じょじょでし! 第陸話 茹だる様な昼間の暑さからは考えられないくらい夜は冷え込んでいる。 身を切る寒さが身体から熱を奪っていく。 まるで生命力を吸われていきかのように。 「泰善ホントかよ!?」 「諏佐野、本当に間違いないのですか?」 「ああ。俺達の集めた情報がマジなら、それしか考えらんねえ」 振り向きもせずにそう言うと彼はどんどん前へ進んでいく。 向かう先は市立赤羽総合病院の車庫だ。 「気付くべきだったぜ。 重傷、重病患者ばかり死んでやがる。しかも輸送中にだ。病院でやられたんじゃねぇってな」 「なるほど、なら犯人の居所は病院じゃない」 「運送に使う救急車、ということですね」 「その通りだお嬢。 してやられたぜ、考えてみたら不思議な話だよな。 病院には怪談話はあるが救急車にはねぇ」 「そこにまんまとハメられたって訳かよ。急ごう泰善」 「おうよ、遅れとんなよ剣斗」 「誰に言ってんだ、そっちこそあっさりやられんなよ!」 「待ちなさい二人とも。勝手な行動は慎みなさい」 上司の命令もなんのその。 勝手に歩を進める2人に森羅は頭を抱えた。 現在鳴子事務所は総勢5人いる。 所長の鹿玖地鳴子。 その補佐である東雲森羅。 見習い兼助手の多々良剣斗と諏佐野泰善。 そして現在別件で日本各地を回っている「ぬらりひょん」の異名を持つ近衛葵。 しかし現在まともに戦力になるのは2人しかいない。 ここにはいない近衛は別として、戦力の要であった森羅は数ヶ月前のある事件でその才の殆どを失ってしまったのだ。 体力がなく長期戦が期待できない剣斗も抜くと、実際のところ安定して戦えるのは所長の鳴子と素人の泰善の二名のみ。 経験豊富とはいえ戦力にならない自分では、彼をどれだけフォロー出来るか分からない。 森等の頭に不安がよぎった。 「問題ねぇ。多分大したことないヤツらだ」 「…どうしてそう明言出来るんですか」 「死にかけの人間襲って発狂させるような輩だ。 逆に言うと「半死半生クラスの重傷重病じゃないと殺せない」ってところじゃないかな?」 「っ! なるほど」 「解説あんがと、ともう着いたか」 彼らの前にあるのは何台も並ぶ救急車。 通常、救急車は消防署で管理されているが、他の医療機関への移動などの時には、自分のところの救急車を使用する。なので普段それほど使わないということもあり、 ややくたびれた印象を受ける。 その中でポツンと一台だけ目立つ場所に駐車されているものがあった。 外装の劣化が特に顕著で、近々廃車にする予定だと聞いている。 「アレかねぇ」 「待って下さい。誰かいますよ」 『…では気を付けたまえよ。ああ、そうそう。くれぐれも鹿玖地鳴子とは事を構えるな、あの女は怒らせたら厄介だ。うんうん、いい返事ではないかね。それでは良い報告を期待しているさ、期待しているとも』 「何か言ってるみたいだな」 「でも相手はどこにもいませんよ?」 「携帯も持ってないし、俺の霊視にも反応ないな」 「じゃあ確認するしかねぇだろ。 おいそこのおっさん! アンタそこで何してんだ!!」 ブツブツと話しているが距離もあり内容までは聞こえない。 しかし泰善の怒号が聞こえたのか男は此方を振り返り、目があった。 目と目が合う瞬間、相手の気持ちが飛び込んでくるという歌詞があったが、今回の泰善が体験したのはまさにソレだった。 一見普通に見えるこの男、しかし目が言うのだ。 貴様らが憎いと。 貴様らが恋しいと。 君達に会うのを愉しくみに愉しみで、仕方がなかったと。 泰善はこの男に声をかけた事を心の奥底から後悔した。 「うっ…ぁ」 喉から声にならない呻き声が零れ落ちる。 なんとか視線を逸らし横を見たら森羅達も同じように固まっていた。 「ふむふむ、暗示を自力で解いたか。なるほどなるほど、やはり「君」は面白いな。