アーザの火 21 ――あれから10年の月日が流れ、内海のすぐ後ろまで這い寄った国定の努力は大将の地位を築いた。 けれど、国定は軍人として最大の危機に直面している。今はただ祈るように、内海はそっと窓を閉めた。 ”まさか死罪はないッスよね?” 自分の副官であるいたるの言葉が、逡巡して頭に浮かぶ。 (国定を死なせるぐらいなら、悪魔に魂を売り渡してもええ。そのためなら、わいはなんだってやってやる) 無意識にまた眼光が鋭くなった姿が、壁にかけられた鏡にうつると、表情を解すついでに身だしなみも軽く整える。 今回の任務である魔女の生け捕りを命令した元・大元帥のお偉方に報告するため、内海は部屋を後にした。 長い廊下を羽ばたいて移動し、ある会議室で元・大元帥達と対峙する。 内海に言わせると引退したジジィ共が井戸端会議をしているだけなのだが、一礼して中へ進んだ。 事の顛末を報告し終えると、元・大元帥の一人に呼び止められる。 「――ふむ、報告ご苦労であった。しかし内海元帥、あれは我々にとっての大事な生贄なのだよ。扱いはもっと丁重に致したまえ」 どうやら、内海が真白を殴った件について苦言を呈し、釘を刺されているようだ。 命令違反など、あってはならぬと牽制の意を込めているつもりなのだろう。 逆らってもろくな事はないので内海も素直に従う。 「失礼致しました。今後は気をつけます。では、わ…私はこれにて退室させて頂きます」 危うく、いつもの軽快な口調の一人称を口走るところだった。らしくない敬語を使い、ストレスが一気に溜まる。 それにしても、元・大元帥や裁判官達は一体真白をどうするつもりなのだろうかと考えていたら、胸元に刻まれた刻印が疼いた気がした。 「あんなジジィに言われんでも分かっとるわ……」 髪をかきあげ、愚痴を一つ零すと、その足で自分の執務室へと向かう。 中では先に内海の命令で戻っている江月が待ちかねていた。 「――うつみッ!」 「遅くなってすまんかったなぁ」 広々とした室内には格調高い調度品の壺や、光沢ある黒いレザーのソファが対面する形に置かれている。 江月は内海が目を通しやすいように資料を項目別に整えていたが、手元からパラパラと数枚紙が落ちるのもお構いなしに抱きついた。 「江、資料落ちたで?ホンマせっかちやなぁ」 「あ…ごめんなさい」 副官ではあるが、内海は大概一人で何でもこなし、江月も精神的に幼いので、他の副官に比べると雑務に関してはあまり当てにならなかった。 戦闘能力は白翼にしては抜きん出ているが、美点はそれだけであるし、内海は守られなくとも充分強いので、行動自体も副官を連れずに単独が多い。 江月に出来ない仕事はいたるに任せれば万事片付くため、内海は特に気にもしない。 だが江月からすると、何のための副官か自分の存在意義が時々分からなくなり、不安に駆られるのだ。 肩を落とし、床に散らばった資料を集めテーブルの上にひとまず置くと、瞳はうっすらと潤んでいた。 「おれって……うつみの…なんなのか…たまにわかんなくなる」 “お前にとっての俺って一体なんなんだよ?” 内海は記憶の声と江月を重ね合わせる。奴隷市場で見初めた時も、色素の薄い肌と髪の色から目が離せなかった。 ――似ていた。内海の特別に江月は似ていて、どうしても奪い去ってしまいたくなった。……実際に自分の手中に収めたが。 今現在も、こうして内海の腕の中には江月がいる。 透明感のある髪と肌に触れ、口付けの雨を顔に降らせる。くすぐったそうに江月は身を捩った。 「わいは“副官”としての江を望んでいないで?そのまんまでいいんや」 「ほんとに?」 江月は内海の胸元に手を触れ、顔を埋めた。内海と同じ髪色の瞳は涙で濡れていた。 「ごめんね。おれのせいかくは、くにさだと……にてなくて」 (おれも……くにさだになりたかった。おれがくにさだなら……うつみはおれだけを…みてくれるから) 「江……ッ」 最初は、国定のように色素が薄いから気に入っただけだった。でも、江月は国定とは違う。 内海にもそれは分かっているつもりだ。性格も幼く、泣き虫で、甘えたで、どうしようもない程一途だから――愛おしい。 可笑しそうに江月を眺め、ふっと内海は吹き出した。 「確かに、国定と江は全然似てへんな。だからええんやんッ!」 「うつみ……」 狡い人だ と江月は思った。無常の優しさも、時には残酷へと変貌を遂げるのだ。 しかし、自分にできて国定にできない僅かな勝機を江月は既に見つけている。 唇を重ね合わせると、内海の首筋に腕を回す。 「だいて…?」 (うつみのこころは…おれのものじゃない。でも、からだは…おれだけのものにしてみせる) 甘く艶っぽい声色は、内海の瞼を自然と閉じさせた。江月の顎を上向かせて深く口付けをすると、黒いソファに押し倒して――抱いた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |