初恋は桜の中で
君の笑顔を知らない1


 季節は桜の花が咲き誇っていた春から、若葉芽吹く初夏へと移る。


 毎朝六時に鳴る目覚まし時計を止めて。
 漆黒髪の少年・卯月一夜は顔を洗うために洗面所へと向かった。


 六月の初めとはいえ肌に感じる気温は既に熱を持っている。
 今年は暑くなるかもしれない、と、蛇口から溢れる水に冷を求めた。





「行って来ます」

 返事の返ってこない家の中へ呟いて。一夜の心はチリリと痛む。
 もう何年こんな事を繰り返しているのだろう。
 こんな言葉を幾ら音にしても、反応が返って来た事など一度としてなかったのに。

 でも、それでも。
 期待してしまうのは、一夜の心があの幼き日々から、抜け出せていないせいなのかも、知れなかった。
 


 
 ◆◆◆




「――で、どうなってるんだ? 」

 弁当の玉子焼きを箸で摘みながら夏陽が問う。
 それに一夜は「何がですか? 」と、答えて、コンビニで買ったオニギリを口に運んだ。

 自宅と学校の途中にある全国チェーンのコンビニ。
 そこで買うオニギリは、当たり前だけれど何時も同じ味だ。
 けれど一夜は、もうそれに慣れきってしまっていて。
 ただただ機械的に、冷えているそれを口に運ぶ作業を繰り返すだけ。
 それだけで、彼の昼休みは終わっていた。

 ――夏陽と椿が一夜の友達になる前までは。

 味の無かった昼食の時間が楽しみになったのは、明るい性格の夏陽が色々な話題を一夜と、同じく人付き合いが煩わしいと言っていた椿に、振って来たからだった。
 それまで人と喋る事が得意ではなかった(それは今でもそうなのだけれど)一夜も、夏陽の話に付き合う内に、言葉数が少しだけだけれど増えていた。

 その夏陽の最近の話題はと言うと、一夜の天文部での近状報告を聞く事だった。

「神話の本が面白いです」

「ああ、そうだ。今度の劇の題材ギリシャ神話なんだ」
 
 「何か詳しい本ある?」と、椿が一夜に問うた。

 友人の恋路に興味津々の夏陽とは違い。椿は一夜に必要最低限の事しか聞いて来ない。
 
 聞かれなくても、大体の事は椿に見抜かれているのだけれど。
 何せ、一夜と最初に友達に成ったのは夏陽ではなく、椿の方なのだから。  



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