実に興味深い」 オールドタイプのスリーピーススーツをきっちり着こなし、手にはステッキが握られている。 白髪混じりの髪をオールバックに固め、柔和な顔には深い皺が刻まれている。 身なりや顔付きから見ると好々爺然とした老紳士なのだが、言葉では表しきれない不気味な存在感が、彼らの脳に警鐘を響かせた。 この男とは「まだ」会ってはいけなかった、と。 「はて見慣れぬ顔だが、どちらさんかね?」 一度手をポンッと叩くと固まっていた彼らに老紳士はにこやかに話かけてきた。 それまで場を支配していた得体のしれない重さは一気に消えていった。 何もなかったかの様に薄ら寒い夜風が一面に吹き荒ぶ。 彼らの止まっていた循環が急に動き始め、肺が悲鳴をあげた。 息が苦しい中で泰善は悲鳴に近い声で、親友を呼んだ。 「けっけ剣斗!」 「えっあ、ああ! でも怪しいところはどこにもないぜ。さっきも言ったけどただの人間だと思う」 「んな訳ねぇだろ…」 距離にしておよそ10メートル。 泰善なら本気で走ると2秒もかからず辿り着くだろう。 逆に言うとそれだけしか離れていない。 「おっさん。あ、アンタこんな夜更けにここで何してんだよ?」 しかし不遜な態度は崩さない。 どんなところでも我を通す、それが泰善の処世術だ。 「ふむ。それは難しい質問だ。 この年になるとちょっとしたことで感動してしまうものなのだよ。こんな綺麗な下弦の月の日だ。心躍り夜道も歩きたくもなるというものだとも。 ふと気が付いた時には、もう外を散歩していたんだよ」 若干固まりながら質問した泰善に男は、饒舌に返答した。 まるで彼らと話すのが楽しくてたまらないかのようだ。 「夜道は危険です。今この病院の付近は特に」 「おじさん、良かったら俺達家の近くまで送るけど?」 「気遣いありがとう。こんな時間だし、私は先に帰らせていただくとしよう。ここに何か用があるんだろう?」 「それは…」 「言えないことなら別段構わないさ。人間、人に言えない事の一つや二つあるものだ」 「すみません、逆に気を使わせてしまったみたいで」 「いやいや、そんなことはないとも。 しかしここで会ったのも何かの縁だ」 そういうと老紳士はゴソゴソとポケットを漁ると、剣斗に何やら古びた紙切れを渡した。 「古いものだが由緒正しい御守りだよ。それでは、また会える日を楽しみにしているさ、ああしているとも」 そう言うと三人の顔を一人一人穴が空く程見つめた後、コツコツとステッキを鳴らし、老紳士は霧のように消えていった。 「一体なんだってんだ、おい…グアッ!?」 「うぁっ!」 「キャアッ!?」 鋭い痛みが頭を貫く。 目の前の光景がゆっくりと反転していき、脳みそがぐちゃぐちゃに掻き回されるような激痛が彼らを襲った。 背中から冷や汗が滴り落ちる。 痛みが走ったのは最初の数秒間だけであり、少し時間が経つと痛みは完全に引いていた。 「にしても訳わかんねぇ」 そこまで言うと泰善はハッとなった。 つい先程の記憶が欠如している。 この数分間の確かに「何か」あったのだが、その「何か」が何であったかサッパリ思い出せない。 今となってはその「何か」が本当にあった出来事なのかの記憶も曖昧だ。 「夏バテでしょうか?」 「寝不足かなあ」 すっかり忘れたと言わんばかりにのん気なこと言う同僚達をじろりと睨む。 眠そうに目を擦る剣斗の手には見慣れぬ札があった。 「なんだそりゃ?」 「あら、なんですかそれ」 「えっなんだこれ?」 随分と古びた和紙にえらく達筆な漢字によく似た崩した文字が書かれている。 「鬼神調伏の印札ですか? でも昔の護摩行修行僧が使っていたものにも似てますね」 「悪い、お嬢。日本語で頼む」 「…真言宗の一種で祈祷、祈ることで魔や妖を御して支配下に置く術がありました。 