初恋は桜の中で
愛情の欠片1


 曇天に覆われた、薄暗い空。
 梅雨の長雨が続く灰色の世界に、紅色が揺れる。
 憂鬱な空気に不似合いなほどの、鮮やかな紅。
 それは燃えるような、紅色の髪。
 背中まで伸ばされてたそれが、湿気を含んだ風に揺らされ。炎のように舞う。
 強固な意志を宿した瞳は、世界を鋭く映す鏡。
 しなやかな筋肉に覆われた胸板は、無駄な肉一つなく。
 広い肩幅も、男らしい線を描いている。
 年の頃は、二十代後半。

 「おい」

 その紅髪の男が、声を発した。
 低く男らしいそれは、一人の少年に投げられたものだ。

「……」

 けれど下校途中のその少年は、紅髪の男に一瞥もくれる事無く。
 その横を通り過ぎようとしていた。

「〜〜っとに、ムカつくガキだな!」

 男のこめかみに青筋が浮かぶ。
 強面にも映る容姿と、横柄な態度。
 気の弱い者なら、怯えてしまう大きな声音。
 けれどその美しい少年は、それをサラリと無視する。
 紅髪の男の存在に気づいていない。の、ではない。
 気づいた上で、わざと男の存在を視界に入れないのだ。

「……お知り合い、ですか?」

「さぁ? あんな粗野な男。僕は知らないな」

 その美しい少年・雪白椿は共にいた友人の質問に、サラリと返す。
 しかしその漆黒髪の友人は、紅髪の男の存在が気になるようで。
 長い前髪の間から覗く瞳が、燃える紅を窺っていた。

(いっそ、そのお友達≠人質にでもしてやろうか)

 そんな物騒な考えが、男の頭の中に浮かぶ。
 けれどそんな事をしたら、椿は確実にその事を兄≠ノ訴えるだろう。
 だから男は、その計画を手放した。
 自分の弟を猫かわいがりしている山吹を怒らせたら、色々と面倒なのだ。
 ――その男の名前は秋空緋色(あきそらひいろ)
 椿の兄・雪白山吹の恋人≠セ。



「そんな事より。卯月、コンビニに寄るなら……」

 椿は漆黒髪の友人・卯月一夜に新たな話題を振る。
 緋色の存在は完全に無視。
 椿は、兄・山吹の事を尊敬している。けれどその感情と、緋色の存在は比類しない。
 粗野で横柄な緋色の事が、椿は気に入らないのだ。
 もっとも椿が気に入っている人間など、数えるほどしかいないのだけれど。
 それも両手ではなく、片手で収まってしまう人数だ。

「お前のだぁ〜い好きなお兄ちゃん≠ェ呼んでるぞ」

「……」

 緋色のその台詞に、椿はピタリと歩みを止める。
 その反応を予想していた緋色は、笑みを浮かべた。ニヤリと嫌らしい笑みを。

「――ああ、兄さん。……うん。そう、今。……本当に? ……分かった」

 椿は緋色の台詞に歩みを止めた。けれどそれは、緋色と向き合うためではなかった。
 椿は携帯電話を取り出し、山吹に連絡を取ったのだ。緋色の台詞が真実なのか、確認するために。
 そしてその椿の対応に、緋色は青筋を深めた。

「本当だったか。残念だ」

 椿は山吹への確認を済ませ。携帯電話を閉じる。
 そして戻そうと開いたスクールバックの中に、文庫サイズの本が隠れているのを見つけ。しまった。と、思った。
 この本は桜架に返そう、と。持って来ていたもの。
 椿は演劇部の練習に集中していたので、天文部に寄るのを忘れていたのだ。
 放課後は毎日演劇部の練習がある。
 だから返すなら、明日以降。
 休み時間に二年生のクラスまで行かなければならない。

「卯月、桜架先輩のクラスは分かるか? 。この本を返したい」

 一夜は桜架と同じ部活・天文部に所属している。だから二年生の桜架のクラスを知っている可能性が高い。
 そう思った椿は、文庫サイズの本を取り出し。一夜に問うた。

「はい。……ぁ、俺が渡しておきます」

 一夜はその本に見覚えがあった。
 椿が演劇の資料用に、と。桜架から借りていたギリシャ神話の本だ。
 椿は演劇の練習が始まって、忙しいそうにしている。
 だから、それくらいの事は引き受けたい。
 一夜はそう思い、椿に申し出た。

「ありがとう。助かる」

「いえ」

 そんなやり取りの後。
 ようやく椿は、緋色を視界に入れる。
 緋色の青筋は、もう限界値に達していた。

「……ハァ。兄さんはこんな粗野な男のどこが良いんだ。理解に苦しむ」

「年々生意気に成るな、クソガキ。そんなに山吹を盗られて悔しいか」

 椿と緋色の間に火花が散る。
 その原因は雪白山吹。
 椿は兄の趣味が悪い、と。嘆き。
 緋色は恋人の弟の態度に、怒りを深めていた。

「……」

 一夜はその光景を黙って見ている。
 椿は一夜に、緋色を知らない、と。言っていたけれど。
 その会話は明らかに、見知った人間同士が交わすものだったから。
 邪魔をしてはいけない、と。思ったのだ。

「悔しくない。貴方だから、文句を言っている。兄さんには、もっと理知的で落ち着いた人間を選んでほしかった」

「理知的……? ハッ!。 そんなの、山吹とキャラ被ってるじゃねーか。似てないから、良いんだよ。ガキ」

 緋色は椿の言葉を鼻で笑った。
 緋色は口より先に手が出るタイプだ。
 けれど山吹は、理知的で落ち着いた、大人の男性。
 正反対な性格。自分とは違うものの考え方。
 反発する事もある。けれどそれ以上に、緋色は山吹の自分とは違う部分≠ノ惹かれていた。
 もしも山吹が、緋色と同じような性格をしていたら。
 緋色は山吹に、惚れていなかっただろう。

「――大体なぁ。オレにんな文句言うなら、お前もそのガキ℃R吹に見せに行ってみろ」

 緋色は椿と共にいた少年・一夜に視線を向ける。
 緋色が一夜を見たのは、今日が初めて。
 けれど一夜が、椿の想い人だという事くらいは分かる。
 一夜といる椿の雰囲気が、明らかに他と違っていたから。
 緋色だとて、椿を幼い頃から知っているのだ。
 だからそのくらいの変化には、気が付く。

「お前の男なんだろ? その前髪」

「なッ違う! 卯月は僕の友達だ」

 緋色の言葉を、椿は素早く否定する。
 けれど緋色はその反応に、笑みを浮かべた。

(なんだ、片想いか。……面白れぇ)

 山吹にベッタリだった。生意気な椿が、片想い。
 面白い。面白、と。緋色は腹の底から湧き上がる笑い声を、必死で抑えた。



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あきゅろす。
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