依子 1 その子どもを助けたのは、ただの気まぐれで。 泣いて顔をぐしゃぐしゃにしているものだから、仕方なく小さな頭を撫でてやったのだ。 一一一姉ちゃん その子どもは誰かと間違えているようで、しきりに私にしがみついてくるのだった。 一一一おい、迷ったのか。ここはお前のようなチビが来るようなとこじゃないぞ。 真っ暗な森のなかは静寂に包まれている。 しっかりとしがみついている子どもを無理矢理引き剥がすと、ひくりっとしゃっくりをして私を見た。 とても真っ直ぐな視線で。 一一一これ 子どもの手のひらには不恰好な笹舟があった。 一一一この先に、川はありますか どうする気だと聞こうとして、その子どもがあまりにも真剣だったので私は諦めてため息をつく。 落ちたらどうする気だ、それだけじゃない。ここには私のようなものがうじゃうじゃいるんだぞ。 そう言いたいのを我慢して付いてこいと歩き出すと、子どもは目元を赤くしながら私の後ろを慌てて追いかけてきたのだった。 一一一ありがとうございます 私は振り返ることはしなかった。 馴れ合うきはなかったし、その子どもの息づかいが分かるほどには距離は離れてはいなかった。 一刻歩き続けると、かすかな音が聞こえてきた。 さらさらと川の流れる音である。 一一一川だ 子どもの嬉しそうな声が森に木霊した。 一一一おい、大きな声を出してくれるなよ。 私の言葉など聞かずに子どもは駈けて行く。 そしてあの不恰好な笹舟を川にそっと流して、手を合わせた。 そのときになって、この子どもが誰か大切な人を亡くしたのだと気付いた。 一一一姉ちゃんは海が見たいって言っていたから いつかは海にたどり着きますよね、と子どもが私を振り返る。 そんなことは私には分からなかったが、期待するような目を向けてくるので曖昧に微笑んでやると、安心したように肩の力を抜いたようだった。 一一一昔、ここに姉ちゃんと蛍を見に来たんです 子どもは丁寧に頭を下げて、そのまましゃがみこんでしまったので思わず駆け寄ると、小さくしゃくりあげて泣いていることが分かった。 一一一おい、 一一一姉ちゃんに、会いたい 会いたいのだと子どもは泣いた。 小さな体が震えている様子があまりに不憫で背中を撫でてやると、草の上にぼとぼとと涙を落とす。 キラキラと輝いて何だか甘そうだ。 一一一人間が死ぬのは遅いか早いかだろう。そう思うしかないだろうが、お前にはまだ分からないだろうな 分かりません、と小さな声で子どもが返す。 私にも人間の考えなど分かるはずはなかった。 だから馴れ合うべきじゃなかったのに。 私たちはね、情が深い生きものだから情が移ったらそれが最後なのよ 亡くした母の言葉が浮かんだ。 小さな熱い手が私に触れたときには、私はその呪縛から逃れられなくなっていた。 [*前へ] [戻る] |