おそらくそれに使った御札かと」 「うむ、サッパリわからん」 「ようは昔の人が使った呪い道具なんだろ?」 「縁起悪そうだな、捨てとけ捨てとけそんなもん」 「いやなんだろう、これを「捨てたらいけない」気がするんだ」 「ふーん、まぁいいか。なんかの時に使えるかもしんねぇし、しまうんならしまっとけよな」 「ああ」 「…大分ロスしちまったな。行くぞ」 「ええ」 「お、おい待ってくれよ」 とりあえず札を胸ポケットにしまい込み、先を急ぐ二人を追いかけた。 「待って、むぐっ?」 「しっー、静かに」 病院の外壁からそっと向こうの様子を伺った。 夜風で窓ガラスがガタガタと揺れる。暑さとは別の汗を拭いながら泰善は、親友に声をかけた。「剣斗いるか?」 かけた言葉短い。 しかしそこは長年の付き合い。 剣斗は相方の意を汲み、目を瞑り、車の方に意志を集中させた。 「ちょっと待っててくれよ……ビンゴ! 今日一番の反応だ」 「何体くれぇいる?」 「分からない。箱詰めみたいにギャウギュウに詰まってる」 「そうか。依頼主にゃあ悪いが、廃車の予定日前倒しさせてもらうぜ」 竹刀袋を投げ捨て、ベタベタに御札が貼られた木刀を取り出した。 何でも彼の実家の裏手にある霊験あらたかな木の枝から作った逸品らしい。 「剣斗、お嬢。結界を」 「もう張ってます」 「まだ弱いな…森羅、補強するぞ。 走れ言の霊。四柱推命の呪いに従い、彼の女の結界を支えろ」 自身の切った髪を綾取りの糸の様に絡め、結界を森羅は結界を張った。 女郎蜘蛛の吐く蜘蛛の糸の様な白銀に輝く結界が出来上がる。 乙女の髪を媒体にすることで張った結界だが、まだ弱い。 これでも今の彼女が作れる中ではかなりの硬度だが、昔の媒体なしで作っていた結界より数段落ちる。 剣斗は言霊に語りかけ、彼女の作った結界の支柱四カ所を更に強化したのだ。 言霊の使役。 世界の機微に敏感な彼だからこそできる技である。 言霊という霊能者でも通常目には見えない微小な精霊を使役することで、様々な事象に干渉する彼の能力の一つだ。 かなり便利な能力だが、 今の彼では一つの技を使ってしまったら、他の技が一切使えないので隙が多いという弱点もある。 「サンキュー、これで暴れられるぜ」 「諏佐野、あまり深追いしないように注意して下さい」 「ヤバくなったら加勢するからな」 「余計なお世話だ。そんなの良いから結界に集中しとけ」 鼻を鳴らし、首がぽきぽきと快音を響かせる。 踏み出す利き足に力を入れ、腹の底から声をあげた。 敵に聞こえる様に。 自分を奮い立たせる為に。 諏佐野泰善という男は、獣に戻る。 「そんじゃ、始めますかねぇ!」 巨体が一瞬で風となる。 車体ギリギリ寸前まで駆け寄り一跳びした泰善は、上半身のバネをフル活用し、右半身を大きく捻る。 ほぼ90度以上の傾いた状態から斜め袈裟斬りの一閃。 ピシリッと救急車の後部入り口に斜めの亀裂に走る。 「諏佐野避けなさい!」 へしゃげ乱雑に入った亀裂から、噴水の様に黒い思念の塊達が噴き出した。 憎い。恨めしい。 生きたかった。 何故自分達だけが。 生きとし生けるもの達が嫉ましい。 欲しい。 欲しい生きた者達の身体が。 奪いたい、生きた者達の身体を。 負の概念の洪水に泰善の姿が飲み込まれる。 生きている者達を恨み仲間を増やす土石流のような負の思念。 それに一秒もかからず彼の巨体は覆い尽くされた。 「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 「泰善!?」 「あのお馬鹿、何の策もなしに突っ込むなんて!」 悲鳴に近い声を上げる二人。 いくら頑丈に出来ているとはいえ、彼も人間だ。 精神を食む霊に対しての耐性は低い。 「…なーんてな。発破!」 呪いを唱え、符を投げつける。 上手い具合に札は救急車の亀裂の中に、吸い込まれていった。 (よしよし) 数瞬後凄まじい熱風に泰善は吹き飛ばされた。 「ぬぉおっ!?」 何とか空中で体勢を立て直し片手と膝をついて着地した。 チラッと先程まで自分のいたところを見て、彼は愕然とした。 「…おいおいマジかよ」 少し前まで彼のいた場所はクレーターが出来ており、車にも火が燃え移りめらめらと炎上している。 「鳴子先生の符札か! あんなの隠し持ってたのかよ」 「諏佐野いつの間に?」 外野で待っている同僚達は何やら言っているが、一番驚いているのは自分自身だ。 目くらまし程度に使い、斬り捨てるつもりだったのだが、まさかまとめて一掃するとは。 「けほっけほっ、にしても鳴ちゃん先生お手製の火焔符、大した威力じゃねぇか」 煙にせき込みつつ泰善は感嘆した。 符札は今回の事件に赴く前に鳴子に「クラッカーみたいなものよ。目くらましや威嚇くらいにはなると思うわ」と渡されたものだった。 相変わらず認識がズレている人だ。 (こんなに威力の高いもの、下手扱いたらこっちも自滅ものだろうが) 渡してくれた鳴子先生本人は爆竹代わりくらいの感覚なのかもしれない。 だが実際には小型爆弾くらいの威力はあった。 (危機管理足りねーつーか、大雑把っていうか) しかしその馬鹿げた火力のおかげで思積念の霊達は、一気に除霊された訳だが。 沸々と湧き出てくる所長への不満噛み堪え泰善はゆっくり構え直した。 此処で終わってくれる程生ぬるい相手ではないのは、先程車体に一閃入れた時に伝わった。 割れた内部からは生半でない大きな悪意の塊の視線が、彼を射抜いたからだ。 「けっ、味気ねぇにも程があるぜ。まだだろ、まだまだいけるだろ? 来なよ大将。前座で終わりたぁー寂しすぎんだろうが」 挑発的な発言を口に出す泰善の額に汗が滲む。 滲み出てくる妖気が先程までとは比べ物にならない程の量だ。 ピリピリとした目に見えない何かが身体を締め付ける。 (チッ、鳴ちゃん先生に連絡しときゃ良かったぜ) 考えがそこまで及ばなかった。 もし強い妖が弱い霊達を育成中だとしたら。 もし強い妖が弱い霊達を自分と同じクラスにまで育てようとしていたなら。 そんな妖怪が、育成中の彼らを問答無用に目の前で惨殺されたら。 子を奪われた親鳥の様に、その者は怒り悲しみ暴れるだろう。 「お、おいもしかしてまだいるのか?」 「何の為のレーダーだ剣斗。確認してみたらどうだ?」 「…っ! ヤバい、ヤバいぞ泰善! なんだよこれ!?」 「…これは! 諏佐野退きますよ!」 「おせぇよお嬢。奴さん用意出来ちまったみたいだぜ」 ボロボロになっていた救急車が音もなく空中に浮かぶ。 符札の炎とは明らかに異なる暗い炎が車からめらめらと噴出し始めた。 少しずつ、少しずつ形状を変化させていく。 暗い炎が車の前で塊と化し、四足の馬とも牛ともつかぬ生き物へと成った。 半壊した車体は、此方も暗い炎の幕に妖しく彩られ、駕籠のような乗り物に変化していく。 その姿はまるで昔見た大河ドラマにあった牛車のようだ。 「牛車、駕籠、迎え火…まさか」 森羅は震える身体で、彼の妖怪の情報を頭から引き出した。 古より弱い人間から魂を奪い、勢力を広げる妖。 妖怪達の王を意味する「魑魅魍魎の主」は自身の精鋭幹部、百鬼夜行の群れには必ず彼の妖怪を選び、彼の妖に跨がり出陣するのを一種の勲章としたという。 妖の人から成り、人から魂を奪い、人の輪廻から外れた妖怪。 その名も大妖怪、輪入道。 弱き者ならば姿を見ただけで魂を奪い、眷属に加える人から堕ちた妖也。 「大妖怪、輪入道。まさかこんな大物がいたなんて…」 「弱い霊でコーティングして本体を隠してやがった。セコいことしてくれるぜ」 「俺の探知レーダーにも引っかからないのは、正直予想外だったよ」 「いやおそらく引っかかってハズだ。