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モノの喩えである
「巣山の様子がオカシイ?」
「…そーなんですよ…」
「どんなふうに?」
「……、避けられてる?朝オハヨって声かけたら"にょほっ!?"つって金ちゃん走りかまして逃げんの…何さ、にょほって…」
心当たりは?と問えば首が数回振られ溜め息がつかれた。四時限目の中休み。栄口が沖と西広の元へやって来て心細そうに縮こまったまま話はじめるまで無言が続いた。その間は小ぶりな水槽に入った水道水にポチャリと浮かんでいる小さなミドリ亀の姿を三人で囲み掃除道具入れの前でしゃがみこんで見つめていたから何だコイツらと見てくる視線もありはした。
「本人に聞いてみないの?」
「……無理…だってアイツ円の使い手なんだもん。近づくと気配読まれてトンズラされまくり」
「…エン、て何?」
「ハンターハンターの念の一種。じゃあ絶で気配絶っちゃえばいいじゃん」
「もうっ!なんだよ西広、そんな円とか絶とか簡単に出来るわけないだろっ何言ってんのさ!」
「うわぁ…今、責任転化って殴り書きしたい」
「頼むからオレのわかるように話してよ…」
「やだなぁ…何でオレこんなヘコんでんだろ…いっそ亀になりたい」
ザラつく甲羅を人差し指でつつくと防御反応で引っ込める顔と手足が収まりきらず少しだけ覗かせた様子が愛らしい。しばらく経てばまた伸ばした腕で何の引っ掛かりもない水槽の角を掻きはじめる。お腹でも空かしているのだろうか。
「…かーいーなぁ…そうやって癒してくれるのか緑子ぉ」
「ウワッ、ビックリする。ヤだよ栄口、急に名付け親になんないでよ」
「えーなんで、緑子ってかんじじゃんか。美人さんじゃんか」
「オスかメスかもわからないのに言い切ったね、ほんとビックリだ」
坂道を降りていく途中のコンクリで言葉の通り亀の歩みで進んでいたのを沖が見つけてこのままでは車に敷かれかねないと拾ってきたまだ名前のない目下の小さな亀。沖は栄口が嫁にでもくれとばかりに掌に乗せ愛でている姿に柄にもなくカチンときて器用に掬い取り自分の胸ポケットに隠した。
「あ…なんだかなぁ沖ぃ…感じ悪いなぁ今の。皆の緑子だろ」
「だから…なんで勝手に名前付けてんだよ、それがイヤ」
「オイオイ。どこで喧嘩してんのどこで」
沖の苛立ちは奇妙にも湧いて出た親心的なもので栄口の苛立ちは心当たりのない巣山の行動からで明らかにたてなくてもいい腹を煮やす前に西広は間に割って入った。
「とにかく、栄口は教室戻りなよ、授業始まるし。沖も可愛いからって構いすぎたらストレスの原因になるから亀こん中かえしな」
両手の甲で二人分の額をクイとなぜるとまだ幼い顔をグウと曲げて物言いたげに下唇を吊り上げる。それでも根が素直なだけあって小さく頷き栄口はスックと立ち上がり沖はやんわりと掴んだ亀を水の中へ戻す。常が柔らかい人格のこの両者の真顔ほどハラハラさせられるものはナイなと西広は一人胸を撫で下ろし何も言わず行ってしまいそうな背中に気付いた。
「栄口」
「……なに」
「昼休みもおいで。沖と待ってるから」
ね?と沖の肩に手を置き目線だけ向けた栄口に微笑む。バツが悪そうに俯いていた沖も鼻を一回啜ると振り返り、待ってるよ、と頷いた。
「緑子見においでよ。待ってるから」
「………っ」
羽織ったカーディガンの裾を握って揺らいだ瞳を閉じた栄口は鼻の付け根にシワを寄せて、オレ他のクラスで弁当食べんの初、と白い歯を見せた。

「………」
「………」
「……まさか…ソレで抜いちゃねぇだろ…」
「………泉…」
「………」
「……オレ…変態だよなぁ…」
