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歩むB
「帰ったぁっ!?」
銃声が放たれた感覚を覚えたのは栄口だけではなかったはずだ。案の定左右に立っている花井と阿部も首を項垂れ耳を軽く叩きながら、あー、と鼓膜の調子を戻していた。あんな声出んだね巣山、と囁いたのは沖だ。もろに銃声を浴びた門番は顔をひきつらせフラフラ立っているのもやっとの気配で、申し訳ございません、と吐息を溢した。
「隊が戻られるほんの数分前のことでして…遅いからまた来る、と…止めはしたのですがまさに脱兎の如く…」
頭を抱え低く唸った巣山は諦めたように息を吐き踵を返し沖を見据えた。
「オキ殿、ユウト様の旧友であるとうかがったが、一足違いで迎えは帰ったとあらば…」
「巣山っ…」
まさかここで沖を一人帰してしまうのではと悲観した栄口は巣山の腕を掴んだ。巣山は弓形に口を緩めハの字に寄せた眉の主人のその手をあやすように軽く叩き。
「その迎えがもう一度来るまでこちらに居ていただく、ということで如何だろうか」
ユウト様も問題ありませんか、そう締めた巣山に毛穴を総立ちさせた栄口は何度も大きく頷き沖を振り返る。
「そうしなよ沖っ!そうしよ!」
グイグイ迫られ身を引いた沖は困り顔の中思案している様子で目を伏せた後、ハイ、と小さく答えた。
「よろしくお願い致します」
かしこまった、と巣山は返し栄口にも一礼すると足早に石橋を渡り城内へ姿を消した。心底ホッとし胸を撫で下ろした栄口は、ああっ!と声を吐き出した。
「よかった、ホントよかった!わっけわかんないけど、ホント!ハハッ」
馬鹿に騒ぎたい気分を足踏みして抑える。いいようになっている気がする。良い方向へ進んでいるそんな気がして高揚感に舞い上がった栄口にはこのとき沖が溢した、ゴメン、を謙遜だと捉え、何言ってんのさー大丈夫だよ!と軽口さえ叩いてしまっていた。
「はーいハイハイハイ。団欒はここまでにして頂きましょうかユウト様」
手を叩きながら二人の間に割って入った花井は笑みをたたえているのだがその眉間にはシワ。ポカンと間抜けを型どった口の栄口に詰め寄った花井は、言いましたよね?と目を細目凄むと一つ大きく手を打ち鳴らした。
「今から女仲に風呂、着替え、食事、の支度をさせます。全て済ませましたらゆっくりとお話をうかがわせていただきとぉございますなぁ」
ギンと光らせた目に背筋を凍らせながらハッと気付く。
「え、や…まさかだけど、女中さんって…風呂とか着替えとか手伝わす気じゃ…」
「?当たり前に御座います。今までもそのようにしてまいったでは…」
「バカバカバカッ!一人で入りますっ!何言っちゃってんのもー!」
鳩が豆鉄砲とはまさにこの事。耳まで赤くした主を訝しげに思いながら、いやいやしかしどこかおかしい主、の認識を弾き出した花井は顎を撫でつつ、わかりました、と返す。
「しかし一人では心許のうございます。フミキに手伝いは任せ他諸々を女中に。それならばよろしいでしょう」
「…フミキ?その人は…男…」
肯定を確認してならばまぁどうにかなるかと思い、あれ?フミキって…、と頭がリフレインしだした。
「もしかして……水谷文貴?」
「左様ですが」
「え?水谷までいんの?ってか水谷ってお手伝いさんなのっ!?」
えーっ!!?と驚愕する様を花井はカカッと笑い飛ばした。
「あのような落ちこぼれ女中の真似事で十分すぎましょうぞ」