妖気を抑えてて他のヤツらと同じくらいの反応しかなかったんだ」 「だから一気に気が暴発したみたいに上昇した、って訳か」 「だろうな」 「話は後です。多々良、諏佐野すぐに逃げなさい! あと鳴子先生にもすぐ連絡を」 手に力が入らない。 するすると指の隙間から白髪が零れ落ちた。 結界を維持する為に使っていた白髪は地面に散らばった。 身体が震える。 今の自分の手に到底負える相手ではない。 仮に万全な状態だったとしても、真っ正面から戦いたい相手ではない。 しかし自分が踏みとどまらないといけない。 彼らは私の弟子なのだから、その思いが彼女を支えた。 ありったけの符札を懐から出し、震える身体で何とか構えた。 何分時間稼ぎが出来るか分からないが、何とか彼らが逃げ切るだけでも。 そんな覚悟を決める彼女の肩を、ポンと叩く手があった。 「やめなお嬢。どうせやることは一緒なんだ」 「結界は解くぜ。こんなの相手じゃ、薄紙くらいにしかなんないだろうしな」 そう言うと彼らは自分達の上司を守るように、森羅の前に立った。 「剣斗」 「分かってる」 すぅーと息を吸い込み、バッターのように木刀の切り先を相手に向けた。 腹の底から声を出し自分自身を鼓舞する。 「行くぜ化けもん。根比べだ!」 彼の言葉に反応したのか定かではないが、四足獣は片足を何回も空中で後ろに蹴り、突っ込んできた。 弾丸もかくやという圧倒的な速さ。 森羅は吹き飛ばされる泰善の姿を想像し、ギュッと目を瞑った。 そんな彼女の耳に飛び込んできたのは。 「ずりゃあああああああああああああああ!」 鼓膜を震わす男の雄叫び。 目を開けると、そこには四足獣を袈裟斬りで真っ二つにした泰善の姿があった。 しかし霊獣も一匹ではない。 つがいをヤられて怒り狂ったもう一匹が泰善を吹き飛ばそうと、その角を彼に向け突進してきた。 「五行金遁、言の霊達よ今再び黒鉄の壁となり彼の者を守りたまえ」 剣斗は先程泰善が破壊した車の破片を手にし、言霊に語りかける。 空気中に存在する金に属する言霊達は、彼の言葉に反応し泰善の真ん前に巨大な壁が出来ていた。 壊された車のパーツで出来たその防壁は、霊獣の突進を完全に止めていた。 「そらよ、コイツはオマケだ…発破!」 壁に刺さった角が抜けず地団駄を踏む獣の首を切り落とし、薄暗い診療台にありったけの鳴子の符札を投げ込んだ。 先程から学習したのか、急いで飛び退き、相手の次の手に備える。 数瞬後、鼓膜を振動させる大爆発の後、救急車全体が爆炎に包まれめらめらと炎上した。 「やったか?」 「油断すんな泰善まだ反応は消えてな……ッ!?」 事切れたように倒れる剣斗。 元々自動で発動する探査機能でガンガン体力を消費されている中で、今回のムリが祟ったのだろう。 「無茶をするから! 腕を貸して下さい」 「…やべぇ」 「諏佐野?」 「どうやら本気にさせちまったみたいだ」 爆炎を風で吹き飛ばし、真っ黒な闇を纏い、駕籠(くるま)がそこにあった。 首無しと半身の四足獣が車のぽっかり空いた穴にむしゃむしゃと咀嚼されていく。 余分なパーツもこそぎとられ、必要最低限の骨組みしか残ってないその駕籠は猛スピードで空中を疾走する。 「バカ、避けろ泰善!」 「ぐおっ」 動けない剣斗達を庇い、土手っ腹に車体が直撃した。 軽く10メートルは吹き飛ばされただろう、奇妙な浮遊感に襲われた。 (あんにゃろう、鞠玉みたいにぶっ飛ばしてくれやがって) 地面に叩きつけられ、憤りの念が湧き上がる。 口から垂れる血を拭い、震える足で何とか立ち上がった。 幸い骨折も臓器の破損もないようだ。 「野郎、わき腹何本か折れるかと思ったぜ」 「無事ですか諏佐野! もう、なんで連絡つかないの鳴子先生!?」 「パニクんなお嬢。