初恋は桜の中で
恋の嵐は六角関係2


 学園の裏手には、数十本もの樹木が植えられていた。それは春に薄桃色の花を咲かせ、人々の眼を楽しませる。桜の木。
 今の季節は夏。青々と茂る葉は、眩しい日差しを和らげ。木漏れ日は、サラサラと揺れ。初夏の風を肌に届ける。
 そこは桜架の密かな休憩場所。

(どうして、聖祈くんは“ああ”なんだろう)

 桜架は桜の幹に寄りかかり。思想する。
 突然のキスは、聖祈の唇を避ける事で何とか避けた。けれど聖祈はそれでも楽しそうに『テレ屋さん』と、桜架にウインクを飛ばしたのだ。
 その仕種は色っぽく。心臓がドキリと音を立てた。それは桜架のではなく。その光景を見ていた女子のもので。羨ましそうなその視線に、汗が流れた。
 聖祈はモデルをしているだけあって。整った容姿をしている。育った顔立ちは男の色気を充分過ぎるほど醸し(チャームポイントは長い下睫毛なのだそうだ)。引き締まった肉体は、力強さを感じる。身長も桜架より三cm高い。183cm。
 桜架は幼い頃から身長が高かった。並び順は何時も後。同級生の中でも一番高く。それは高校二年生になるまで続いていた。大よそ“カワイイ”とは無縁の身長。子供の頃はそれでも“可愛い”と言われていた事もある。
 しかしそれは桜架よりも、背の高い大人からのもので。それも精々小学生までの話。中学に上がる頃には“格好良い”に変化していた。
 けれど聖祈はそれを気にせず口にし。序に過度なスキンシップを仕掛けてくる。
 桜架はそれに関して、溜息を零すばかり。そういった行為は、好きな相手にのみ行ってほしい。それが正直な感想で、天羽聖祈というクラスメイトに向ける感情のすべてだった。

(桜子ちゃんの成長に、悪影響が出なければいいけど)

 桜架は妹・桜子の姿を思い浮かべる。
 桜子は純粋で可愛い。それは身内の欲目ではなく。桜子は実際問題、男子に人気が高い。それは兄として、自慢であり。そして、同時に心配の種でもあった。悪い虫にでも付かれたら。そう思うと、桜架の心は細波を立てる。
 聖祈が桜子に会えば、確実に気に入るだろう。それが嫌なら、会わせなければいい。
 けれど聖祈は、桜架が部長を務める天文部に見学に来る約束をしていた。そして桜子は、部員不足の天文部に人が増える事を望んでいる。
 桜子の身は勿論心配で。心配で、心配で。この胸から溢れてしまいそうなのだけれど。兄の一方的な感情で、桜子の希望を潰してしまいたくない、と。言うのも、正直な感情なのだ。
 だから桜架は、この件に関しての決定権を桜子に渡していた。彼女が『NO』と言えば、聖祈を天文部に入部させる気はない。

(それに、一夜くんにも)

 漆黒髪の無口な少年。それは桜架の、もう一つの心配の種。
 一夜は感情をあまり表に出さない。だから聖祈に無理に迫られて。本人が嫌だと思っていても。桜架はその動かない表情から『SOS』を感じる事が出来ない。
 一夜も男であるのだから、抵抗はするだろう。けれどその身体は見るからに細く。力を加えれば、簡単に組み敷かてしまいそうだ。
 そして桜架が現在・気にしている相手とは、その一夜なのだ。
 一夜からの告白は突然で。桜架の頭の中は混乱と動揺で埋め尽くされていた。結果として、その時は断ってしまったのだけれど。もしも“今”同じ台詞を言われたら。自分はそれに頷くのだろう、と。桜架は自覚していた。
 けれど一夜からその台詞を聞いたのは、一度きりで。その後の彼は、物静かな部活の後輩を貫いていた。
 それは同性から告白をされた先輩に、気を使ってそうしているのか。それとも、一時の気の迷いでした、と。遠まわしに伝えられているだけなのか。桜架には読めなかったけれど。その心は、確かに揺れていた。

「――何だよ、それ。先週まで、そんな気なかったくせに!」

 思想の海に沈む桜架の耳に、少年の声音が飛び込んできた。その音は憤り。己の内側から沸きあがる怒りを、必死で抑えていた。
 桜架はその声に聞き覚えがある。生命力に溢れた、元気な声音。それは、一夜の友人・葉月夏陽のものだ。
 何時も明るく。光り輝く夏陽のそれは、色を落とし。突きつけられた残酷な現実に、歯向かっている。

「やっぱり、あっちが“駄目そう”だから。近場で済まそうとか。そんなんだったら、どうするんだよ!」
「彼がそんな人間ではない事を、君だって知っているだろう。葉月」

 けれど夏陽が立ち向かう現実は厳しく。どんなに不平を並べても、物怖じ一つ見せず。少年のそれを跳ね返した。
 まるで高く聳える城壁が、言葉の矢をその心に届かせないように。

「――それに彼は“僕の事を、情熱的に愛してくれた”。それだけで、充分だ」

 けれどその強固で冷たい心の壁が、綻びを見せた。しかしそれは、想いをはせた一瞬で。凛と響く中音域は、直に冷たく冷えた雪風を運ぶ。
 その流麗な音を持つ少年も、一夜の友人――いや、その間柄は“親友”と呼んだ方がしっくりするだろう。
 それほど彼らの仲は良く。そして深い絆で結ばれていた。それは何人たりとも、足を踏み入れられない。聖域のように。
 桜架はその少年・雪白椿の事情を噂話程度でしか知らなかった。けれど伝え聞いたそれらは、色々と複雑で。
 椿の胸の内側を想像するだけでも、真っ黒な闇の中へと落ちてしまいそうなほどに、冷たいものだった。

「なに、……それ。もう、ヤったの……? ――オレには、指一本触らせてくれねぇのに」

 夏陽の声が絶望に震える。
 桜架にも、その言葉の意味が分かり。頬が朱に染まった。
 桜架と夏陽・椿は桜林に囲まれた一角にいた。
 その距離は近く、彼らの話し声が充分耳に届く。けれど立派に聳える大樹に阻まれ、その姿や表情を窺う事は困難。
 それ以前に、桜架がこの場所にいる事を、夏陽達は気づいていない。話に集中しているからだ。
 生徒が余り寄り付かない夏の桜林を、その場所に選んだのも。人に知られたくない話題を話し合うためなのだろう。

「君にだって、朝霧君がいるだろう。僕たちの事情に、文句を言われる筋合いはない」
「ふ、冬乃とは、そんな関係じゃねーて。何度も言ってるだろ」
「どうだか」

 夏陽のそれが、今度は動揺を伝える。それから読み取れる感情は、複雑な色を宿し。夏陽自身でさえも、その答えを知らないのだろうと感じられた。
 友達以上恋人未満。そんな微妙な間柄。
 朝霧冬乃。それは眼鏡がトレードマークの少年。
 桜架は冬乃の人となりを詳しく知っている訳ではなかった。けれど冬乃は図書委員をしていて。だからその顔と名前を認識していたのだ。

(ええーと、つまり。椿くんには、付き合っているひとがいて。夏陽くんは、その椿くんの事が好きで。でも、冬乃くんと微妙な関係で)

 それは俗に言う四角関係。けれどこれは、普通のそれとは違う。絡まる人間関係の糸。それに繋がっている人物は、全員男性。
 桜架の脳が、整理したそれに、驚愕を訴える。

「えぇえぇええ!?」

 驚きに叫ぶ声音が、桜林に木霊し。それに驚いた鳥が、休めていた翼を羽ばたかせ。晴天の青空に、二対の白が飛んでゆく。

「……」
「……」

 夏陽と椿の話し声が、止まった。空間の第三者・桜架の存在に気づいたのだ。

「その声。桜架先輩ですか」

 桜架の肩が、問いかけられたそれにビクリと跳ねた。それは椿の声。口調は質問を乗せていたけれど。その音は、確かな確信を含んでいた。叫び声一つ聞いただけで、その人物を特定したのだ。
 それが桜架の焦りを加速させる。プライベートな話を盗み聞いていたのだ。嫌悪感を抱かれても、おかしくない。