「………答えが返ってこなかったことが一番ショックだわ……」
一つの机に向き合って頭を抱え救われない溜め息はこれで何度目かと泉は泣きたい気持ちをグッと耐える。九組に巣山が現れ手招きで自分だけ呼ばれたかと思えば短距離の走りで一組まで手を引っ張られ連れてこられた。有無を言わさずだ。拉致と言ってもおかしくはなかった。が。目の前で突っ伏したままのこの男の丸刈りの頭の中で蠢く罪悪感や背徳感には泉も言葉を飲んでしまう。悩んだ挙げ句の行動だったに違いない。
「…で、栄口を避けまくったわけだ」
「……はい」
「まぁ…正面切って顔は見れんわな、今は」
「……はい」
「けどよ。このまんまっつーのも無理な話だろ。実際問題イヤでも放課後はやってくんだしよ」
「………だから、泉に頼るしかなかったんだよ…」
語尾が掠れた巣山の弱りきった姿にいたたまれないのは泉だって同じだった。頭をグシャリと掻き脳天を殴られたかのように顔を歪ませる。力になりたいのは山々だが如何せん問題がデリケートすぎる為に押し問答が続くばかりで解決の糸口は未だ手繰り寄せられない。
「……あぁー…つーかさーもうさーぶっちゃけ言えばいんじゃね?」
「っ!!?泉ぃっ」
勢いよく飛び起きた巣山が少し赤くした切れ長な目を見開いて泉の腕にしがみつく。数センチまで近付いた半泣きの男の顔ほどエグいものはないと口を引き吊らせて泉は続ける。
「い、や。だって考えてみ?夢だろ?しゃーねぇじゃん、不可抗力じゃんか」
「……だって…泉…まだオレ、一年坊主じゃんか…」
「あぁ、知ってる。オレもだもん」
「後二年ちょっと何か起きない限り野球部で栄口と顔合わせんだよ?」
「…まぁ…そうなるわな」
「…オレ…オレ………っ、そこまでドMじゃねぇよ…」
震える骨張った身体を擦りながら精神的に追い詰められることに快感を覚える巣山は見たくない。見たくないぞと乾いた笑いが出た。さてどーしたもんかと思いあぐねているとき。
「……泉…」
自分の名前を呼ばれたことは別にいいのだがその主に問題があった。ギギッと錆びた鉄の音が聞こえそうな動きで巣山が窓へと顔を背け泉は、よぉ、と平静を装い手を挙げ答えた。
「栄口、どこいっとったん」
「…や…三組だけど…泉は、なんで…?」
「あー、やー、まー、なー、えーっと………暇だったから」
「嘘」
ピシャリと打たれた返しにムグと言葉につかえた泉の傍でカタカタカタと巣山の足許のみで直下型地震が起きているのかと間違えるほどにその身体が左右に小刻みに揺れはじめた。ヤバイ、本気でヤバイぞ巣山、と心中で叫んではみるが大股で向かってくる栄口が逃げかけた巣山を見て、泉っ捕まえて!!と張り上げた声には敵わず悲しいかな昨日の味方は今日の敵状態になってしまった。
「いずみーっ!?おまっ寝返ったんか!!ハヤスギッ」
「だってコエーべ今の栄口よぉ!!そりゃ安全パイ取るだろうがっっ」
「ヒキョーモンがぁっ!!」
ベソをかきつつも腰をホールドされた現状から逃れようとしていたのだが顔面のすぐ横を風を切る乾いた音と共に冷たい壁に叩き付けた栄口の握りこぶしの鈍い音が耳に響いて一瞬にして巣山は凍りついてしまった。無論だが巣山の腰元から見上げる形となった泉もまた然りである。
「………ヒキョーモンはどっちさ、巣山」
「さ、さ、さ、さかーぐちくん……」
「サカグチくんて誰。ってか巣山なんなの今日の態度。オレなんかした?」
暑くはない。今は二月の中盤で一桁の気温である。なのに米神を伝うこの汗はなんだ。背中に滲む冷たいものはなんだ。色んな感情を逸脱してしまった栄口の表情は無であり声は菩薩のように穏やかだ。それはただただ恐ろしいばかりで先程から緊急避難警報が無意識レベルで鳴り響いている。
