初恋は桜の中で
星に願いを1


 闇夜に一筋の光が流れる。不吉を知らせるように。願いを叶えるように。真黒な空に流れ星が瞬いた。




「それでね。昨日は、二個見えたんだよ」
「まぁ、そうなの。良かったわね。桜架」

 夏の雲は大きく。厚い。太陽に恋をした向日葵の視線を、容赦なく遮る。
 晴天眩しい夏の午後。桜架は昼食の食器を運びながら、桃香との会話を楽しむ。淡い恋心は薄れても、桃香は桜架にとって特別な存在。その感情に変化は起きない。

「だからって、お兄ちゃん。五時なんて、もう朝じゃない」

 昼食作りを手伝っていた桜子が、微風を運ぶ。
 夏休みに入って二週間が経過した八月上旬。桜架は毎日のように夏の夜空を長時間眺めていた。眠りに付くのは、朝日が昇りだす時間。桜子はそれを注意しているのだ。

「大丈夫だよ、桜子ちゃん。昨日はちゃんと“四時半”に寝たから。ね?」
「そんなの、変わらないわよ」

 桜架は桜子からサラダボールを受け取り。テーブルに並べる。新鮮なレタスとプチトマトが、食卓に彩を添えた。

「そうかな?」
「そうよ!」

 桜架は桜子に笑顔を向け。のんびりと言う。淡いピンク・ブロンドがフワリと舞い上がり。桜子の言葉が素早く返された。

「ほらほら、お昼にしましょう」

 食卓に桃香の笑顔が咲き。桜架と桜子の空気を優しく包む。桃香は春の微風を届ける素敵な女性。桜架は桃香のような人間に成りたい、と。思う。それは、憧れが進化した感情だ。


「12・13日にしようかと思ってるんだけど。桜子ちゃん、予定入っちゃってる?」
「ううん。大丈夫。行けるわ」

 昼食を食べ終え。桜架は桜子に話題を振る。桜架が部長を務める天文部は、夏休み中に合宿を予定していた。天候や流星群の動きを見極めてから、詳しい予定を組み立てたので。桜架は改めて、桜子に合宿に行けるかの確認を取ったのだ。

「それより。天羽先輩、モデルだし。大丈夫かな?」
「ああ。そうだね」

 桜架は桜子の言葉に、聖祈の姿を思い出す。雑誌モデルをしている聖祈は、夏休みが書き入れ時だと言っていた。聖祈は学生という事も有り、普段は(あれでも)学問を優先している。夏休みという、一ヶ月以上続く長い休み。聖祈の予定が、仕事で埋まっている可能性は高い。

「ちょっと、確認してみるね」

 桜架はケータイ電話を取り出し。登録されている情報の中から、聖祈の名前を探す。桜架が聖祈の電話番号を知っているのは、聖祈からそれの交換を求められたからだ。だから当然、聖祈のケータイにも桜架の電話番号が登録されている。

『、……はぁい。もしもひぃ、キミの愛しい聖祈くんでーす……ぐぅ』

 聖祈は桜架からの電話に出た。けれどその声音はまどろみ、寝息が聞えて来る。どうやら聖祈は、未だに寝ているらしい。

「聖祈くん、おき」
『聖祈先輩。起きてください』

 桜架はしょうがないな、と。思い。聖祈を夢の世界から引き戻そうとした。その耳に、落ち着いた声音が届き。桜架の心臓が動揺に揺れる。
 その音色は、桜架が知っている少年の声色とよく似ている。桜架の脳裏に、有らぬ妄想が広がった。聖祈の毒牙に落ちる、大人しい少年の苦悶に満ちた表情。桜架の頭の中で、聖祈に穢される一夜の姿が再生されていた。

「そんなの、駄目だよ! 聖祈くん!」

 桜架は思わず叫ぶ。桜架は一ヶ月前。一夜に失恋して。そして、聖祈から告白されていた。
 その二人が、甘い蜜夜を過ごした後のような台詞を紡いでいる。桜架は自分が想像した世界に震えを覚えた。

