初恋は桜の中で
君の笑顔を知らない5
葉月夏陽が雪白椿という存在を知ったのは、今から九年前の事だった。
『どうですか、この林檎。とても美味しそうでしょう? 』
『まぁ、ほんと。とってもおいしそうね。パクッ』
小学一年生の時に、学校の催し物で演劇会が行われた。
そこで夏陽は初めて、心を奪われるという感覚を体験したのだ。
『嗚呼。愚かな白雪姫。毒が塗ってあるとも知らないで、食べてしまうから。アッハハハハハハ』
――それは、雷に撃たれたような衝撃だった。
演劇会といっても、所詮は拙い子供のお遊びだ。
台詞だってスラスラ言えないし、動きもぎこちない。
演技なんて言葉の意味も、良く知らない。
そんな子供の中に、いたのだ。
その言葉の意味を知っている子供が。雪白椿が。
「凄いわねぇ。あの子」
スポットライトに照らされる、白雪姫の魔女に感嘆の息が漏れ。
自分の子供の晴れ姿を撮るはずだったビデオは、小さな魔女を追いかける。
観客の話題の中心は、完全に悪役である筈の魔女に集中していた。
「先生がそろそろ準備しろってよ。夏陽」
「ぁ…。ごめん!」
前のクラスの劇が終盤に差し掛かったら、その次に劇を演るクラスは観客席を離れて、舞台裏に移動する。
そして自分達の劇が始るまで、その場でスタンバイしておくこと。
劇の練習と共に、先生から言われていた約束事だ。
けれど夏陽は、ぞろぞろと移動を開始したクラスメイトの動きに気づく事が出来なかったのだ。
友達の一人が心配して迎えに来てくれるまで、舞台上のその子供に心を奪われていたから。
「キンチョーしてんの? 」
足早に舞台裏に移動して、一息つく。
と、迎えに来てくれた友達が話しかけてきた。
舞台の上では、白雪姫の劇が未だ続いているようで。
王子様がどうの。と、聞えている。
あの魔女の出番は、もう終わっているようだ。
「そうかも」
軽く笑って答える。
けれど夏陽の耳には、打ち続けられる太鼓の様に大きい、自分の心臓の音が響いていて――
「ねぇ、ママが言ってたんだけど。雪白くんって――…優の、――…子…なんでしょ? 」
「え〜!そうなの? 」
「そうそう。…愛――…の…――なんだよねぇ」
「しらなかったぁ」
「ニュースみないからだよ。きゃっははははは」
その友達の声も、クラスメイトたちがしていた噂話も、届いてはいなかった。
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