※※※

泣く。泣く泣く。それはもうオイオイと。風呂に入っている間は脱衣所で見張りをしながら嗚咽を漏らし着替え中は御召し物を汚すわけにはと自分の涙プラス鼻水を汚物扱いしハンカチを目から下に巻き付け食事中には過呼吸になりながらも栄口が幸せそうに頬張る姿を拝みつつ机の下で丸まり鼻をすすっていた。
「嬉しゅうございますっ嬉しゅうございますぅっ!ゲホッ」
その男こそ水谷である。一村人から一国の王子へ変貌した栄口の姿を夢か幻かと口許を覆い膝をつきみるみる身体を丸め拝み倒す。本当ならば心底止めてくれと言いたいとこだが少しずつ状況を噛み砕き吸収した栄口はギュと目を閉じ鼻で大きく息を吐いた
「ありがとう。みず…フミキの気持ちは良くわかったから顔を上げてよ」
困惑させずこれ以上彼の気持ちを逆撫でしないようにと一生懸命言葉を紡いだ。しかし水谷はブンブンと頭を振り両の手を組み合わせ、滅相もない、と答える。
「私のようなものが貴方様の目に映っていることさえ烏滸がましいこと…そのようなことを言われてこれ以上私を有頂天にさせないでくださいませ」
「またそんな…自分を卑下しすぎなんじゃ……」
落ちこぼれ、と笑った花井がチラと過った。嫌なものが込み上げる。競う中で上や下があったけれど同じように笑いあっていたあの刻も嘘ではない筈なのに。ここではまるでそれが成り立たない歯痒さも栄口は理解するしかなかった。しかし水谷は人懐っこい笑みをそのままに、卑下などしておりませぬ、と言う。
「私は兵士として入隊したものなんとも情けなく日々を過ごしておりまして。あれでは死んでいるも同じでした。用無しと殺されても仕様がない…と。しかしそんな折に貴方様が声をかけてくださった」
「…オレ、が」
「…ふっ、元来私は戦場で剣よりも台所で包丁をふるうのが性に合っておりました。甘いものはすきか、と私に問うてくださったあの時。私の道は決まったのです」
ようやく栄口と視線を通わせた水谷は堂々誇らしくそう語った。
「私がユウト様の胃袋をお守りできること。卑下する意味がどこにありましょう」
睚から一つ溢れてしまった滴は存在するならば神様にしか見られていない。本人にも気付かれずに飾り布で縁取った袖で音も無く弾けガタンと鳴ったのは栄口が座っていた椅子だった。二段の段差を踏み外し倒れかけた身体は油の匂いのする腕に支えられた。
「だっ!なっ?どっ!!」
「あっ、ゴメン。嬉しさのあまり駆け寄りたくなったみたい」
慌てふためく水谷に栄口もパチクリさせた大きな目で自分も驚いていることを伝え、なんだかこの体勢ってロマンチックだ、と言うと間近にある軟らかい髪の間からクシャリと笑う顔をみる。
「ユウト様は誠に優しゅうございます」
「なにが優しゅうございますだ?フーミーキー…」
その顔が今度はみるみる青ざめ驚愕の色を強くしていく。大きな影に包まれた栄口は手に取るよう水谷の今の心境を読み取ることが出来た。彼の後ろで仁王立ちになっている花井が隠すつもりもない様子で威圧を浴びせているからだ。
「あ、れ?いつの間に?」
「申し訳御座いませぬ。何度かノックもしたのですがお返事がなかったもので。…いやしかしようございました。自らユウト様の懐に悪タレを放ってしまうところでした」
甲冑を纏っていた姿とうってかわりシックなスタイルで笑む姿は紳士なのだが右手で鷲掴みにし項垂れた水谷の頭をねじあげる様は鬼以外の何者でもなかった。
「フミキ…オレの隊からそそくさ抜けたのはユウト様を拐かす為か?あ?」
鬼に捕まった水谷は白目を向きか弱く首を横に振る。シヌ、と顔にかいてあるのを見てすかさず助け船を出していた。
「ちょっと!転びかけたのを支えてくれただけだからっ」
「存じております。蚊帳の外から見ておりましたので、えぇもう何もかも聞かせていただきました。なぁ?フミキー」
頭蓋が軋む音が聞こえますハナイ殿…、首の上を盛大に振り回されだした水谷の口からはヨダレが垂れはじめた。
「え…じゃあ何怒って…」
ハハハと甲高い声で笑った花井は、怒ってなどおりませぬ、と米神に青筋をたてて続ける。
「やあぁ、この男スッペラコッペラ語っとりましたがちゃんちゃら可笑しゅうございます。ユウト様のお耳汚しもいいとこ…なんたって女中の好いた女の眼中に入りたいが為に我が隊を抜けたんですからなぁっ!」
「…………へ?」
「イヤァァァァァァッッッ!!!!どうして言っちゃうの!同期のよしみでハナイだけっハナイにだけだったのにぃ!」
最後早口に捲し立てた花井に水谷は食って掛かる勢いでしがみつく。それをものともせず言ってやったと鼻を鳴らし腕組みした花井は満足し終えると、あ、と我に返り、とんだご無礼をっ!と大きく後退った。どうやら主の前で内輪揉めした挙げ句に若干素を見せてしまったことへの羞恥も合わさったようで赤面させた肌に脂汗を浮かし出す。穴があれば一目散逃げ込んでしまうであろう顔面蒼白の水谷はうわ言のように、ユウト様に言ったことも嘘じゃない嘘じゃないのにっ、と繰り返すばかり。
「……ふっ、フハッ!アハハハッ!」
その中やり取りを傍聴していた栄口は突如腹を抱え笑いだした。いやはやどうしたと目を点にした二人に構うことなく明るい笑い声を反響させる。外はもう陽も落ちだした夕暮れ時だというのに一際眩しい射光が背の高いステンドグラスから虹色のロングカーペットを敷いた。それは乳白色の床を滑り栄口の足元にまで届いていた。
「あー…、笑った。…うん」
ひとしきり笑い終えた栄口は、アズサ、と声にした。花井は見開いた目を息を吐くと同時に軽く伏せ仰々しく頭をたれた。
「取り急ぎ急用にございます。オキ殿の迎えが参りました」
「沖の?そうか、早かったね」
「はい。…そのことで確認すべきことがございます」
「確認?」
頷いた花井は主を疑うような発言を今からすることに許しを乞い拳を強く握り直す。
「オキ殿が旧友であるということ、真でございますか」
「どういうことだかよくわかんないけど」
「お答えいただきとうございます。真にございますか」
無表情を厚塗りしたその顔に汗が流れるのを見て栄口は目を閉じた。
「水谷っ」
「っは!はい!」
そして気配を消すかのように静かになっていた水谷に快活な笑みを向ける。
「城のこと色々教えてくれてありがと。また後で話しよ」
「そんなっ!〜〜っゼヒッ」
「花井」
「はっ」
「沖に会うよ」
「…何用で」
「見送りもかねて色々。やっぱ直接会って話しなきゃ。オレまだなんもわかってないけど、これ以上わかんないことなくしたい。知らないまんまモヤモヤすんのやだ」
花井の前に並んだ栄口は背筋を正すともう一度、沖に会う、と声にした。



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あきゅろす。
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