神代道妙記
第一章 旅立ち
風太郎が正太郎の家にやって来て、十年が経っていた。二人はもう大人と呼べる歳になっている。そして、壱もまだまだ美しかったし、実助もとても若々しい。
「昨日は二人共お手柄だったな!」
相変わらずニカッと真っ白な歯を見せながら笑う実助。
「昨日は、じゃなくて、昨日も、だよ」
正太郎が言う。
「昨日は俺のお陰だろ? 正太郎はノロマな大男を一人倒しただけじゃぇかよ。俺なんか何人倒したことか……」
「風太郎が倒したのは下っ端ばっかだろぉ?」
「はいはい、いいから二人共食事中に喧嘩するのは止めなさい!」
「うっ……」
二人は壱に一喝されて押し黙った。
「はっはっはっ、村一番の手練れも母さんには敵わないな」
実助がその様子を見て大笑いする。
「あ、ちょっとあなた! 食事中に笑うなとは言わないけど、せめて口を押さえるとかしてよ。口の中の物が飛んで汚いじゃない」
そう言って壱は実助をじろりと睨み付けた。
「お、おお、すまんすまん……」
それには風太郎と正太郎の二人が笑った。
「村を護る守護隊の伝説的隊長も、母さんの前じゃ形無しだな」
「ホント、ウチじゃ父さんよりも母さんの方が強いもんな」
実助は風太郎がこの家に来る更に三年前から今までずっと守護隊の隊長をしており、村では最強と言われていた。十年以上も守護隊の隊長を務めているのは実助が初めてで、守護隊のメンバーからは生ける伝説なんて言われたりもする程だ。
そんな男に小さな頃から訓練を付けられ、しかも絶好のライバルがすぐ近くにいた風太郎と正太郎はメキメキと力を付けていった。何をするにも二人で競い合い、切磋琢磨した。
風太郎は神々の頂点に立ち、世界の全てと関わることを目標にしていたし、正太郎はそんな風太郎を助けたいと思っていた。それに正太郎には父、実助を越えるという夢もある。
実助以外、二人に敵う者はもう村にいない。山賊や物の怪との戦いで場数を踏んだ二人は、正に敵無しだった。実助は風太郎と正太郎を村一番の腕があると言ってくれたが、しかし二人とも未だにその実助を越えた気はしていなかった。
楽しい雰囲気の中、風太郎が突然真剣な顔をして箸を置いた。
「風太郎、どうしたの?」
いち早く、その様子に気付いた壱が尋ねる。
「父さん、母さん、それに正太郎も……。聞いて欲しいことが、あるんだ」
さっきまで大笑いしていた実助や正太郎も箸を置いた。
「どうした? 似合わない真面目な顔なんかして」
そう言った実助も、似合わぬ真面目な顔をしている。
「俺、もう十九になった。修行や勉強も必死に頑張って、世間でもやっていけるくらいには成長出来たと思う。だから俺、旅に出ようと思うんだ。そんで、何年、もしかしたら何十年掛かるかもしれないけど、森羅万象と関われるように神々の頂点に立つ。ここは本当に楽しくてさ、育てて貰った恩もあるし感謝もしてる。だけど、だからこそ今行かないとこの村から、この家からきっと出られなくなくなるからさ……」
風太郎は下を向く。みんなの反応を見るのが恐い。怒られるだろうか、呆れられるだろうか、嫌われるだろうか。不安な気持ちが風太郎の中で渦巻く。
「いつか、お前はそう言うと思ってたよ」
大きく息を吐きながら口を開いたのは実助だった。
「初めて会った頃から、それが夢だって言ってたものね」
壱が続く。壱も実助のように溜め息を付いた。呆れられたのかもしれない。風太郎はそう思った。
「寂しくなるなぁ」
実助が呟いた。
「え?」
「何驚いてるんだ。引き止められるとでも思ったのか? 残念だけどお前とも十年一緒にいるからな、性格くらい分かってるつもりだ。止めても無駄なんだろ?」
そう言って実助はいつものようにニカッと笑う。壱も笑っている。
「父さん、母さん……。ありがとう」
育ててくれたのがこの二人で本当に良かったと、風太郎は改めて思った。自分のことを本当に理解してくれているのだ。
