初恋は桜の中で
サクラとツバキ2


 ジワジワジワジワ。蝉の羽音が、激しさを増す。
 35℃近い気温が、コンクリートに跳ね返されて。夏の陽射しが、肌を焼く。
 ジュワジュワ、と。ジュワジュワ、と。一夜の心に芽生えた敵対心が、陽の光に照らされてゆく。

「もう。どうして同じ学校なのに、会ってくれないの? 相変わらず、ツンデレさんなんだから。でもそこが、堪らない!」

 聖祈の口から言葉が湯水のように溢れる。聖祈は誰に対してもフレンドリーな青年だ。けれどその口調は椿の事を見知っているようで、何時もよりクルクル、と。よく回っていた。

「今でもキミと出逢った日の事を夢に見ては、眠れぬ夜を過ごす毎日だよ。椿姫」

 聖祈は椿の側面に移動して来た。日に焼けた小麦色の肌。夏休み前より、男の色気が増している。
 聖祈は椿が一夜の恋人だと知っている。けれどその唇は甘い口説き文句を連ね続けた。気に入った人間は口説く。それが聖祈の信条だからだ。

「もう、到着する頃だろう」

 けれど椿の耳は、聖祈の台詞を完全にシャットアウトし。無視を決め込む。聖祈に対する興味など毛ほどもない。態度がそれを物語っていた。
 一夜の手を引いて、スタスタと歩む。

「こんな場所で会えるなんて、何て運命的なんだろうね。そんな訳で、どうだい。これから三人でお茶でも」

 椿の完全拒絶状態を物ともせず。聖祈の言葉は溢れ続ける。底が見えない湧き水のように。

「行きません」
「ぇ、」

 聖祈の瞳が驚きに見開かれた。ハッキリとした拒否の言葉が、耳に刺さる。それは意外な人物から向けられた漆黒の矢。
 一夜が椿を守るように、聖祈を強く睨んでいた。

「椿は、俺の大切なひとなので。口説かないでください!」

 一夜は聖祈の瞳を真直ぐ見詰めて。自分の意思を伝える。
 一夜の心を侵食する独占欲は、そのまま椿への想いの強さ。気安く、大切な花(つばき)に触れないでほしい。

「ぅ、……ウサギちゃんの上目遣い。ああ!どうしよう、キスしたいッ!」

 淀みのない感情を伝える一夜の言葉を聞きながら、聖祈は衝撃的な台詞を空気に乗せる。
 聖祈の身長は183cm、一夜の身長は170cm。その差13cm。一夜が聖祈を睨んだところで、迫力など与えられず。目線を上に向ける。その仕種が、逆に聖祈を悶えさせてしまったようだ。
 聖祈は右手で唇を押さえ。中指の腹をチロリと舐めた。紅い舌先が、男の欲望を教えるように、淫猥な色を見せる。
 一夜の頬を一筋の汗が流れた。椿以外の人間と、キスなどしたくない。それは聖祈に対しての拒否反応。

「――僕の一夜を、厭らしい目で見るな。天羽聖」
「ッ!」

 聖祈の興味が一夜に向いて、初めて。椿は聖祈に目を向けた。ツバキ色の瞳が怒りを湛え。空気を氷らせる。
 椿が一夜に抱いている感情の強さは、並大抵のものではなく。聖祈のアリス・ブルーを潰さんばかりのオーラが立ち上がり。雪女に出逢ったような恐怖を、聖祈の心に植えつけた。

「女王様……!」

 怒れる椿に何を感じたのか、聖祈はその単語を呟き。瞳を輝かせた。
 どんな恐怖を覚えさせても、聖祈の性質に変化は起きないようだ。それはある意味、天羽聖祈と言う青年の意思の強さを物語っているのかも知れない。

