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近付いてくるのは闇の使徒か。

清らかだった空気が粘度を増し、汚泥になる。ドームを内側から爆破させるかのように透明な『なにか』が立ち込めた。儀式が失敗した可能性を考慮して、イリーズは溜まった力を剣へと一時的に封印して、祭壇と繋がっていたマナのラインを切断した。鞘に戻し、柄から手を離す。

突然の事態に困惑するイリーズ。その頭部に、鉄釘を金槌で打ち付けるような激痛が突き刺さった。

「ぐああっ!?」

膝を付きかけ、なんとか踏み止まる。頭を手で押さえても傷はどこにもない。周りを見れば八人全員が倒れていて、気を失っていた。自分だけが耐えられたのだろうか。

介抱しようにも、今この瞬間も頭痛はとまらない。一歩踏み出しただけで頭が割れそうだ。イリーズは左手の人差し指に嵌めてある黄金の指輪を、頭に当てた。

「偉大なる神よ。我を戒めから解き放ちたまへ」

短い詠唱から術は発動し、イリーズに癒しを与える。しかし、激痛がなんとか我慢できる程度にまで和らいだだけで、解決策にはならない。それでも、いくらか冷静にはなれた。

その声がはっきりと聞こえるぐらいに。

「おお、なかなかしぶといじゃねーか。褒めてやるよ」

いつ現れたのか。唯一の出入り口となる鉄製の扉を背にして立っている男がいた。遠く離れているというのに、声は間近で話しているように聞こえる。

イリーズは倒れている司祭の一人から武器を拝借した。刃渡りは七十センチ程度で、片刃で身幅広く、断ち切りに優れている曲刀・ファルシオンだ。彼女の剣は膨大な力を封印しているせいで通常の祓魔術が使えないのである。

慣れない武器でも、イリーズは毅然と構えをとった。それは反射にも似ていて、心の温度は零下まで落ちる。声に詰め込んだ勇猛さは、中世に栄華を誇った騎士のよう。

「汝は、何者だ。ここは教会の人間でも極秘にされている場所だぞ」

知っているのは司祭以上のランクに位置する人物だけだ。普通の人間がたまたま間違って入るなんてありえない。

男は、実に呆気なく正体を披露した。

「俺は仲介人だよ」

事前に聞いていた情報が弾き出され、本能が警告音を発した。

「!・・・・・・そうか。汝がハイネか。これは汝の仕業だな」

「正解だ。そういうわけで、ご褒美のプレゼント」

ハイネが左手の平をイリーズへと突き出した。空気が歪む。祭の花火でも生温い破裂音が円錐の暴力となって押し寄せる。目では見えなくても肌に感じるプレッシャーが叫んだ。避けろと。

イリーズの反応速度なら充分に間に合った。周りに、倒れている仲間がいなければであったが。そう、逃げれば他の八人が死ぬ。

自分一人だけを守るか。

仲間とはいえ、赤の他人を護るか。

迷いはなかった。

イリーズは全員を後ろに庇うために前へと踏み出した。

「――――光よ!」

ファルシオンを刃の腹を正面に、柄を握っていない手も添え、力を注ぐ。だが、一秒ともたず、イリーズの体は巨人の拳を喰らったかのように吹き飛んだ。声も出せずに地面と平行し、何度もバウンドしてやっと解放される。

服が無惨にも擦り切れ、露出した肌からは血が流れていた。痛みで思考が上手く回らない。一体自分はなにをされた?イリーズが使用したのは汎用型防御壁で、悪魔憑きの術だろうが、大砲の弾だろうがたやすく防ぐ。はずなのに。祓魔術が薄紙一枚の抵抗もなく破られるなんて信じられなかった。

だから逆に理解する。ハイネはただの悪魔憑きじゃない。悪魔憑きがあんな術を使っていたら、人の世はとうの昔に滅んでいる。イリーズは恐怖を吸った空気と一緒に、腹の底に詰めた。

「汝、は、何者だ?」

立ち上がろうとして、足に力が入らず、また倒れた。ファルシオンを杖代わりにしようとしたら、刃が完全に砕けていて使えない。

武器を持たないイリーズへと、ハイネは歩を進め、語りだす。

「教会の犬なら、仲介人が絶望に沈んだ人間に悪魔を紹介するのは知っているよな?」

金が欲しい。憎い奴を殺したい。ありとあらゆる負の感情に悪魔は付け込み、契約することで力を貸し与える。だが、人の魂に悪魔の力は猛毒だ。心が汚染され、ついには理性をなくし、人の道を踏み外した化け物《レール・アウト》に堕ちてしまう。

「だけどな、理性があるうちに、ある条件を達成できれば、毒から解放される」

ドームにはハイネの声しかない。イリーズは、瞬きした瞬間に仲介人がすぐ傍まで接近したことに背筋を凍らせていた。

私では、この仲介人には敵わない。イリーズは、夢なら覚めてほしい、とらしくない気持ちを抱いてしまう。ハイネは、彼女の絶望に浸りかけた顔を、楽しそうに見ていた。

「それはな・・・・・・人間百人分の魂を契約した悪魔に捧げることなんだよ。簡単だよなー」

あっさり言われたせいで、イリーズは言葉を失った。そんなの、聞いたことがない。そんな悍ましい契約があったなんて。

「俺はさ、元人間なんだよ」

いつの間にか、ハイネの表情には自嘲が混ざっていた。なにかを思い出すように、目を細める。

「理由は省くが、まあ叶えたい願いがあって契約したわけよ。そして、運よく百人をぶっ殺せた。いいや、運よくなんておかしいよな。運が良かったら、そもそも契約なんてしてないもんな」

イリーズは、ハイネが語る間、体中にマナを通して、治癒を続けていた。すぐに動けるように。

「そして、俺は仲介人になった。わかるか?俺は毒から解放されたが結局、悪魔の奴隷なんだよ」

ハイネは、イリーズが治癒をしているのを知っている。彼にはマナが見えるのだから。

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あきゅろす。
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