『そんな寝穢い男放っておけ』

 桜架の妄想を打ち破る一筋の光が、耳に届く。凛と響く中音域。中性的な美貌の少年・椿の声音。その音が、桜架を現実に引き戻した。

『でも、電話が……』
「あの、一夜くん……?」

 桜架は電波の向こう側にいる一夜に話し掛ける。聖祈が一夜と共に居た理由。桜架はそれを知らなかった。けれどその場には、椿も居るようだ。桜架は、聖祈と一夜が二人っきりの夜を過ごしたのではないと分かり。ホッと胸を撫で下ろした。

『ぁ、桜架先輩』

 桜架の声音に気づいた一夜が、言葉を返した。久し振りに聞いた揺らぎの少ない声音に、懐かしさが浮かぶ。

「あのね、一夜くん。合宿の日にちが決まったから、その連絡なんだ。聖祈くんが起きたら、伝えてくれるかな」
『はい。分かりました』

 桜架は一夜に用件を伝え。予定が空いているかの確認を取った。一夜も天文部員。この状況は、電話を掛け直す手間が省けたとも言える。一夜は聖祈が起きたら、桜架の言葉を正しく伝えてくれるだろう。



 ◆◆◆



 よく晴れた夏の午後。桜架は合宿の買出しに出ていた。街で一番大きなデパートに脚を踏み入れ。汗を拭う。程なくして、冷えた空気が肌を撫ぜた。
 大きな買い物は、後日。部員を伴って本格的にする予定だ。なので今回の買出しは、桜架個人的なもの。虫除けスプレーや、新しい下着等を購入し。一息つく。

「――だからさぁ。くっ付いてからのスピードが速すぎねぇ。もう、旅行とか」
「卯月君いいよな。俺も生(なま)山吹見てみたいよ」

 桜架は休息の為に、カフェに立ち寄った。時間は午後:3時過ぎ。デパート内部のカフェという事もあり、店内は込んでいる。
 並ぶ覚悟を決めた桜架の眼に、見知った顔が映る。一夜の友人・夏陽と、その友人の冬乃だ。夏陽と冬乃は友人同士の砕けた会話に華を咲かしている。一夜と椿の纏う雰囲気とは異なっているけれど、夏陽と冬乃も仲が良い。親友同士に見えた。

「ねぇ。あのひと、格好良くない」
「ホントだぁ。王子様みたーい!」

 にわかに店内が活気付く。店の入り口に佇む金髪の王子様――桜架の存在に、午後のお茶を楽しんでいた女性客が気づいたのだ。
 その会話は波のように店内に広がり。少年達の耳にまで届く。冬乃が興味本位からか視線を向け。桜架の空色と重なった。

「ぁ。春風さんの、お兄さん」



「なんか、ごめんね」

 桜架はカフェ店内に入り。後輩の好意に礼を述べる。店内は活気に満ち。空席は見当たらない。桜架は夏陽と冬乃に呼ばれ、席に腰を下ろす事が出来た。

「二人の邪魔しちゃったみたいで」

 桜架はケーキセットを注文し。夏陽と冬乃に向き合う。最初、夏陽と冬乃は真向いに座っていた。それを冬乃が夏陽の横に移動し、桜架を招いたのだ。後輩の心遣いに頭が下がる。

「いいんですよ。夏陽の愚痴、聞いてただけなんで」

 冬乃はからかい交じりの笑みを浮かべ。夏陽に視線を投げる。冬乃は真面目そうな外見をしている。けれどその性格は屈託なく、明るいようだ。

「つか、いい加減。未練がましい」

 桜架達の座るテーブル席に、店員が注文の品を運び。置いてゆく。
 冬乃はアイス・コーヒーを受け取り。ガムシロップを入れる。ストローに口を付け、三分の一ほど飲み。口を離した。話が再開される。

「一回失恋したくらいでクヨクヨし過ぎだろ。椿ちゃんが卯月君と距離縮める度に、グチグチグチグチ。モテるんだから、サッサと次行けよ」
「グサッ!」
「ぅッ!」

 冬乃の容赦ない台詞が、夏陽のみならず桜架の心にも突き刺さり。反射的に胸を押さえた。
 桜架は一夜に失恋した以降も、様々な相手から恋心を告白されていた(聖祈もその一人だ)。けれどやはり、桜架の心は動かず。断りの返事を返していたのだ。同年代の男子が聞けば、非常に羨ましく。喉から手が出る思いだろう。

「椿ちゃんは卯月君命だし。卯月君は……無表情で何考えてるのかよく分からないけど、椿ちゃんと居る時は楽しそうだしさ。あんなの遅かれ早かれデキてたって」

 冬乃は桜架の事情を知らない。だからその矢羽は夏陽に放たれたものだ。桜架も、それは理解している。
 けれど冬乃の言葉に、淡いまま行き場を失ってしまった感情が、反応を見せてしまうのだ。

「大体、夏陽。卯月君関係なく、椿ちゃんに全く相手にされてないだろ」
「グハッ!」

 夏陽は息も絶え絶えといった感じて、左胸を押さえ。反り返った。冬乃に図星を突かれたようだ。

「――こっちは、やっとチャンスが回って来たって言うのにさ。……何時までも、初恋引きずりやがって」

 冬乃はコーヒーを飲み進め、苦々しく呟く。けれど夏陽はゼィゼィと荒い呼吸を繰り返すばかりで、自分に向けられている感情に気付く気配はない。

(冬乃くん)

 桜架は思う。夏陽が冬乃の信号に気付かないように、桜架自身も自分へと向けられている感情に距離を置いていた。涙を流した人間も多く。罪悪感を感じた事もある。

(それでも、ぼくは)

 けれど桜架は不確かな感情のまま、応えを出せず。勇気を振り絞り、愛を伝えてくれた相手に『NO』を繰り返した。それは恐らく、夏陽も同様なのだろう。

「冬乃くんは、夏陽くんの事が好きなんだね」

 桜架は手付かずのガトーショコラにホークを刺し、一口サイズに切り離す。そのまま口元に運び、パクリと食べた。口内にほろ苦い甘さが広がり、恋の味に思想がとける。

「は……?」
「ち、違うッスよ。オレ達は友達――親友ですから」

 冬乃の眼鏡が驚きを表すように、ずり落ち。夏陽が両手を振って否定する。夏陽の声音は上擦り、動揺を隠しきれていない。桜架はその初々しい反応に心を綻ばせた。年下というものは、可愛らしい存在だ。

「うん。ぼく、その積もりで言ったよ」
「ぇ? ……ぁ、ッ!」

 桜架は天使の笑顔と評される微笑みを咲かせ。柔らかな春の陽射しを魅せた。言葉の意味を理解した夏陽がポカンと口を開け、羞恥を浮かばせる。

「親友と呼べる相手がいるのって良いね」

 桜架は微笑みを浮かばせたまま、夏陽と冬乃を空色の瞳に映す。夏陽は頭を抱え、長い溜息を吐いている。桜架の台詞が恋愛的なものだと決め付け、口を滑らせてしまった事を反省しているのだろう。

「天然こえー」
「?」

 冬乃が落ち込む夏陽の肩をポンポンと叩き、独りごちる。桜架はそれに小首を傾げた。

「つか、先輩。一夜が椿ちゃんと“夏休み旅行”行ったって聞いて、どう思うッスか?」

 復活した夏陽が、桜架にお返しとばかりに話題を振る。男だらけの恋バナトークを止めるものは誰もいない。

「うん。一夜くんも、椿くんと仲良いよね。ぼくには、そういう“友達”がいないから羨ましいな」

 桜架は声のトーンを変えずに夏陽に返す。夏陽は自分の攻撃が不発に終わり。詰まらなそうにアイス・コーヒーを飲んだ。
 夏陽は感情が顔に出るタイプのようで、拗ねたように眉根を歪ませている。桜架の動揺した反応が見たかったのだろう。

「旅行っても、椿ちゃん家の“兄弟旅行”に引っ張られてったんだろ?」

 コーヒーを飲み干した冬乃が、ストローで氷を突付き。サイン頼んどけば良かった、と。後悔を語る。
 椿の兄・姉と言えば、どちらも有名な人物。冬乃の興味対象は、そちらに向いているようだ。

「ああ。“お兄さんの恋人”に誘われたとかなんとか、言ってたな」
「ぇ……?」



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あきゅろす。
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