こんくらいで焦っちゃ負けのフラグだぜ」 軽口を叩きながら両手の様子を確かめる。 強打した右肩がやや突っ張る感じはするが、その程度なら問題ない。 さっきまでのような片手での斬りには限界がある。 速さはあるが、その分やはり力が、妖の核となる部分まで切り捨てるだけの力が足りない。 (本気の、両手での袈裟斬りに賭けるか? いやだが――) 横からの動きに対応出来る片手の時とは違い、両手で刀を持つとどうしても対応出来る範囲が狭まる。 剣道が面対面のスポーツであるように、前からの攻撃しか対応が出来ないのである。 加えて敵のあのスピード。 的を絞らせるのは至難の技だ。 (七半(バイクの750cc)ぶっ放されたぐらいまでならギリギリ耐えれるが…おそらくそれ以上だな。 さて、どうする?) 「一発食らうの覚悟で入れるしかねぇか? やべーな耐えれっかなー」 「何意味の分からないことを言ってるんですか! 輪入道は私が戦えたとしても、戦うのを避けたいくらいの大妖怪なんですよ、それを、キャッ!?」 「っぶねぇな!」 森羅を抱きかかえ、何とか敵の突進を避けた。 最初は目で追えた敵の突撃も、今ではもうほの暗い線が走った残像しか見えない。 「クソッ速ぇよ。あんなんで外出たら一瞬で免停もんだろ」 軽口を叩きつつ、逆転の方法はないか思案するも中々考えが浮かばない。 元々彼自身が立案なんかするタイプではない。 (ウチのブレーンは何やってんだ?) 近くでへばっていた剣斗を探すと、彼は先程、森羅と結界を貼っていた場所まで移動し、何かを漁っていた。 「おい何やってんだ」 「泰善」 「……何か思い付いたのか?」 「チャンスは一回、きりッイッ!」 「お、おいおい大丈夫かよ」 「綾取りで絡め捕る。後は任せたからな」 「綾取り? ……綾取りか! なるほどそりゃいいや」 ニヤリと笑う。 相棒の意図が通じた。 あとは自分がそれにどれだけ合わせられるかだ。 いや合わせてみせる。 (ダチが作ってくれたチャンスだ。外すなよ諏佐野泰善!) 「道と確保。それだけしてくれりゃ十分だ」 青白い顔の剣斗が頷く。 彼の体調から察するに正直一回が限界だろう。 「来いよ。大将! 俺は逃げも隠れもしねぇ! 殺れるもんなら殺ってみやがれ!」 駐車場のど真ん中で寝転び足を投げ出す。急にふてぶてしい態度に変わった相手に困惑したのか、上空の輪入道の動きが停止する。 車の中から此方を凝視している一対の目からは、小馬鹿にするような雰囲気が感じられる。 「どうした、どうした? 寝転がったヤツ相手でも正々堂々は怖いってか? 大妖怪が聞いて呆れるぜ! まぁ元が人間の魂盗むだけの妖怪だ! 無理もねえか?」 先程とは別の鋭い殺気が彼を射抜く。 (もう一押しだな) 泰善は内心ニヤリと笑った。 視線だけ剣斗の方を向けると、彼は静かに肯いた。 準備は出来た。 後はのるかそるかだ。 「所詮は総大将の足役だ。一軍を率いたり人間を脅かす器じゃねぇってこった」 ガチャリと響く音。 そして。 開けられた救急車の中から飛び出してくる暗い炎の四脚獣の群れ。 上空から次々とこちらに向かい駆けよせてくる。 「ぬぉおおおおおおおおおっ!」 上体を起こす勢いを利用し跳ね起き、地面に落ちていた木刀を蹴り上げキャッチ。 その体勢のまま横凪に一閃。 「胴アリ! ってな!」 最初に突っ込んできた4、5体をまとめて切り捨てた。 しかし次第に状況は悪化していく。 倒しても倒してもキリのないくらい使い魔を出され続けたら、いくらタフさがウリの彼でもキツいものがある。 (気張れよ。ここが踏ん張りどころだ) そんな彼の予想とは裏腹に、輪入道の使い魔はそこが見えない。 50体は倒したというところで泰善は片膝を付いた。 木刀も最後の一体を倒した際に飛ばされてしまい、丸腰の状態だ。 もう取りに行く気力も残ってない。 