[携帯モード] [URL送信]
歩む@
「勇者様っ」
白い切れ長の雲が流れ行く姿を麦わらの影から仰ぎ見る。村は農業と畜産により自給自足を行っており陽が登り暮れゆく刻まで大人子供関係なく切磋琢磨働いている。この時期は収穫が重なり猫の手も借りたいほどあくせくするのだと聞いた栄口はあれから毎日休む間を惜しみ手伝いをしていた。初め戸惑いを見せた住民に、働かざる者食うべからずなので、と頑として頼み続け振り返れば羊の出産にまで立ち会ったのだから驚きだ。
「勇者様…?」
肩脇に小麦の束を抱え土を被った手の甲でダクダク溢れる額の汗を拭い息をつく。栄口はもうすぐやって来るのであろう迎えを待っていた。可笑しなものであれだけ渾身尽きるほど動き回っていた身体は三十分もすれば息があがり次の日の筋肉痛を引き摺りまだ明け方の薄暗い中の起床でも襲う睡魔と戦うだけで必死なのだ。悔しさを覚えながらも現実に自らの置かれていた環境が決して高校球児ではなかったことをまざまざと実感させられる。少しでも間を与えれば脳は好き勝手暴れだしよからぬ事を考えた。濡れ雑巾になるまで動き死んだように眠る事それがとても心地好かった。
「あのー…」
不意に沖に肘でつかれ促されるまま振り返れば着飾った若い女性を連れた男性が不安そうに立っていた。
「…あっ、あ!ハイ、すみませんっどうしましたか?」
「あ、いえ、あのですね。本日うちの娘が見合いをするもんですからよい縁談であればと思いまして」
そう言うと一歩下がった場所にいた娘に目配せた。すると長い髪に花の細工が入った髪飾りをチカリ揺らして自分より幾つか年上に見える彼女は頭を下げた。何度目かの光景でも慣れはやはり追い付かないまま息を詰まらせた栄口は沖を見やった。気を効かせてくれているのか背を向けているので深呼吸を一つやり精一杯土を払った手で垂れた艶やかな髪を申し訳ない程度掬い自らの唇に近づける。
「貴女によい星の導きがありますようお祈りしています」
これが一般的な願掛けであり栄口の役目だ。安堵の表情を見せ去っていく父娘にわからぬよう栄口も大きく溜め息を吐いた。
「や、オレ…悪いことしてる気分…」
「ハハッ、何言ってんのさ。文化だよ、文化。郷に入っては郷に従え」
頬に泥を擦ったような痕をつけた沖が麦わらで顔を扇ぎながら、休憩だよ、と続ける。
「うーっ!わぁってるよぉ…でもまだ勇者って呼ばれても反応しきれんし…」
一括りに紐で縛り終えた小麦はリアカーに積んで脱穀の為運ばれて行く。木陰に腰を下ろした栄口と沖は配られるハムがのったライ麦のパンと少しの果物にミルクを受け取り労いの声をかける汗だくの老婆に笑顔を返した。
「おばあさん、体調よくなったんですか?」
「まぁまぁお陰さまでぇなぁ。見ての通りじゃあで」
「そっかぁ良かった。オレおばあさんが倒れたって聞いてホント気が気じゃなかったんですよ」
「おほほ、嬉かのぉ。勇者様に気にかけてもらうや寿命が延びたかねぇ」
拝む仕草をした老婆は折れた腰を左右に揺らし去って行く。
「良かったね、とっても元気そうだ」
沖は喉をならしながらミルクを飲み満足そうに目を細めた。
「うん…オレ、あの人に見つけてもらわなきゃどうなってたかわからないもの」
ガラス瓶に入ったミルクは山羊の乳で、たゆん、と濃紺な白がコルクの下で踊っている。倒れていた栄口を見つけたのはあの老婆であった。村外れにある息子の墓へ参る途中のことだったそうだ。
「…オレさ、まだ色々整理もついてないし、沖から気いた話だってホントは理解してんのかさえ微妙なんだけど。でもこうしてなんか、もうヤケクソ起こさずいれんのは沖とあのおばあさんがいてくれたからだ」
鼻を擦り上げたのはそう告げた後少し恥ずかしくなったからで快音をたてコルクを抜き火照る身体にミルクを注ぎ込んだ。身体を影に横たえらせていた沖はハムを咀嚼し終えると、そんなことないよ、と呟いた。
「きっと、栄口なら何があったって乗り越えられるはずさ」
ムクリと起き上がる沖の声は暖かい金風に優しくなびかれて栄口に届いた。けれどゆっくりとした動作で膝を抱えるその姿は微風にも危うく揺れる稲穂のようでもあった。
「……、それは勇者だから…かな?」
少しお茶らけてみたのは笑ってほしかったから。希望通り困ったように笑った沖の前髪が揺らいだ。
「でも…。きっと、これからいいことが起きるよ。起きないわけがない。…こんな頑張ってんだもん、必ず、栄口は幸せになれるよ」
瞬間、黄金の穂をなぎ倒しさながら獅子の猛攻の如く押し迫る突風に栄口は小さくおののいた。狼の唸りにも似た風は地を這い長屋の壁を伝って舞い上がっていく。渦を描いたその中には麦わら帽子が二つ見え、まさしくそれは傍らに置いてあった二人のものであった。
「あー!ビックリした、すごかったねぇ今の」
グシャグシャに乱れた髪を押さえながら空を見やる沖に相槌を打ちつつ先程浮かんだ疑問を思い返していた。見計らったかのように起きたあの突風が栄口が口にしようとした言葉を阻んだようで思わず飲み込んでしまって今ではもう吐き出し口のない疑問。栄口は久方の恐怖を覚えた。
『栄口は幸せになれるよ』
自分の行く末を按じた言葉であったようで一見してみると非情に突き放したようにもとれたからだ。ざわついた気配も落ち着き仕事へ戻る姿が見えはじめる。倒れた穂を心配してか走り行く姿もあった。隣で沖も立ち上がろうとしている。心臓が異様に脈打っていて掌でギュウと掴んだ。
「栄口?どした、気分悪い?」
俯いていた顔をあげると心配そうに覗く友の眼差しに懐かしさを見て、ハッと息を吐いた栄口は笑顔を見せた。
「や、ダイジョブ。…貧血?みたいな」
「そう?でも顔色いくないよ。休んでたら?栄口んとこの刈り入れもうちょいでしょ。オレやっとくし」
「なんのっ!譲らねーよオレの陣地は」
「もー、なん言ってんだか。じゃあ、麦わら借りてこよっ。どっか行っちゃったし」
ガッツポーズをつくる栄口に沖は呆れた表情でしかし優しく言葉を紡いだ。大丈夫、ただの考えすぎだ、大丈夫。そう繰り返し腰をあげようとしたとき。
「―――っ、ユウトさまーっ!」
響いた声に少しの動揺と波立つ気持ちが栄口を困惑させた。



[*前へ][次へ#]

あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!