初恋は桜の中で
愛情の欠片2


「へぇ。……なるほど」

 緋色は沈黙を守っていた一夜を瞳に映す。
 身長は平均的。
 けれど痩せた体は、一見して貧相にも見える。
 夏制服の上から観察しただけだけれど、緋色はそれなりに男の身体≠知っている。
 だから一夜の身体を包む筋肉が薄い、と。少年の裸を見なくとも、簡単に想像出来た。
 おそらく演技の練習で動き回っている椿の方が、一夜よりは良い身体≠しているだろう。

「……あの……」

 緋色に少年の声音がかかる。
 それは緋色に身体を観察されていた、一夜・本人のものだった。
 小さいけれど、その音色は良い音だ。
 重厚に響くバイオリンのように。心の中に沁み込む。
 緋色はその音を気に入った。山吹ほどではないにしろ、それは中々の美声であったから。
 寝物語を聞くのなら、こんな音が望ましい。

「止めて下さい」

「っ……!」

 緋色の目の前から、突然一夜が消る。
 緋色と一夜の間に、椿が割って入って来たのだ。
 緋色からは椿に遮られて、一夜の姿が見えなくなる。

「あ……?」

 緋色は一夜を、値踏みするような目で見ていた。その自覚は、ある。
 けれど椿の冷たい声音に、緋色の反発心は刺激される。

「卯月が怯えている」

 椿は言葉を重ねる。
 それは真冬の雪のように、冷たい声音。心を閉ざした、冷たいこえ。

「怯えてる……?」

 その言葉を聞いて。
 緋色は椿の肩越しに、一夜の様子を窺う。
 長い前髪に隠されてはいるけれど、眉一つ動いた形跡もない。完全なポーカーフェイス。
 緋色には、とても見ず知らずの男に怯えているようには、感じられなかった。

(つか。前髪に隠れて、表情なんて殆ど分からん)

 緋色の眼は鋭く紅い。三白眼だ。
 幼い子供などには、怯えられて。泣かれる。大人相手でも、身を竦ませる者は多い。
 だから椿は今までの経験から∴齧驍ェ怯えている、と。言っているのだと、緋色は考えた。

「すみません。あの、……」

 一夜が口を開く。
 その言葉は緋色に投げられたものだ。

「秋空緋色」

 緋色の名前を知らない一夜の言葉を助けるように、椿が口添える。
 一夜が何を言いたいのか、椿には分かっているようだった。

「秋空さん。……俺、」

 一夜は椿の影から抜け出して、緋色の正面に移動する。
 緋色の眼に映る一夜は、無表情で。何を言いたいのか、伝えたいのか――緋色には、読めなかった。

「卯月が謝ることはない。君を嫌らしい目で見ていたのは、この人の方だ」

「でも、雪白くん……」

 一夜の反応を見た椿の表情が、曇る。
 それはまるで、この空を覆いつくす灰色の曇天のようだ、と。緋色は感じた。

「――怖いんだろう。ああいう眼が……!」

 震える声音。
 緋色は椿のそんな声を、聞いた事がなかった。
 緋色が知っている椿の声は、何時も冷たくて。決して溶けない、雪氷のような音であったから。
 その心が閉ざされているように、その声音が揺らぐ事もないのだ、と。思っていたのだ。
 けれど、どうだ。
 緋色のその椿に対しての認識は、一夜の前では脆く崩れ去る粉雪のようではないか。
 『怯えている』と。言ったのも、過去の経験からではなく“今の”一夜を見て、出てきた言葉なのだろう。

「秋空さんは、……父さん≠ニは、違う……。だから、怖くない。です」

 緋色を真正面から見ていた一夜は、椿と向き合う。
 横を向いてしまった、無口な少年の輪郭。
 緋色の眼には、お互いを見詰めている一夜と椿の横顔が映る。
 けれど長い髪と俯く雲に隠されて、その表情を窺う事は出来ない。

「卯月……ッ」

 緋色は、椿が泣いているのかと思った。
 けれどその雪のように白い頬を濡らすものは、涙ではない。
 その頬を濡らすものは、天から降り注ぐ雨粒。
 儚い桜色の傘が、椿の足元に転がっている。

「つば、……雪白くん」

 強く抱きしめられる少年の背中。
 一夜の声音が、動揺に揺れる。けれどそれは、小さな揺らぎで。
 だから緋色は、それが椿の片想いなのだ、と。感じた。
 一夜の求めている愛情は、椿のそれとは違うのだろう。
 そして椿は、自分が一夜の求めている愛情を与えられない事を、知っているのだろう。

「濡れて、しまいます」

 一夜の指先が、雨に濡れた頬を拭う。
 緋色は一夜の事情も、椿の心の内側も知らない。
 次いでに付け加えると、椿の事は生意気なクソガキ≠セと思っている。
 恋人である山吹が『弟と仲良くしてほしい』と何度頼んでも、緋色がそれを実行した事は一度もない。
 緋色の中の椿は山吹の心を傷つけた男≠フ、子供でしかなかったからだ。
 山吹の弟だ、と。何度も自分に言い聞かせた。
 けれどその度に、緋色の頭の中に浮かんできたものは――美しい男の横顔だった。
 それは合わせ鏡のように、よく似た。椿の父親の、横顔。
 優しくなんて、出来ない。
 愛情なんて、向けられない。

『だって、お前の父親は――オレの大切なひとの心を傷つけた!』

 子供だった。その時の緋色は、幼い子供だったのだ。



「ッ……!」

 緋色は憤りを感じていた。
 一夜と椿は、幼い雛鳥だ。
 親の愛情が欲しい、と。ピーピー泣いている。
 幼い、雛鳥。

「……濡れたって。構わない」

 ――何故、誰も。

(オレも)

 その鳴声に、気づかなかった。
 その涙を、拭ってやらなかった。
 愛しいていると、抱きしめてやらなかった。

「バカじゃねーの」

「ッ……!」

 緋色は桜色の傘を拾い上げる。
 道に放り出された傘は、泥で汚れていた。けれど、壊れてはいない。
 少女のような傘。菜花が選んだのだろうな、と。緋色は思った。

「姉ちゃんが選んでくれた傘だろうが、簡単に捨てんな」

 緋色は傘に付いた泥を払って、椿の右手に握らせる。
 憎い男の、生意気なガキ。
 けれど椿は、緋色の恋人の弟≠セ。
 それを受け入れるのに、緋色は随分と時間が掛かってしまった。

「捨ててません」

 椿は決まり悪そうに、緋色から顔を背ける。
 けれどその右手は、傘の柄をギュッと握っていた。

「あと、お前――ぁ、名前……知らねぇや」

 緋色は一夜の顔を覗き込む。
 長い前髪の間からは、涼やかな目元が見える。
 意外に整った顔立ちをしているのだな。緋色がそう思った瞬間、椿の冷たい視線が突き刺さった。

「卯月一夜です。秋空緋色さん」

 一夜の名前を聞いた緋色は、笑みを浮かべた。ニヤリ、と。嫌らしい笑みを。

「よし!コイツ、山吹に見せに行くぞ」

 緋色は名案を思いついた、と。指を鳴らした。

「はぁ!?」

 それに椿が抗議の声を上げた事は、言うまでもない。



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