「嫌がっているのが分からないのか! この色魔」
「ああ……! その冷たい眼差しが、堪らない」

 椿は一夜に色目を使う聖祈に、氷の矢を降らせる。
 冷たく鋭いそれに、聖祈は悦の表情を浮かべた。身を捩って。ハートを乱舞させている。

「椿くん。み〜つけた」

 その時、蜂蜜色の声音が背後から聞こえて来た。椿が振り返るよりも早く。その女性は弾むように、美しい少年に抱き付いた。紫黒色の艶髪が、衝撃に揺れる。

「姉さん」

 椿は自分に抱きついている人物を確認し。小さな溜息を吐いた。はしたない、と。唇が動く。それは、椿の姉・雪白菜花だった。
 菜花はつば広の帽子を、目深に被っていた。日焼け対策でもあるけれど、周囲に正体が気づかれない為の変装でも有った。有名人は色々と大変なのだ。

「一夜クンも、お久し振りね。今日も椿くんと仲良しさんで、お姉ちゃん。きゅんきゅんよ」

 菜花は椿に腕を巻きつけながら、一夜に向き直る。桜色の帽子から覗く笑顔は華やかだ。
 菜花は山吹同様。一夜の事を気に入っていた。それは弟のウェディングドレス姿を思い描くほど。将来へのビジョンを持っていた。

「はい。お久し振りです。お姉さん」

 一夜は菜花に挨拶を返す。一夜は菜花の登場に、驚いてはいない。
 菜花は午前中に仕事が入っていたそうで。今回の旅行には、途中参加という形で加わる、と。聞かされていたからだ。
 菜花の仕事は雑誌撮影だったらしく。都会を離れた地方で、行われていた。このパーキングエリアを休憩場所に選んだのも、その場所の付近に有ったから。休息がてら菜花の合流を待っていた、と。いう訳だったのだ。

「な、なのは先輩」

 菜花の登場に驚きを表していたのは、聖祈の方で。何時も飄々と人の話を流している青年にしては、珍しく。緊張しているようだ。
 菜花は聖祈のモデル事務所の先輩。その人気は天と地ほどの差が有り。菜花は稼ぎ頭のスーパーモデル。対して聖祈は駆け出しの新人。馴れ馴れしい態度など、取れないのだろう。無限に舞っていたハートは、鳴りを潜めている。

「あら、聖クン」

 雪白兄弟は、聖祈の事を聖(ひじり)と呼ぶ。天羽聖祈という本名より、天羽聖という芸名の方が馴染み深いからだろう。
 一夜が「聖祈先輩」と、言うと不思議そうな顔をされた。直に聖祈が、本名だと説明したけれど。



 ◆◆◆



 流麗なピアノの旋律。スピーカーから流れる愛の夢。
 一夜達が車に戻る、と。車内を包むBGMはヴァイオリンソナタから、有名なピアノ独奏曲へと移っていた。山吹の趣味はクラシック音楽鑑賞なのだそうで。移動時の選曲には、自然とそれが選ばれていたのだ。

「そうなんですよ。ウサッ……卯月クンは部活の後輩で」

 自由奔放な羽根が舞う。歌うように軽やかなメロディーは、色気を含んだ男の低音。
 現在・ダークブルーのミニバンには、六人の人間が乗り込んでいる。増えたのは、二人。菜花と、そして――聖祈だ。
 事実は小説よりも奇なり。人生はどう転ぶか分からない。聖祈が一夜の知り合いだと知った菜花は、次いでだからと山吹に会せに行った。
 それに不敵な笑みを浮かべたのは、緋色で。聖祈に暇なら来ないか、と。車を指し示して。突然の旅行に誘った。
 冗談でしょう、と。断ってしまう事は簡単だった。現に緋色は、聖祈に対して強引さを見せなかったのだから。けれど聖祈は「え〜? 良いんですか〜」と、何時もの軽口を緋色に返したのだ。
 その結果が、今の状況なのである。

「はぁ……。緋色さん。なんて、ワイルドな男前」

 聖祈は語尾にハートマークを付けて。車を運転する緋色の後姿を見詰めている。緋色の事も、気に入ったようだ。
 それに山吹の耳が、ピクリと動く。特に何かを言う事はなかった。けれど一夜は、山吹の複雑な心境を感じ取った。それは一夜が数分前に、感じていたもの。自分の恋人に色目を使う男に対する嫉妬心と、よく似た色をしていたから。

