初恋は桜の中で
サクラとツバキ6


『ぷるるるる』

 そんな時だ、冬の静寂を壊す音が鳴ったのは。音の発信源は、ケータイ電話の呼び出し音。椿はスラックスのポケットから、それを取り出し。液晶画面を見ずに、通話ボタンを押した。菜花からの電話だと思ったのだ。

『……雪白くん』
「――ッ」

 けれどそれは、違った。数秒の静寂が過ぎた頃。落ち着いた音色が、椿の鼓膜を揺らす。それは一夜からの電話。椿は突然訪れた幸せに、動揺した。

「卯、月……?」

 椿は最初、その声音が幻聴だと思った。辛い噂話から耳を背け、脳が現実逃避を始めたのだ、と。疑いを抱き。自分の頬を抓った。鈍い痛みが走り、それが現実なのだ、と。椿に教える。クリスマス・イヴに訪れた奇跡。椿は歓喜に震える心を抑え、一夜の音色に耳を傾ける。
 この時の椿は、一夜に永遠の片想い中。声を聞くだけで、心は天に昇り。一度も存在を信じた事のない、サンタクロースに礼を伝えた。

『ぁ、の……今、いいですか?』
「ああ。構わない」

 一夜は遠慮深く確認を問うた。クリスマスという世間では特別な日。その一時を奪う。それを、気に掛けているのだろう。

『雪白くんの、声が、聞きたくなって』

 寡黙な一夜。彼はケータイを頻繁に使用するタイプではなく。世の中から無くなっても、不便を感じない気宇な人種。その一夜がケータイを、というか、通話機能を利用する。それは、椿との会話を望んだ時だ。

「ん。寂しくなった?」

 椿は電波の向こう側にいる、一夜の姿を想像する。心躍るクリスマス。その日にも、千夜は家に帰って来ず。一夜の淡い期待は打ち砕かれる。陽が落ち、暗くなる部屋。シンと静まった静寂は、一夜の心を暗い闇へと誘う。けれどそれにも、一夜は慣れて。空虚な日常は過ぎる。孤独を抱え。父親に愛されない寂しさが、心に広がり。一夜はケータイに、手を伸ばしたのだろう。それを分かち合える“友”の声を求めて。


「――卯月、明日」

 漆黒の夜空に、白い息がとける。厚手のコートを着ていても、冷気は侵入し。体温を容赦なく奪う。椿が人影のないバルコニーに出て、十五分は経過している。ケータイ電話を持つ右手は、悴み。冬の冷気に、冷え切っていた。
 けれど、椿の心はぽかぽか、と温まり続け。一夜との拙い会話に陶酔していた。

「良かったら、僕と……」

 椿の心臓が、音を奏でる。一夜に一音を伝える度に、その音は激しさを増し。椿の鼓膜に響く。ドックン、ドックン、ドックン、ドックン、と。心臓が壊れてしまいそうな、恋の旋律が。
 明日は十二月二十五日。クリスマス当日。椿は一夜に贈るクリスマス・プレゼントを用意していた。けれど、渡すタイミングが掴めず。一夜の『喜び』を想像しながら選んだ贈り物は、スクールバックの中で眠っている。
 明日からは冬休み。椿が一夜と逢える学園は、厚い門を閉ざす。休み明けにプレゼントを渡しても、一夜は意味が分からず戸惑うだけだろう。だから、明日。クリスマス当日が、椿に与えられた。ラスト・チャンス。

「逢って、」
「ワォ! こんな所に、超美人発見! どうしたの〜。人に酔っちゃった? ボクで良ければ、暇潰しの相手になるよ。可憐なお姫さま」

 椿は勇気を振り絞り、一夜との距離を縮めようとした。けれどその告白は、想い人に伝わる前にかき消される。突如として湧いた、少年の声音によって。

「パーティーに来てるってコトはモデルさんだよね。ボクの名前は『天羽聖』デビューしたての新人でっす! ヨロシクね」

 天羽聖と名乗った少年は、ペラペラと一方的に喋りながら、椿との距離を縮めて来た。どうやら、椿の事を女性だと勘違いしているようだ。
 椿の容姿は中性的で、美しく。性別を間違えられる事も多い。普段は成長と共に伸びた身長が、周囲に正しい性別を教えているのだけれど。モデル業界では身長170cmを超える女性など、当たり前に存在している。少年が椿の事を女性モデルだと勘違いしている理由も、恐らくはそれなのだろう。

『――雪白くん……?』

 椿の右耳を、愛しい一夜の声音が満たす。一夜は椿の言葉が途中で途切れた事を心配しているのだろう。『大丈夫ですか?』と、椿を気遣う言葉を続けた。

「ああ、何でもな」
「あれれ〜? もしかして、電話中だったぁ。ごめんね、邪魔しちゃって。でもその男より、ボクの方がキミを夢中に、さ・せ・て・あ・げ・る」
「興味ありませんので。邪魔をしないで下さい」

 椿は軽く舞い続ける羽根を払い除け、少年の歌うような音を遮った。一夜との会話を邪魔され、気分は最悪。
 椿は“天羽聖”を振り切るため、バルコニーから脱出し。ホテルの内部に戻った。パーティー会場に程近い通路の壁に、背を預け。途切れていた会話を再開する。


「ごめん、卯月。変な男に捉まってた」

 暖房の効いたホテルの通路。冬の外気に冷やされた体温が、ゆるりと戻ってくる。
 天羽聖が現れるまで、椿以外の人間が居なかったバルコニーとは違い。通路に違い休息場には談笑を楽しんでいる男女グループがいた。パーティー会場を脱け出して、個人的な親睦を深めているのだろう。

