初恋は桜の中で
サクラとツバキ3


 椿は人を寄せ付けない雰囲気を持っている。けれどそれは、一夜の前では影を潜め。甘やかな恋人の顔を魅せるのだ。
 妖艶に。大胆に。時に、意地悪な小悪魔のように。椿は一夜の心を翻弄する。



「あんな男に、君を好きにされていたなんて」
「ぁ、……ッ!」

 椿は聖祈への嫉妬心を唇に乗せ、一夜に囁き続ける。
 夏の陽射し煌く渚から離れた、茂みの中。ブーゲンビリアの花(苞)が風を受けて、サラサラ、と。揺れる。白。赤。ピンク。紫。見る人の目を鮮烈な美で潤わせる、夏に咲く花。
 けれどその花がどんなに、美しくとも。一夜の瞳は、ツバキの花に魅了されて。その視線を、美しい少年から、外さない。
 一夜が椿と知り合ったのは、二年前。桜吹雪の舞う、春の日。綺麗なひとだと思っていた。それは純粋な感情。純粋な友情。椿は一夜の大切で、特別な親友。
 その関係に変化が訪れたのは、一ヶ月と少し前。突然気づいてしまった恋心。それは一夜の中で、今も進化し続け。恋仲になって初めて知った意外な一面に、愛しさを募らせ続けていた。
 中性的な絶世の美貌。椿は色事に無関心な少年に見える。澄ました顔の下には、変わらぬ表情が隠れている。男の欲望など知らないように、気高く涼やかで潔癖な少年。一夜も椿と恋仲に成らなければ、そんなイメージを抱いていただろう。
 けれど一夜は、取り澄まされたその表情が変化する瞬間を知っている。椿が一夜の前で、甘えた猫になる事を知っている。

「椿……俺が、触り……ン……たい……ァッ――」
「ふふ。一夜のそんな声を聞くのは、初めてだ」

 椿はミルクを飲む猫のように、一夜の耳裏を舐める。舌先でペロペロと舐め上げ。耳先を、カプリと甘噛みされた。背筋をゾクリとした微電流が流れ。一夜の唇から、甘い吐息が漏れる。
 椿はその反応に満足するように、笑みを深め。丹花の唇に妖艶な色を浮かばせた。

「僕の、……身体に……触りたい? 一夜」

 椿は一夜の鼓膜を艶美に揺らし続け。右手をパーカーに導く。深い海のような、蒼色の下に隠された新雪がチラリと覗き。一夜は生唾を飲み込んだ。

「――んっ。触りたい――触って、舐めて……キスして――椿を、愛したいです」

 一夜の唇が素直な欲望を音にする。此処が何処かなんて、関係ない。今は唯、椿に溺れていたい。
 紫黒の艶髪が、湿気を含んだ夏風にサラサラと揺らされている。その光景にすら情欲を刺激されて、一夜の芯は熱を意識しだす。

「僕だけ?」

 一夜の指先が白いファスナーに触れる。それを下ろしてしまえば、真白な雪肌が激しい陽の光に照らされて。椿の水着姿が露になる。
 プールの授業で見慣れた、男の水着姿。何の面白みもないそれ。けれどそれが椿のものだと思うと、一夜の視線は縫い付けられる。

「んっ。椿だけ、……俺が愛してるのは、椿だけ――ッ」
「ァ、一夜……!」

 一夜はファスナーを一気に下げた。蒼色のパーカーが開かれて、椿の雪肌が外気に晒される。桜色の粒が微風に撫ぜられて、雪頬が朱を浮かばせた。
 逞し過ぎず、薄すぎず。程よく引き締まった、少年の肉体。均整の取れた絶妙なプロポーション。そこに女性らしさは感じられず、中性的な容貌とのコントラストに頭の芯が痺れる。シンプルな黒色の水着。有り触れたデザインのそれにも、一夜は興奮を覚えた。椿のすべてが、一夜の欲望を刺激する。

「――あれ。おっぱいが、ない!」
「……」
「……」

 驚きを含んだ声音が、甘い空気に割り込む。背後から聞えたそれは、聞きなれた青年の低音ボイス。
 一夜の動きが、第三者の存在に止まり。秘め事を覗かれていた事実に、羞恥心が湧き上がる。