「タイミングがいいと言うか。何と言うか」

 桜架の背中をじっとりした汗が流れる。
 椿は完全に、桜架の存在に気づいている。姿を見せたほうがいいのだろうか。
 けれど桜架の足は罪悪感からか、中々動いてくれない。それにまた、焦りが募る。

「いいですよ。気まずいなら、出て来なくても」

 桜架が考えあぐねている内に、椿の言葉は先に進む。姿を見せない青年の心情を、見抜いているように。

「椿ちゃんって。一夜の前でも、そんな感じなわけ?」
「そうだな“勝手に話を進めないでください”と、言われたばかりだ」

 張り詰めていた空気は、親しい友人のそれに戻ったように、鼓膜に届く。桜架が焦っている間に、彼らの中で一つの答えが出たようだ。
 二人の足音が、桜架がいた場所から遠ざかって行く。桜林を出て行ったのだ。
 それが伝わり。桜架の肩から、力が抜けた。

「はぁぁぁ〜。びっくりした」

 気が抜けた桜架は、その場にズルズルとしゃがみ込む。
 夏の木漏れ日よりも、大地との距離が近くなり。足元に生えた草花から、緑の匂いが香った。
 桜架は夏の香りに包まれながら、自分の頬を両手で蔽う。それは熱を帯び、動揺を伝えていた。
 30℃を越える高い気温が、額に汗を浮かばせる。暑い。けれど背中に感じるそれは、冷たく。ひんやりとしていた。
 男同士の修羅場を聞いてしまった。それは初めての経験で。そして長い人生の中で、遭遇するとは思いもしていなかった。出来事。

「一夜くんも、知ってるのかな」

 一夜と椿は仲が良い。夏陽が問い詰めていたくらいだし。友人同士の会話の中で、それが話題に上がっている可能性は高い。
 桜架は目を瞑り、想像する。けれど一夜が色話に興味を示している姿はイメージを越え。最早別人のような映像を浮かばせた。
 一夜は恋愛関係の話に疎そうと言うか、何事に関しても興味を示している姿が想像し難い。それは一夜が寡黙で、感情の起伏を表に現さない性格をしている、から。なのかも知れない。
 同性に告白するくらいなのだから。一夜の恋愛対象は、男性なのだろうけれど。それに身の危険を感じた事はなく。寧ろ年下の初々しさに、心を和ませるくらいだ。
 聖祈にも、一夜の慎ましやかさを見習ってほしいとさえ、思う。

「何て、言ったんだろう?」

 親しい人間に、同性の恋人が出来た時。一夜は祝いの言葉を口にしたのだろうか。それとも夏陽のように、相手との関係を咎めたのだろうか。
 どんなに考えても。桜架の中で、その答えは出ない。

「――“椿くんの恋人”って誰なのかな」

 椿の兄は俳優として活躍している『雪白山吹』だ。山吹の人気は本物で。その種のアンケートを採れば、必ずと言って良いほど上位にランクインしている。
 身内に理想的な男性像がいるのだから。その目が肥えている事は、容易に想像出きた。
 夏陽の男としての魅力は、充分だ。けれど彼は椿の恋の相手ではない。桜架は悩む。この学園に“山吹レベル”の色男など、いただろうか。会話の内容から、夏陽とも親しい人物のようだったけれど。

「……ハァ」

 分からないな、と。桜架は息を吐く。
 椿と夏陽。そのどちらとも、親しい人間が一人いる。けれど桜架は、その人物の可能性を頭の中から除外していた。
 一夜が椿の恋人である可能性。それを完全に除外して、考えをめぐらせていた。それでは何時までたっても、正しい答えに辿りつけない。
 けれどこの時の桜架は、それに気づけなかったのだ。



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