第三の国
決意10
扉をくぐって通された部屋は、前に俺が手当てを受けた場所とは違い生活感があった。
脚に見事な彫りを施された卓上にはうず高く積まれた半紙が、黒檀の長椅子の背には色の変わった監視服が上監スカーフと共に無造作に脱ぎ捨ててあり、部屋の主の忙しさを思い起こさせた。
薄暗い部屋の中で小さな寝息が聞こえてくる。ベッドの縁を伝って視線を動かした。
そして、ホッと息を吐いた。
「エメンタール……」
脇に置かれた蝋燭の灯りに照らされたエメンタールはうつ伏せになって眠っていた。背中一面に包帯が巻かれているし、確かに源平さんが言ったように体中に膨れ上がった痣があった。普段の彼を知るリコッタの顔ぶれなら、この変わり果てた酷い姿に目をそむけたか、あるいはその場にへたり込んだかもしれない。
傷ついた友を前に薄情かもしれないけれど、俺にはエメンタールを心配する余裕はなかった。まるで寒風に晒されたように体はぶるぶると震え、ベッドに投げ出された重傷の親友を穴が空くほど眺めた。すると体は次第に脱力していった。
立ちっぱなしの俺たちに源平さんは席を促したが俺は首を振って意思を伝えることしか出来ず、しばらくは木偶の坊のように呆然と立ち尽くしたままだった。
「おい、声上げるなよ。ビービー泣きやがったら追い出すからなっ!!」
椿が眉間に深いシワを寄せて、低く唸る。途端に煩わし気な視線にぶつかった。俺はてっきり自分に向けられたものかと誤解したが、その視線の先は隣に向けられていた。
「……泣いてねぇよ」
そう言って大粒の涙を落とすパルは、椿の叱咤を守る形できつく唇を噛んだ。
「ごめん、エメンタール……ごめ……なさい」
嗚咽交じりの小さな謝罪は、無力な自分を責めていた。
挨拶もそこそこに、エメンタールの無事を見届けると、俺とパルはあけびの部屋を後にした。
ペタリペタリと自分たちの足音が石廊下に飲み込まれ、無言のまま大部屋への道を二人で辿った。
パルは憔悴しきったように項垂れて歩き、俺は足は止めずに左肩に手を置いた。指に触れるミミズ腫の刻印番号を爪を立てて強く掻きむしった。血が出ても構わず続けた。
こんなもの……消えろ!!跡形もなく無くなればいいんだ!!
俺はこの日、奴隷になったことを心底恨んだ。
どこまでも自分たちを苦しめる和神と高砂に対する怒りが荒れ狂う波のように止めどなく押し寄せ、とり憑かれたように焼印を掻いた。
狂った脳裏にロックフォールの声が反響した。
『狙うは天主の命だ』
天主暗殺を掲げたカゼウスの会。
天主を殺せば、俺のこの怒りは収まるだろうか!?
もう仲間は傷つかずに済むだろうか!?
もしそうなら、俺は鬼になろう。
仲間を守れるなら
――天主だって殺してみせる。
そう思った瞬間、体を流れる血液が一気に冷たくなっていくのを俺は感じた。
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