D
魔女は教会内に入ると足が融けるとか、喉元が焼けるように痛くなるとか、そんな迷信はミーリアに効くわけなかった。彼女は、とある一室で行儀悪く頬杖をつきながら座っている。出された紅茶には手をつけていない。
その隣にはシェリルが。顔を伏せ、我関せずと沈黙を保つ。
どのくらい時間が過ぎたであろうか。数時間?実際は十分と経過していないはずなのに、シェリルの精神力は極限まで擦り減らされていた。
原因はテーブルの向こう側にいるレジラント。の、隣にいる女性。セレス・トーンピアサー司祭のせいだった。歳は三十代後半だというのに、外見はせいぜい二十代後半にしか見えない。腰まで届くレモンイエローの髪は後ろで一本に纏めていて、視力の無い目は閉じたままだ。
しかし、セレスは此処に来るまでに誰の力も借りずに一人で歩いてきた。研ぎ澄まされた皮膚感覚で人混みを避け、アルベルト教会の聖なる空気を辿って。
腰には檜木の杖を提げているも、使っていない。階段も楽々だ。
セレスは抜き身の刃が人の形を成したといっても間違いではない。彼女は現役の祓魔士であり、高位修道女《セカンド・シスター》に当たる。
リズいわく、超優しい人だよー。らしいが、シェリルには冬眠している熊に遭遇する方がまだ気が楽だった。ミーリアに話したいことがあるらしいが、先程から黙ったままだ。
シェリルは退席を願った。しかし、レジラントが一人にしないでくれと年甲斐もなく懇願するものだから仕方なくここにいる。
「この前の」
そう切り出したのはミーリアだった。頬杖は崩さない。
「この前の子は元気かい?」
ぴくりと、セレスが反応し、シェリルとレジラントはびくうう!と反応した。一触即発の空気の中、ぽつり言葉が零れる。
「元気です」
無表情を貫き通していたセレスの表情が和らいだ。我が子の身を案じる母親、そのもののように。
ミーリアは単に自分の治療が間違っていなかったか確かめたかっただけであり、リズの安否は心配していない。それでも、紅茶を飲むぐらいの余裕がうまれた。
シェリルは、ほっと息をつく。レジラントも安心したようだった。
「今はもう退院して教会で療養中で、寝ているか食べているか鍛えているかのどちらです。たまに聖書の暗記をさせています」
それって療養中にカウントするんですか?シェリルは疑問に感じたが、問うなんてできなかった。
再び、沈黙。と思ったらセレスが口を開いた。
「リズを助けて頂き、ありがとうございました」
ぺこりと簡単に頭を下げるものだからミーリアは面を喰らった。危うくシェリルは紅茶を吐き出しかけてむせた。教会からすれば魔女は卑下する存在であり、礼を言うなんて以っての外だ。
それでも、セレスは頭を下げた。元々彼女に魔女への嫌悪はない。いや、それ以前に。
「我が子を助けてもらい、感謝を示さない親がいるでしょうか?」
頭を上げたセレスは、どうやら苦笑しているらしかった。
第四区の教会では、元スラム街出身が多い。そのほとんどがセレスの連れてきた子供達だ。皆が彼女の大切な子供達である。
「戦わなくていいと言ったのに。あの子は・・・・・・」
祓魔の力があるかどうかのテストは大聖堂からの通達で、修道女全員がおこなう。
セレスは、リズをテストから外そうとした。戦わせるために救ったのではないのだから。
だが、奇しくもテストは通常どおりに行われた。セレスはリズが戦うのを反対した。しかし、幼い少女は首を強く横に振った。あんなにも感情をあらわにしたのは初めてだった。
貴女の力になりたい、と懇願されたのだ。
そのとき、どうして許否しなかったのか今でも後悔している。
「リズは、セレス司祭様に恩を少しでも返せればとおっしゃっていました。その、彼女に後悔はないと思います」
「あなたは」
セレスの顔が、今日はじめてシェリルへ向けられた。
シェリルは『烈火の閃刃』と呼ばれるセレスを前にして気丈にしていた。胸を張って答える。
「私はシェリル・ゼロアクラス。リズの友達です」
セレスは名を反芻し、ああ成る程と納得した。
「あなたが」
自分の名を知っている。シェリルは嬉しかった。名を覚えてもらえるのは認められた証。それも、司祭様に。これが嬉しくないわけがない。レジラント司祭から聞いていたのだろうか。それとも友達繋がりでリズから?
「縞栗鼠ちゃんね」
テーブルへと、シェリルは頭突きした。厚い木の板は堅く、痛い。なにをどうなったらこうなる。縞栗鼠って人間ですらないのかよ。憤りを隠せない少女へ、セレスはさらに追い撃ちをかけた。
「リズが楽しそうに言うのよ。面白可愛い子がいるって。こっそり修道服の裏にお菓子入れ用のポケットを縫ったり、猫と会うと、にゃーにゃー話しかけるって」
シェリルは頭を抱えて自己嫌悪に陥る。穴があったら入りたい。ミーリアが脇腹を押さえて笑いを堪えている。よりにもよってこの人に知られるとは。それよりもリズ!?あなた司祭様に何言ってんのよ!!
シェリルの顔が羞恥心でどんどん朱くなる。一刻も早くこの場から去りたかった。お腹痛いとか言ったら許してもらえないだろうか。
今すぐにでも懺悔室へ走っていきたい。直行して引き込もりたい。
しばらくの間一人にしてほしかった。
レジラントが咳払いして、温くなった空気に緊張が戻ってくる。
「仲介人についてなんだが」
仲介人。悪魔と人を繋ぐ教会の敵。神出鬼没。力は万の軍勢をも凌ぐ。カンタベリー大聖堂に残っていた資料を二百年分遡って、ようやく有力な情報が見付かった。
[*前へ][次へ#]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!