「ぁ、しまった。声出ちゃった。でも、ボクのコトは気にせず続けてよ、ウサギちゃん。視姦プレイも刺激的でイイよ、何なら3P――」

 マシンガンのようにペラペラ、と。溢れる言葉。一夜の事をあだ名で呼ぶ存在。天羽聖祈。性に奔放な青年が、其処にいた。
 聖祈は存在に気づかれて覗き見に開き直ったのか、隠れていた茂みを抜け出し。一夜達に近づいて来た。その瞳は、爛々と輝いている。
 聖祈は緋色に突然、旅行に誘われた。当然明日の着替え諸々を用意している訳もなく。近くの店まで買い物に出ていたのだ。何処の店に行ったのかは、知らなかった。けれど聖祈はそれを早々終わらせ、戻っていたようだ。

「っていうか。ボクも興奮してキちゃったから、正直交ざりたい、な」
「ッ!」
「ぁッ。一夜に触れるな! 怯えているだろう」

 聖祈の指が一夜の背筋をつつ〜と、欲望を刺激するように撫ぜた。その感触に鳥肌が立ち。熱が冷めてゆく。

 百戦錬磨の肉食獸に狙われた黒うさぎは、プルプルと震えだしそうな恐怖に耐え。愛しい猫が餌食に成らぬよう、飢える肉食獣に立ち向かう道を選んだ。



 ◆◆◆



「いや〜。水着買って帰って来たら。ウサギちゃんと椿姫がエロいコトしてるのが見えて、驚いたよ。真昼間から、大胆だね。眼福、眼福」

 聖祈の楽しそうに弾む声音が、一夜の耳に刺さる。
 結局あの後。興奮よりも、他人に見られていたという羞恥心が勝ってしまい。一夜の欲望は眠りについてしまった。
 正直、名残惜しさは残っている。けれど聖祈の申し出は言語道断。椿の身体を自分以外の人間が触れるなど、想像するのも耐え難く。一夜はパーカーの乱れを直す椿の後姿を黙って見守っていた。
 スラリと伸びた長い脚。真白なそれには痣一つなく。美しい曲線を描いている。一夜はそれを一撫でも出来なかった。非常に残念だ。

「っていうか。ボクさ、今衝撃的な真実を知ったんだけど。ウサギちゃんは、どう思った?」

 聖祈は一夜の横に立ち。同じように、椿の手の動きを追っていた。
 その聖祈の唇が一夜に言葉を投げる。質問というよりは、同意を求めているような口調だ。一夜は聖祈の真剣さを感じ取り、視線を向けた。

「椿姫が、男の子だったなんて……!」
「はい?」

 聖祈はそれに、相当の衝撃を受けていたのだろう。嗚咽を抑えるように、口を押さえ。声帯を震わせている。
 一夜の頭の上にクエッションマークが浮かぶ。聖祈の言葉の意味を、直に理解出来なかったのだ。
 椿は中性的だけれど、身長は高いし。身に付けている衣装も、シックで落ち着いているものを好んでいる。子供の頃は性別を間違えられていたようだけれど、最近では減っている、と。一夜は聞いていた。聖祈が椿と知り合った時期は知らないけれど。聖祈は天地が引っくり返ったような動揺を、一夜と分かち合いたいようだった。

「驚いたよね。ああ、うんうん。分かってるよ、ウサギちゃん。あの顔で、アレが付いてたなんて。想像しただけで、逆にエロい。分かってても、クラクラしちゃうよね」

 けれど聖祈は一夜の疑問府に気づいていないのか、脳内妄想を喋り続け。何度も「キミの気持ちは分かるよ」と言い。勝手な納得を、自分の中で結論付けた。

「あの、聖祈先輩は」
「なに、ウサギちゃん。心配しなくても、なのは先輩達に告げ口したりしないよ」

 一夜はもしかして、と。聖祈に訪ねる。聖祈は相変わらず、見当違いな理解を示した。いや。椿との秘め事を喋らないでくれるのは、ありがたいのだけれど。一夜が今問いたいものとは、異なっているのだ。