「クソッたれが…」 「……」 その言葉を最後に泰善は気絶したのか倒れてしまった。 しかし最初に出てきた時に比べ、相手も相当消耗している。 車全体に炎がコーティングされていた当初とは異なり、ボロボロのパーツがむき出しのあばらやのような佇まいだ。 「……馬鹿な男」 開かれたドアから一人の妙齢の女性が顔を出し、そう呟いた。 彼女は周りをキョロキョロと見渡した。 どうやら他にもいた男女には逃げられた様だ。 自分の為に命を張った仲間を簡単に見捨てる。 やはり人間は汚いきたないキタナイ穢い。 人間は嫌いだが、この男はさほど嫌いではない。 粗雑で乱暴だが信念を持って戦う相手には男女問わず、彼女は敬意を表す。 「……この車を墓標にしてさしあげるわ」 彼女が取り憑いてから長い年月を共にしてきたが、この車もそろそろ寿命が尽きる。 「……派手に散りなさい」 病院の遥か上空からのトップスピードでの特攻。 車が壊れてもいいなら「スピードを制限」する必要もない。 そんじょそこらのジェットコースターを遥かに凌駕する角度で、最初からトップギア。 遅れて聞こえてくる音。 一気に近づいてくる地上。 今宵、彼女は妖の人生で初の音速を超える、筈だった。 「待たしたな泰善」 「諏佐野、準備終わりましたよ!」 病院の窓が開け放たれる。 そこには逃げたと思った男と女が立っていた。 そして。 「うそ…?」 「私の髪に女郎蜘蛛の糸の特性、言霊による強化を重ねた特注品です」 「お陰様で死ぬほど頭痛いけどね」 絡まりつく白銀の糸。 病院の窓枠、柱、地上に置いてあった備品入れ。 様々な物に結びつけ、この白銀の蜘蛛の巣は出来上がっていた。 最初に結界を作るとき使った森羅の髪を拾った時に、彼女にこの話を持ちかけたのだ。 今日一日中病院内を捜し回っていたので、どこに何があるかは二人とも理解していたのも成功に大きく貢献した。 体力的にもタイミング的にもぶっつけ本番、一回きりのチャンスだった。 上手くいく可能性は低かったがどうやら良い方向に転んだらしい。 「なんで、どうやって? そんな相談彼にしてなかった筈」 「…話さないと分かんねえこともいっぱいあるが、話さなくても分かることだってあるんだよ」 そう言うと泰善はゆっくりと立ち上がった。 体力は残り少ないが、一発殴るくらいは残してある。 「道作りますね」 そう言うと泰善の目の前に煌めく白銀の道が出来上がる。 行き先は蜘蛛の巣中央への一方通行。 「致せり尽くせりってな!」 最後の力を振り絞り、坂道を駆け上がる。 20m。 10m。 5m。 「舐めるな!」 どんどん近付いてくる敵に、輪入道の女も黙ってはいない。 これが最期の力だ、と言わんばかりに泰善に向かい暗い炎を吐き出す。 先程までの動物の形を象ったものではなく、作りも荒いただの炎の塊に過ぎない。 しかし泰善を焼き殺すには十分な威力だ。 そんなもの真っ二つにしてやる、と腰に括り付けた木刀に手を伸ばしたが空を切る。 「ぼ、木刀忘れたぁぁ!?」 「たいぜぇぇぇぇぇぇぇぇん!」 振り向くと木刀をこっちに投げ飛ばす剣斗の姿があった。 その傍らには木の葉で出来た小さな式神。 (と、なるとその主様の命令か) 先程吹き飛ばされた木刀を、運んでくれた人物は? チラリと横を向くと、森羅は髪を棚引かせ笑った。 「忘れ物ですよ諏佐野」 「サンキューお嬢!」 「俺には礼なしかよ!」 相棒のツッコミが聞こえ、口元が緩む。 ああ、やっぱりコイツら最高の仲間だ。 飛んできた暗炎を凪払い、泰善は大きく踏み込み――跳んだ。 「来るなくるなクルナ!」 「これで、終わりだぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」 そのまま地上に着地した泰善はゆっくりと立ち上がり、木刀を左腰の刀袋に突っ込んだ。 