼めないしね」

 聖祈は自分の努力を自慢するように、桜架に語る。けれど青ざめる桜架の耳にその音は届かず。二の句が継げないでいた。

「本当は昨日。渡したかったんだけど、急な仕事の打ち合わせが入って。今日に成っちゃった」

 聖祈は昨日の夕方。旅行から帰って来たようで、それを夏の風に乗せている。
 桜架は手中にあるアルバムを持て余し。出来れば、永遠に渡さないで欲しかった、と。思う。聖祈の水着写真など見せられても、反応に困るだけだ。

「気持ちは、嬉しいんだけどね。聖祈くん」

 桜架は喉の奥から声を絞り出し、聖祈と向き合う。
 旺盛に茂る桜葉から漏れた陽差しが、青年達の身体に斑模様を浮かばせていた。

「これは、少し。受け取れないかな」

 桜架は聖祈の膝の上にアルバムを乗せ、返却を申し出る。
 もしもこの場で、聖祈の写真集を受け取り。家に持ち帰ったとしても、桜架は箪笥の肥やしにしてしまうだろう。
 そして桜架が何より恐れている事は、自分が忘れ去った頃。桃香ないし、桜子がそれを発見してしまう未来図だ。
 女性の水着写真が発掘されれば、桃香は桜架(息子)の成長の証として見なかった事にしてくれるだろう。桜子は驚いて、悲鳴を上げてしまうかも知れないけれど、軽蔑の感情をぶつけられる事態にまでは陥らない。
 けれどそれが、男性の、しかも手作り間満載の写真集が見つかれば――家族会議が開かれ、思春期のデリケートな問題を根掘り葉掘り追求される。
 それだけは、何としてでも避けなければならないのだ。

「えぇ〜!? ただ今売り出し中『天羽聖のプライベート写真集!』なんて、激レアだよ。十年後には、お宝発見バラエティにも出演できちゃうよ」
「いや、出れないと思うよ。それに聖祈くん、自分のプライベート写真がお茶の間に流出してもいいの?」

 聖祈は不満そうに口をへの字に曲げ、桜架を説得しにかかる。桜架は無論、それに折れるつもりはない。

「ああ、そっか。勿論、ハルちゃん専用ラヴラヴ聖祈くんは、ハルちゃんだけのものだよ」

 聖祈は桜架の言葉に納得したように、両手をポンと合わせ。桜架にウィンクを送った。聖祈が何に納得したのか、桜架には不明のままだ。

「――それに、そういうのは……恋人さんにあげなよ」

 ジュワジュワ、と。蝉の羽音が激しさを増す。桜架は心の中の巣くう靄に気づかないふりをしながら、蒼い空に視線を向けた。
 大きく厚い雲が流れ、太陽の光を遮る。まるで、変化を始めた感情の光を隠すように。太陽の丸い輪郭が、空の中から隠された。

「ぇ? ボク。今、特定の恋人いないけど――本命のコにも、フられたしさ」
「でも、旅行行ってたんだよね。その、恋人さんとじゃないの」

 桜架の頭の中に、テレビ画面でしか見た事の無い美青年の姿が浮かぶ。桜架はゴシップやスキャンダルなどに興味の触手を伸ばす人種ではない。けれど、二日前。それを聞いた時に、痛みを感じた事は確かな現実だ。
 桜架は、聖祈と山吹の関係を疑っている。でなければ、聖祈が雪白家の旅行に参加した理由が思い当たらない。
 紅髪の青年・緋色の思い付きが、知らぬ所で波紋を広げていた。けれど、桜架がそれを知る由も無く。心の靄は深みを増していたのだ。

「違うよ。偶然という名の運命が重なって、緋色さんに誘われたんだよ。ホント、気風のいい男前で、ボクも最後には『アニキ!』と呼んでいたね」

 聖祈は旅行の思い出話を語りだす。テレビの仕事を終え。帰ろうとしていた矢先に、一夜の後姿を見つけ――諸々の後に、緋色という名前の青年に突然誘われたのだ、と。
 その聖祈の話の中には、山吹の名前は余り登場せず。緋色に気に入られた話や、一夜と椿が終始一緒に居たという話題が、大半を占めていた。

「あの、聖祈くん。山吹さんとは――」

 桜架は聖祈に視線を戻す。自分の思い違いに、漸く気づいたのだ。



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