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GEAR SIDE
(Re)Birth:2





――夏のある日を思い出していた。
成長と共に合わなくなったA・Tを新調してやった帰り道、喜ぶ亜紀人が何度も何度も自分に呼び掛けていた。
そして太陽にも負けないような明るい笑みを見せていた。
あの時、亜紀人が見て欲しがっていたのは何だったのか……。





彼が気付いた時には、既に異変は起きていた。

亜紀人が亜紀人で在る事を辞めていた。
自身から別名――咢と言う――を名乗り、それどころか顔付きまでもが違っていた。もうずっと虚ろだったその瞳はいつの間にかしっかりと現実を見ていた。
それ以上に、何よりも異変だと思えるのは亜紀人である筈のモノが“海人を睨み据えている事”だった。
海人にとって何時だって従順だった弟の表情には、そんな顔は在りはしないのだ。
ならば、この存在は、これは確かに。
――亜紀人ではない。
海人は精神科医の告げた診断を思い出す。解離性同一性障害だと告げられた。
酷く愚弟らしい……とも思うし、反面、見た目よりも余程芯の強い弟らしからぬ……とも思う。
そして同時に、自分自身が愚兄である事も報しめている。
――どう転がっても苛立たしい話だ。
「分かった、お前が亜紀人じゃないってんなら」
海人は檻から引きずり出した、“亜紀人だったモノ”に語りかける。
「なあ」
腰を折り、互いの瞳に互いの瞳しか映される余地が無い程に肢体を近付ける。
静の威嚇。
「亜紀人だせ」
「――」
返事は無かった。
「亜紀人を出せ、今すぐだ」
「――」
やはり返事は無かった。
「亜紀人を出せ!!」
二度繰り返し、三度目には癇癪を起こし声を荒げ、亜紀人……否、咢が背中を預けている鉄格子を乱暴に掴む。格子はガシャリと鈍い音で鳴いた。
咢は。その音にも特に動じた様子は無い。
ただ、海人の荒れた様に漸く口の端を上げるといった反応を示した――それは海人の心を逆なでする嘲笑だった。

――ああ、“俺の亜紀人”はこんな笑い方はしない――

海人が一呼吸置くと、片手に握り締めていた鞭の柄に力が篭り、咢の背後でまた檻が悲鳴を上げたが、しかし、それでも咢の両目から蔑みの色が消える事は無い。
程なくして、咢は静かに口を開いた。
「亜紀人は走れない」
それはとても落ち着いた声音だった。
「だから何だ?そんなコタどおでもいーんだよ。亜紀人出せ」
「どおでもよくないだろ?走らないなら用は無いんだろ、あんた」
「用ならある。亜紀人を出せ」
「しつこいな。逢いたくねーっての」
「ハッ……お兄ちゃん困らせる悪い子にはお仕置きしなきゃいけねェだろ?……文句あんならテメエの口で言えってなっ!!」
ガンと堅い拳が壁を殴り付ける。それにも咢は動じない。
「そうしたのはあんただろ……ふっ、あんた亜紀人には不要な存在だって。マジで自覚ねーの?」
――ピタリ。
その言葉に、乱した髪もそのままにユラリと姿勢を正す海人の動きが停止する。
「るせー」
ネジの切れかかったようにポツリと呟く海人に、停まるならその内から止まれと、咢は内心で呟いた。
亜紀人が許しても、咢は許さない。
「都合よすぎだろあんた」
「――」
海人はまた一呼吸置いてポツリ呟く。
「るせー」
そうやって海人が積み上げる呟きなどには心は痛まない。
「俺は許さない」
咢は歪めていた口の端を正した。
そうして痛烈に。
解き放つ。

「いっぺんクタバレ糞兄貴」

涼やかな程に響かせた。
そこに見えるのは蔑みを通り越しての純粋な悪意。

海人の中の何かが――否、心が軋んだ。

――それがお前の本心か、亜紀人――

ヒュン。
大気が鋭く斬られる。

鉄、布、皮膚、全てを打ち付ける。
切り裂く。
何度も何度も、何度も何度も。
「――っ!」
咢が顔を覆って屑折れた時、無心で振るい続けた鞭の先は、漸く力尽きて地に落ちた。
白い頬に赤い血が伝い落ちて行くのを目の当たりにして、ゆっくりと海人は我に還っていく。
そうして海人は、ただ肩で荒い息をしながらジッと、うなだれた弟を見下ろしていた。





晴天。
外からの光りが差し込むのを檻の外で眺めていた。
履き馴れたA・Tを傍らに置いて、手持ち無沙汰に縁を撫でた指先で、左目を覆う眼帯に触れた。傷はもう完治していた。幸いにして視力にも異常は無い。
傷や障害が残らなくて良かったと、心底安堵している。
「それ。気にいったのか?」
不意に触れてくる温もりに心が跳ねる。多分、自分の中の“亜紀人の部分”がそうさせているのだろう――伸ばされた手が髪を梳いて眼帯の白に触れるのを、黙って受け入れながら咢はそんな事ばかりを考えている。
クスリと笑う声。
「いいぜ、イカしてる」
熱を計る時のように、静かに額が合わされる。
「あん時は悪かったな、咢。痛かったよな?いい子にしてりゃもうしねーから」
紡がれる一語一句がひどく優しい。
右目で見上げる。
視線を合わせる。

亜紀人が恋い焦がれたあの笑みが在る。

隠した左目が熱い。
……右目も熱い。
――きっと亜紀人が泣いているんだ。

「愛してるぜ咢。お前だって俺の可愛い弟だ」

……今、溢れた涙がレンズになって、
歪んだ世界が見えている――…





fin.



+++++++
アキアギの眼帯要素の理由を考えたら『海人への当て付け』になりました。(笑)亜紀人って言うよりも咢の小さな抵抗。
でも、Trick:92の若い写真見てしまったから微妙……。(苦笑)
「クタバレ糞兄貴」は、ずっと言わせたかったんです。
因みに少し前に日記にて、3000字消えたと嘆いてましたが、これのアキアギの会話部分、後半の事です。今になっては良いか悪いか判断出来ませんが、随分スッキリコンパクトに落ち着きました。


2005.05.26up。
(冒頭部初出:05.02.03/05日記)


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あきゅろす。
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