「除霊完了ってな!」 今宵は綺麗な下弦の月夜。 照らし出されたるは二つになった朧車。 気絶し落ちてきた虫の息の妖怪を泰善はスライディングでキャッチした。 「セ、セーフ!」 「貴方何敵助けてるんですか!?」 「いや女の子は助けないといけないじゃないか森羅」 「貴方には言ってません多々良! 諏佐野、それは妖です妖怪です化物なんですよ? そんなの助けるなんて貴方正気ですか!?」 「落ち着けよお嬢。何もただ助けた訳じゃねぇよ。コイツに聞きたいことがあるんだよ」 わいわいがやがや。 一仕事終え気が緩んだのか、何時もの調子で騒ぎ出す鳴子事務所一行。 そんな彼女達を見つめる人影が一つ。 「やれば出来るじゃない、馬鹿弟子どもが」 病院の従業員用通路にもたれ、苦笑混じりに煙草を吹かす金髪長身の女性。 鹿玖地鳴子、本来の姿である。 「さて、後片づけしましょうか」 下に散らばった煙草の吸い殻から、煙草の吸い主がかなり長いことここにいたことを証明している。 実は助手と弟子たちが心配で、最初の電話があった時からこちらに向かっていたのだ。 「ん?」 不意に此方に視線を感じ、振り向くとそこには小さなオモチャの手鏡が落ちていた。 「…ふむ。気のせい、ということにしておきましょう」 そう言うと鳴子は、吸っていた煙草を手鏡の方にポイッと投げ捨てた。 鏡に当たる直前に、勢いよく煙草が燃え上がり辺り30cm程を燃やし尽くした。 案の定手鏡もドロドロに溶けている。 「やっぱり加減って難しいわ」 そう呟くと彼女は、自分の姿を見て怒声を上げる事務所一行の下に歩いていくのだった。 「やぁ諸君、遅くなったわね!」 これで全てが解決したとは思っていない。 調べてみたら、殺された国家から派遣された陰陽師は全身を切り刻まれて死んでいたという。 打撃と炎がメインの今回の敵とは明らかに攻撃手段が違いすぎる。 (厄介なことになってないといいけど) 今から頭が痛くなる鳴子なのだった。 * 「危ない危ない。危うく見つかるところだったよ」 場所は変わり病院の屋上。 中肉中背の影と丸々とした影が月夜に映し出される。 「マッピー知ってるよ、いのちからがらってヤツ」 「鹿玖地鳴子は倒せなくもないが、やはり相手にはしたくないからねえ」 「マッピー知ってるよ、鹿玖地鳴子の弱点」 そう言うと丸々と太ったピエロは濁った目で、地上で騒いでいる剣斗達を指差した。 「こらこら、老人の楽しみを無闇に奪うものではない」 「マッピー、怒られてしょんぼり」 しゅんとしたピエロの肩を老紳士は、愉しげに叩いた。 「はははっいざとなったらお前に任せるさ」 「マッピー、がんばる」 「しかしだ、輪入道程の妖でも遅れとるものなのか」 「マッピー知ってるよ、偉い人いない時、下っ端大したことない」 「それでもだ。素人に倒せる程、甘い相手ではあるまい。 やはり「彼」は中々に強いではないかな。ああ期待出来そうだ、出来そうだとも」 「マッピー知ってるよ、期待は絶望の裏返し。 期待は願望。願望は渇望。渇望は絶望」 「はははっ面白い事を言うなあマッドピッグ」 古いスリーピーススーツに身を包み、ステッキを持った男は、頬が裂けそうになる程、笑みを浮かべた。 「この程度で絶望などしないさ。私は楽しみで楽しみで仕方ないんだ。 彼らがどこまで成長し、どこまで食らいついてくれるか、ああ今からすごく楽しみだ」 「マッピー、それ分からない」 「うーん、近々お前にも動いてもらう。その時になれば分かるだろうさ。 とりあえず京都の木道君に連絡をとろう」 「まもっちゃん?」 「そうだそうだ、木道真守君だ。覚えていて偉いぞマッドピッグ」 「えっへん」 そう言うと、彼らは来た時と同じく音もなく消えていくのだった。 [*前へ][次へ#] |