『いえ。ぁ、大丈夫でしたか?』
「ああ。肩抱かれそうになったから、叩(はた)いてやった」

 椿は一夜に、その時の様子を教える。ナンパに慣れた百戦錬磨の色男が、ツンと素っ気なく断られ。残念そうに眉を曲げていた事を。一夜はそれを静かに聴いている。

「あー! 椿くん。こんな所に居た」

 その時。通路の向こう側から、甘い声音が咲いた。菜花だ。椿は菜花に一応の断りを入れて、パーティから抜け出ていた。けれど菜花は椿の様子を心配して、探し回っていたようだ。息を切らして、椿の元に駆け寄って来る。一夜との会話は、時間切れ。椿は一夜に簡単な事情を説明し、電話を切った。

 結局、椿はクリスマスの約束を取り付けられず。一夜にプレゼントを渡せたのは、年が明けてからだった。




 ◆◆◆



「――あの時。あの男が現れなければ」

 椿は二年前の出来事を語り終え。一夜の漆黒に指を通した。
 天羽聖――聖祈の正体は、菜花の事務所の後輩。椿がそれを知ったのは、パーティーから数日後。菜花に聖祈を紹介された時だ。その時に聖祈から『椿姫』と、呼ばれ。椿は青筋を深めた。
 菜花は『雪白兄弟・末っ子の椿くんでーす』と、紹介したので。聖祈の中の勘違いは、今日まで続いていたようだ。

「僕と、逢ってくれた? 一夜」

 椿は一夜の瞳を見詰め、訪ねる。聖祈の話題より、過去に聞けなかった。一夜の返答が、聞きたい。

「俺、椿からの誘い。断った事、ないです」

 一夜は椿の質問に迷いなく返す。有ったかも知れない、クリスマス・デート。一夜の瞳が、阻まれていた過去が残念だ、と。語る。

「でも、あの時は“友達”だとしか、思ってなかっただろ」

 椿は一夜に意地悪をした。もしも、聖祈が現れず。椿が言葉を伝えていたら、一夜は快く承諾していただろう。けれど、それは“友達”からの誘いだから。夏陽が同じ台詞を言っても、一夜は頷き。友人とのクリスマスに、心を躍らせていた。

「……、」

 一夜は考え込むように、口を閉ざした。椿の意地悪に、真面目な返答を返そうとしているのだ。その真剣な表情が愛おしく。椿は「困らせて、ごめん」と、一夜の頭を優しく撫でた。一夜はその感覚が心地よいのか、幼く見える瞳を細め。椿に蕩けそうな眼差しを向けた。

「俺は椿と一緒に居る時が、一番楽しいです」
「……ッ」

 一夜の偽りのない言葉が、椿の心臓を動かす。一夜はいとも簡単に、椿の心に愛情の華を咲かせ。幸せを届けるのだ。何時も、何時も。

「そんなの、僕だって」

 椿は漆黒の頭を撫でていた右手を、一夜の左手に移動させ。愛情を重ねた。あたたかな体温が伝わり、幸せを感じる。
 椿は一夜に何度も心を救われている。不意に届けられる言葉に、繋がれる掌に。一夜は無自覚に、椿の心をとかす。

「一夜と居る時が、一番幸せ」

 椿は一夜に、何度も失恋している。
 一夜は優しくて、包容力の有る人間が好きだ。自分とかけ離れたタイプを聞かされ、椿は人知れず落ち込んだ。『玉砕』の二文字が頭を支配し、『失恋』という現実が心に突き刺さる。一夜に好みのタイプを質問したのは夏陽だ。会話の少ないランチタイム。友好的な性格の夏陽は、それを盛り上げる為に話題を提供したに過ぎず。椿は涙を流す感情を隠し、澄ました表情を作った。それは一夜の前で演技をした、初めての思い出。そして椿が演技に秀でた自分を褒めた、初めての記憶。
 椿は今でも、信じられない。一夜との逢瀬が甘く、幸せで有れば、有るほど。都合の良い夢を見ているのだ、と。錯覚してしまう。

「俺、今から。好きなひとに、デートを申し込みます」

 椿の重ねた掌を、一夜がギュッと握った。硬い決意をした眼差しに、椿の瞳は惹きつけられる。

「雪白椿くん。今年のクリスマス。俺と一緒に、過ごしてください」

 椿の心臓は、もう限界だ。一夜にトロトロに溶かされて、形を無くしてしまった。そして溶かされた心臓は、甘く高鳴ったまま。椿の全身を廻り、熱を浮かばせる。

「……ずるい。僕が断らないの、分かってて言ってる」

 椿の白い肌が桜色に染まった。一夜に溶かされた心臓が、熱を発しているのだ。
 一夜は消極的に見えて、その実、とても積極的な一面を持っている。それは椿を魅せる、情熱的な恋人の顔。
 椿は一夜の、物静かな性格を気に入っている。けれど一夜が、積極的な行動を取った後。それに気づいて、恥ずかしそうに頬を染める瞬間も、とても好きなのだ。

「駄目、でしたか?」
「いや。とても魅惑的な、誘い文句だ」

 椿は自分の台詞に照れる一夜の耳元で囁き。そのまま、こめかみに口付ける。了承のキスだ。

「椿……ッ」
「ふふ」

 一夜は椿の行動に、頬の朱を強める。椿は小悪魔の微笑みを唇に乗せ。一夜の身体を抱き締めた。激しく響く心音が耳に届く。それは一夜の恋の旋律。
 椿は溶けてしまいそうな心臓の音を聞きながら、幸せな夢に瞼を閉じた。



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あきゅろす。
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