「やっ、栄口はなんもしてない…です」
「じゃあなんで避けるような真似すんの。オレとまともに目すら合わせようとしないの」
「…………っ気、のせ、い」
「バカ言わないでよ」
「っ!!スンマセンっっ」
もう一度壁を殴り詰め寄る栄口に巣山は散々なほど気落ちさせられ参っていて両手で顔を覆い隠してしまった。泉は野生の本能に従い我関せずを決め込むことにしなるべく火の粉はかぶるまいと身を小さくしているとクラスの視線が自分たちに一点集中していることに気付き何か相談している様子も見受けられ、ヤバイ、と逃げ腰を止めた。
「ストーップ!!ストップ栄口。本当に巣山はすきで避けたんじゃねぇんだよ」
「……だから、それを教えてって言ってる…」
「教えます、包み隠さず教えます!なっ巣山!!」
「へっ!?」
「頼むっ、オマエらこのままだとマジ喧嘩しかねねぇし。周りの奴らだってセンコー呼びに行きそうな気配なんだって…」
「………っでも」
「デモもクソもヘッタクレもねぇよっ!ちゃっちゃか言ってスッキリしろや!!」
さぁ男だ巣山っもうこうなったら言うしかない。つーか言わなきゃオレもとばっちり喰うからマジ言え。
目線で脅しをかけた泉は巣山を捕まえた腕を離し次に背中を強く押した。一歩前に踏み出した胸板に栄口の身体が軽く当たってそれでも動じず顔を上げた大きな目が少なからず哀しげで眉間にシワを寄せた巣山は、ゴメン、と呟いてそして骨張った手の甲を口許に当てて息をついた。
「……栄口の夢を、見たんだ…」
「…オレの?」
頷いた巣山はその手を額に当てて脂汗を拭う。
「……か、亀をオレに見せて…コイツ、甘い味がするんだって……言うんだよ」
その時、栄口の頭には緑子が浮かんだのだがそれで?と先を促した。
「…っ、はぁ。…甘いって何でわかんの?舐めでもしたんか?って……冗談のつもりで………っしたら…おまっ……オマエ……そ、だよっつって……亀、の頭を……舐めっ!」
電光石火の素早さで栄口の掌が巣山の紡ごうとした言葉を押さえ込んだ。
「…ハッ…ハハッ……。何言って…いやマジ何言っちゃってんの…ねぇ?泉」
信じたくなかった。栄口は先程までの無表情を崩し一貫して明るく振る舞おうとした。しかし巣山のこのテラテラと光る非常識な汗と心底残念な面持ちで胸に手を当てた泉を見てしまい乾いた笑いすら出てこなくなってしまった。
「そんな……嘘だ……」
「っだから!オレだって自分の夢とは言え後ろめたくって……」
「栄口。気持ちはわかる。巣山を詰りたい気持ちもわかる。しかし見ちまったもんはしょーがねぇだろ…なっ、仲直りしとけ」
無理から捕まれた手首の先で巣山と栄口は握手を交わした。しかしまた緑子が浮かびあの愛くるしさが一気にイカガワシサにすり変わってしまったことに憤りを感じつつも誰にも当たれない現実に栄口はただ泣きたいとだけ呟いた。その後、二人が本当の意味で打ち解け合えたかは定かではない。


(一方。当て逃げにあった彼らの話)
「………」
「………」
「………」
「今回の一番の被害者は沖だとオレは思う」
「………」
「………」
「亀、どーすんの」
「……なんなら、イイ河川敷知ってるけど」
「………」
「………」
「………」
「…緑子は、責任持って育てるって決めたから…」
「………」
「………」
「………いいんだ…」
意気消沈する沖に胸を痛める泉と西広であった。


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あきゅろす。
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