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ハイネは、どうしても力を使えなかった。右手は開いたり閉じたりするのを繰り返すだけ。この場でイリーズを殺すのはあまりに簡単だ。ただ、これだけは聞いておかなければならないと思ったのだ。

これまで順調だったから余裕が生まれたのか、ハイネはわずかに気を緩めていた。

「なあ、どうして庇ったりなんかしたんだ?テメエ一人なら逃げられたかもしれないのによ」

イリーズは、理解できないと淡く微笑んだ。

声に、迷いはなかった。彼女は、鋼の意志を胸に抱き、毅然とする。それがイリーズなのだから。

「愚問です。私は仲間を護りたかった。それだけです」

答えは簡単。昔からそう。見返りなんていらないから、命を助けたかった。イリーズは、死がそこまで近付いても、逃げようとはしなかった。儀式封印剣の柄に手をかける。だが、使えない。

ここでイリーズの生が終わる。不思議と、恐怖はなかった。ただ、悔しかった。護りたい世界を護れず、なにが自分の存在の証明になるのだろうかと。

人間は死ぬ瞬間にこれまでの生を紙芝居のように見る。どこで聞いたのか思い出せない。彼女は見ればきっと泣きたくなるからと瞼を閉じた。

ふと、祭はどうなっているのだろうと、上の状況を想像する。皆は楽しんでいるのだろうか。小さくて可愛い、あの少女はなにをしているのだろうか。また、甘い物でも食べているのだろうか。それとも、また緋目の女に遊ばれているのだろうか。簡単に想像できて可笑しかった。

これから殺される女が見せた姿にハイネは、

「そうかい。その愚かさに乾杯。そして、さようなら」

そう言って、つまらなそうに右手の平をイリーズの顔に向けた。力が一点に集中していく。せめて、苦しみなく死なせてやろうと、いつもの彼ではありえないことを思ってしまった。

頭をよぎった過去の光景に、らしくない感情を持ってしまう。

だから、その分だけ遅れてしまった。突如、世界を真っ二つにするオレンジの直線が網膜に焼き付いたのだ。ハイネがコンマ一秒でも回避するのが遅かったら着弾していただろう。これほどまでに、強化された運動神経に感謝したことはなかった。

標的を失った二百グラムの弾丸は壁に着弾し、音速超過で得た破壊力を浸透させる。普通、ここまで弾丸が高速になると、衝撃が十分に伝達する前に標的を貫き通してしまうのに、魔女の弾丸は壁にごっそりと大穴を穿った。奥に見えるのは深い闇だけである。

「なんだい、まだ生きてんじゃないのさ。つまんないねー」

闇の底から声が聞こえてきたのだと勘違いして、視覚を取り戻したイリーズは首をどこに向けていいのか迷った。ハイネと真反対の方を見てしまい、慌てて戻す。

赤銅のコートを身に纏い、威風堂々とした猫耳と尻尾を装着した魔女が、偉そうに胸を張っていた。金属製の扉がぶち壊れていた。まるで、何度も蹴りつけたかのように。

「ミーリア、緋色の魔女。・・・・・・それにシェリル?」

ミーリアの隣に立っていたのは祓魔服に着替えたシェリルだった。いつも携帯している剣ともう一本新しい剣を腰にさしている。

イリーズは、助けられたことよりも、どうして二人がここにいるのかが疑問だった。それに気付いたミーリアは自分の耳に付いているカフスに指を差して答えた。

「盗聴器。なーんて言ってもわからないんだろうね」

倒れている、頭の光る眩しい老人の服には、小さなボタンのような物がこっそり付けられていた。ミーリアはドーム内での会話を全て盗み聞きしていたのだ。

ミーリアは、ハイネの方へ向き直り、意地悪な笑みを浮かべた。言外に語る。邪魔するよ、と。

仲介人は無造作に右手を振った。それだけで、小規模の力場が解き放たれ、透明な砲弾となってミーリアの頭を砕こうとする。

「はっ。その種は割れてるさね」

この場に立っている人物は皆、人の枠を超えている。魔女とて例外ではない。ミーリアはいとも簡単にハイネの攻撃を避けた。証拠に、まだ悠々と立っている。

単純な答えだ。防げないのなら避ければいい。そうしてリズだって生き残ったのではないか。ミーリアの反応速度をもってすれば、たいして難しくなんてない。ハイネの動きには癖があった。よく見ていればまず当たらない。

魔女は、ここが自分のためだけのステージだと主張するようにリヒト・ゼクスの銃口をハイネへと向けた。

「さあ、遊びは終わろう。もう幕引きの時間だよ、坊や」

彼女は、この都市が大嫌いだ。護る義務もない。滅びるのら滅びればいい。最後にして希代の魔女をこの場所に導いたのは、まだ幼い修道女であるシェリルだ。

ミーリアが動いた理由は、ひどく単純。"あいつ"との大切な約束だからだ。シェリルとの祭を邪魔されたくなかったからだ。彼女が悲しんだり、困ったりするのなら、それを排除したかった。きっと、あの子だって、祭を楽しんでいるのだろうから。

善行でも、偽善でもない。自分の楽しみを潰されたくないだけの、ただの人間らしい『欲』だった。

「やれやれ。俺もモテたもんだぜ」

おどけてみせたハイネだったが、声には、ほんの少しだけ緊張が混じっていた。

「で、そっちの嬢ちゃんも俺のファンかい?」

「・・・・・・まさか」

シェリルは、ハイネへの怒りよりも先に、イリーズへと叫ぶ。

なにもわからない無力なヒヨコだった幼い少女を助けてくれたのは彼女だった。彼女がいなければシェリルはきっと、死んでいた。

あの時より、私は、貴女のお役に立てるでしょうか?

「助けに、助けにきました!!」

こみあげた感情をイリーズは涙として流した。

「・・・・・・馬鹿者」

ここに役者が揃う。

あと、一人を残して。

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あきゅろす。
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