「椿の事、女性だと思っていたんですか?」
「え? ウサギちゃん。男だと知ってて、手出してたの?」
「はい」
「へぇ。それは、それは。興味深い」

 一夜の質問に驚いたように、聖祈は疑問を返した。一夜はそれに、素直に頷く。聖祈の瞳が、キラリと光ったような気がした。

「この男に、近づくな」
「――ッ」

 一夜の身体が、聖祈から遠ざかる。パーカーの乱れを正し終えた椿が、一夜の腕を引っ張ったのだ。
 椿は聖祈の不審な空気から守るように、一夜の身を自分に寄せる。絡められた腕から、椿の独占欲が伝わり。一夜はむず痒い感覚を覚えた。

「彼は僕の恋人なので、不用意に近づかないでください。“天羽先輩”」

 椿は一夜が自分の恋人だと、迷いなく宣言し。聖祈を威嚇する。
 椿は人間の好き嫌いが激しい。気に入っている相手には親切な顔を見せるけれど、気に入らない相手に向ける視線は真冬の雪のように冷たく、厳しいのだ。

「ワォ! 積極的だね椿姫。そうか、ウサギちゃんがキミの“王子サマ”だったんだよね。気高いお姫様を夢中にさせる男が、どんなタイプかと思っていたんだけど。意外に可愛くて、ボクも興味津々――うっかり。ハルちゃんに誤解されちゃったよ。参ったね」

 聖祈は椿から突き付けられた、明らかな敵対心をサラリと流し。聞いてもいない事をペラペラと喋りだした。最早、お馴染みの光景だ。
 聖祈と椿の間には、緋色と対している時のような火花は散らない。けれど椿の不機嫌さは深く募っているようだ。聖祈が言葉のマシンガンを飛ばしている間も、一夜の腕を掴んで離そうとしない。

「ああ。でも、男の子だったんだよね。折角可愛いあだ名を思いついたのに、残念だなぁ」

 聖祈はそんな椿の姿を見ながら、残念そうに肩を竦めた。
 聖祈が椿の事を『椿姫』と、呼んでいたのは、嫌みでも何でもなく。お姫様のように可憐な少女(本当は少年だったのだけれど)の名前に“姫”を付けて、あだ名にしていただけだったのだ。
 一夜が確認すると、聖祈はデュマ・フィスの名前を知らなかったようで。不思議そうな顔をされた。椿が「言わなくていい」と、言うので。一夜は聖祈に『椿姫』という題名の小説が有るという事だけを伝えた。
 明かされた真実。椿は気が抜けたように、聖祈への睨みを弱めていた。




 ◆◆◆



 ザブン。ザブン。蒼い海に足をつける。細かい砂粒が、指の間に入り込み。慣れない感触に、心が綻ぶ。
 一夜と椿はブーゲンビリアの茂みを抜け出し、涼やかな海に移動していた。

「ぁ、魚……」
「ん。どこ」

 澄んだ海水の中を鮮やかな小魚が泳いでいる。素早く移動するそれに、一夜の視線が引っ張られた。椿はそれを追うように、水面を見詰めている。
 椿は海に入る為に、蒼色のパーカーを脱いでいた。優美な肢体が、夏の陽射しに照らされている。

「ああ、本当だ。泳いでいるな」

 一夜が今まで海に来た経験は、学校の行事でしかなかった。深い記憶の海に沈んだそれにも、取り立てた思い出はなく。空虚に過ぎた、過去の残像でしかない。
 一夜は気づく。楽しいと感じた記憶の中には、何時も椿の姿が存在していた事に。それは二年――いや、三年前から続いている。色の付いた、大切な想い出だ。


「ねぇ、ウサギちゃん。マイ・ラヴ・エンジェルに写メ送りたいから、撮ってくれなーい」

 一夜が椿と海の中で戯れていると、渚から聖祈に声をかけられた。視線を向ければ、聖祈はケータイ電話を片手にしている。自分の水着写真を“マイ・ラヴ・エンジェル”さんとやらに送ろうとしているのだろう。
 聖祈はナルシストとまではいかないまでも、自分の容姿や肉体に、相当の自信を持っているようだ。何処で見つけて来たのか、際どいラインのビキニパンツを穿いている。しかも、ヘビ柄だ。

「ぁ。俺、……カメラ機能、使った事なくて……」

 一夜が所持しているケータイ電話の機能は、聖祈の持っているものと大差ないだろう。けれど一夜は通話とメール以外の機能を使用した事がなく。必要性も感じていなかった。だから、聖祈の要望を引き受けられず。申し訳なく思う。



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