おはじき途
それは、第六感としか言いようがなかった。
ゾクリと、背中に液体窒素の槍をぶっ刺したような、恐怖にも似た何かを感じた。
「伏せろ!」
冗談抜きの私の声に、真っ先に反応したのは咲。頭がグラグラ揺れているミストを強引に伏せさせる。ヨシュノも同じく、ただし右手にフォーク、左手にパスタを持ちながら椅子から降りて体を丸めた。他の客は頭悪そうにポカンとしたままだ。
瞬間。一人の男性客の頭が水の入った風船みたいに弾けた。辺り一面に飛び散った紅い液体に、誰も反応しなかった。二発、三発、四発五発六七八九十―――。数え切れない程沢山の弾丸が店の壁を貫き、客を数秒で殺し尽くした。
私達以外を、ね。
悲鳴さえあがらなかった。見事しか言いようがなかった。後ろから人が倒れる音と皿が割れる音が響いた。それが老バーテンダーだと気付き、私の思考はやっと混乱から現実世界へと戻ってきた。手には既にP226を握りしめている。折角のほろ酔い気分も完全に覚めてしまった。
「くそったれ!何処のどいつだ!私の大切な夜を無茶苦茶にしやがって!」
怒りが頂点に達し、直ぐにでも店から飛び出して敵を殺したい衝動に駆られるが、それはしてはいけないと必死に理性を総動員させて抑える。駄目だ駄目だ駄目だ。そんなの思う壷ではないか。
こんなときでも咲は冷静だった。
「レオ、ヨシュノ。此処は退こう」
「オーケー」
「同じく。けど、どっから逃げるわけー」
ヨシュノの問いに答えたのは私でも咲でも、ミストでもなかった。
「・・・・・・う、ら、ぐちをお、つか、いぐ、ださい」
老バーテンダーだった。何処にそんな力が残っていたのか。両の足でしっかりと立ち上がり、厨房の奥を指差していた。
「あんた生きて・・・・・・」
なら一緒に逃げよう、とは、言えなかった。一目見れば誰だって、この老バーテンダーの命が、もう長くはないのが分かる。
震える体で、それでも、私達『客』を逃がそうとするこの人は、こんな世界に相応しくない。
だからって、私にはなにも出来ない。
「酒、美味かったよ。あんたの手は神に愛されている」
私はテーブルに自分が飲んだ分の代金を置いた。咲も、ヨシュノも。
「無銭飲食は趣味じゃなくてね。黄泉の河を渡るのにも金がいるんだろ?」
「美味しかったです。貴方に天神の加護を」
「・・・・・・エイメン」
老バーテンダーは、可笑しそうに微笑んだ。
「で、は、また、の、ごらい、店を」
倒れ伏す音が1つ。
「なあ2人共」
遊底を引く音が1つ。
「なに?」
刀が抜かれる音が1つ。
「なんだしー?」
パスタを飲み込む音が1つ。
「ただ逃げるのもつまらなくないか?」
血管がぶちギレる音が3人分。
「賛成だし。ちょーっと、お腹が別の意味で満たされないみたいなー」
ヨシュノがケースから取り出したのは、短機関銃のベレッタM12だ。ラップアランド式ボルトがブローバックで作動するシンプルなメカニズムだ。グリップセイフティの安全装置もあり、握りやすいフォアグリップのお陰で命中率も高い。9mmパラベラム40発入り予備弾倉をベルトに幾つも差し、腰に巻く。
「私も賛成。主様も起きてください」
「・・・・・・あちゃーばれてたかにゃー?」
ぺろりと舌を出す仕草が気色悪かった。
「テメエも今回ばかりは働け」
やれやれと、ミストは渋りながらも自動拳銃を拾った。名前も知らない誰かのを。
「ちょっと借りるわね」
「主様。今度からは自分で携帯してください」
「よーし。これで準備完了だ」
私は先頭を切って裏口へ向かう。
振り返りもせず、永久の眠りについた老バーテンダーの骸に告げた。
「早く河を渡りな。すぐに定員オーバーになるぜ」
嵐がくる。
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