「軽薄な男だ」

 椿が吐き捨てるように言う。確認するまでもなく。それは聖祈に対しての氷の矢だ。
 椿は聖祈の事が、気に入らないらしい。当たり前と言えば、当たり前だろう。聖祈が使う椿のあだ名『椿姫』それから連想されるものは――娼婦・マルグリット。
 聖祈に何かしかの思惑が有り。その名で呼んでいるのかは、不明だ。けれどそれは『愛人の子供』と言われ続けた椿の心に、傷を付ける結果となったのだろう。椿は聖祈の顔を見ようともせず。城壁を高くする。その言葉を耳に入れないように。傷つかないように。
 椿は自分の心を守る為に、その心を閉ざす道を選んで来たのだ。一夜の心が、それを敏感に感じ取る。

「椿……」

 椿の心の壁が厚くなる。一夜はそんな時に、自分の無力さを感じた。一夜は椿と孤独を分け合う事は出来ても、その闇から救う事は出来ないのだ。
 一夜は自分に憤る。山吹のような人間で有ったのなら、その深い愛情で優しく包む事も。涙を拭く事も、出来るのに。
 一夜は椿がそうしたように、彼の左手に自分の右手を重ねた。その手を離さない。そう誓った日の想い。それは一夜の中で、薄れる事なく続いている。確かな感情。椿が一夜の感情の針を動かしたように、一夜も椿の中の孤独を癒したいと願う。
 広い世界の中で、出逢った。孤独な魂。椿が一夜に感じていた感覚。それは、一夜も同じ。椿は一夜の魂の片割れ。
 一夜は自分の無力さを抱えながら、椿に想いを伝えた。君は独りじゃない、と。愛しい少年の手を握る。

「っ……!」

 一夜の想いの詰まったそれを、椿は握り返した。一夜よりも低い体温が、心に沁み込む。一夜は椿の左手を、ずっと握り続けた。孤独な魂を癒すように。



 ◆◆◆



 車に運ばれ、二時間。到着した目的地は、風光明媚な海辺だった。
 潮の香りが、鼻孔を擽り。水面はキラキラと光る。空を映す蒼が、雄大な色を見せ付け。白い砂浜は熱を吸収して。柔らかい砂に、足が沈む。
 プライベートビーチ付きのコテージ。車から荷物を運び。いざ、夏の海へ。

「きゃっ。冷たい」

 菜花がいち早く、海の水へと足をつける。波と戯れるその姿は、渚のビーナス。此処が大衆犇く海水浴場ならば、男達の視線はすべて菜花のもので有っただろう。

「椿くーん。お姉ちゃんと、遊びましょう」

 菜花は両手を大きく振って、椿を海へと誘う。波がザブン、と。打ち付けられて。天真爛漫な笑顔が咲いた。菜花の笑顔は花のように華やかだ。

「後で」
「もう、そう言って。最近、遊んでくれないんだから」

 菜花は椿から返された素っ気無い台詞に「思春期なんて、きらいよ」と、頬を膨らました。椿が姉の遊びに付き合わなくなったのを、思春期特有の反抗心だと判断したようだ。
 椿に振られた菜花は、今度は山吹と緋色を誘う。山吹はカモメの鳴声に耳を傾け、木陰でゆるりとしていた。けれど緋色に背中を押され、海の中へと連れて行かれる。程なくして、夏のビーチを楽しそうな笑い声が包んだ。



「少しは気を使ってほしい、と。思わないか」
「――ッ」

 山吹・緋色・菜花の三人は、海に浸かり。ビーチバレーを堪能している。きゃっきゃっ、と。燥ぐ菜花の明るい声音が、耳に遠い。
 椿はその光景を横目に、一夜の耳元に囁く。男の欲望を刺激するような、甘い睦言を。

「つ、ばき……」

 一夜の鼓膜を椿の中音域が揺らす。椿は鮮やかな蒼色のパーカーに身を包み。上半身を一夜の目から隠している。けれどスラリと伸びる長い脚は、惜しげもなく晒され。その身の白さを一夜に教えていた。
 一夜の脳裏に、車内での出来事が浮かぶ。お互いに指を絡ませ。体温を分け合った。誰かに見つかるかも知れない、スリリングな記憶。

「一夜……。やっと、二人っきりになれた」



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あきゅろす。
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