それにしても一番怒ると思っていた正太郎が思いの外呑気にしている。兄弟のように育った二人だから、出て行くと言ったら絶対に怒ると思っていた。
「で、いつ出発するつもりなんだよ」
「あ、明日の朝にでも……」
「明日かよ。早いな」
「あ、ああ。決心が鈍らないようにと思って」
「ったく、相談くらいしろよな」
「おう……、悪かったよ……」
翌日の朝は瞬く間にやってきた。
村のみんなには昨日の内に挨拶を済ませてきた。風太郎は最低限の旅の荷を提げ、腰には愛刀を差して表に出る。そして一度大きく伸びをした。
すると風太郎に次いで正太郎、実助、壱が順に出てきた。正太郎は風太郎の肩にポンと手を乗せた。
「今日は旅立ちには丁度良い日和だな」
「ああ、そうだな。で、お前は何やってんだよ……」
風太郎は正太郎の出で立ちを上から下まで確認する。
「何って……」
正太郎も風太郎につられて自分の出で立ちを確認する。
「今から旅立とうとしてるに決まってるだろ?」
「はぁっ?」
それは正しく旅の出で立ちに違いなかった。
「何で正太郎が旅立つんだよっ」
「お前が行くんだから、僕も行くに決まってるじゃないか。風太郎一人だと何かと心配だしな。僕がいた方が安心だろ? それに父さんと母さんもそのつもりでいたみたいだし」
「えっ?」
風太郎が二人の方を見ると、実助と壱は同時に大きく頷いた。
「な、何で……。だって昨日、相談くらいしろ、とか言ってたじゃねぇか!」
「明日出発とか言うからだろ? 準備だってあるんだから出発日は早めに相談しといてくれないと」
風太郎の旅は、初っ端から予想外の展開で始まることになった。風太郎と正太郎は、実助と壱と改めて挨拶をした。そしてそれも最後になった。
「二人共、行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
実助と壱は、温かい笑顔でそう告げた。その瞬間風太郎は、初めてこの家に来てから今までのことが一気に蘇ってきて、思わず涙を零してしまった。その涙は次々と溢れ出し、止めどなく流れる。嗚咽が漏れる。それでも風太郎は自分の思いを二人に伝えようとした。
「父さん……、母さん……。い、今まで、育ててくれて……あり、ありがとうございました……」
風太郎は必死に涙を拭いながらなんとか言葉を紡いだ。
「父さんと、母さんの、家に居られて俺……ホントに、幸せ、でした……」
「バカだな……。俺達は家族なんだから、礼なんていらねぇんだよ」
実助の目は真っ赤になっている。きっと涙が流れ出るのを必死に堪えているに違いない。
「母さんだって、風太郎と正太郎と父さんと四人で居られて、本当に幸せだったよ」
壱の笑顔には二筋の綺麗な雫が伝っている。
「泣くなよ。今生の別れって訳じゃないんだから」
平然な顔でそう言う正太郎だけれど声は震えていた。
「そうだぞ、いつでも帰ってきていいんだからな」
「ここはずっとあなた達の家だからね」
泣きじゃくる風太郎の頭を実助が撫でる。壱は風太郎の手を取り、そっと包むようにして握る。
「ありが……とう、ありがとう」
風太郎はやっと落ち着いてきたようだった。
「それじゃあ、父さん、母さん、行ってきます」
「行ってらっしゃい、正太郎」
実助と壱が順に正太郎の手を握る。そうして、遂に風太郎と正太郎は旅立った。実助と壱は二人が見えなくなるまで手を振っていた。二人も、何度も振り返っては手を振った。
そうして村を出ると、後ろから村の友人達の声が聞こえてきた。
「行ってこーい!」
「しっかりなぁ〜!」
「気を付けてねぇ〜!」
「村は心配いらねぇぞぉ〜っ」
「俺達がしっかり護ってやるからなぁ!」
どうやら今日二人を見送ろうと予定していたらしいが、風太郎達の出発が思っていたより早かったようだ。
「あいつら、ちょっと遅ぇよ」
二人は苦笑しながらも嬉しく思い、みんなに大きく手を振った。
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