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飛行機のチケットをとった。父さんのお古を使っていたスーツケースはローラーの具合が悪くなっていてこの機会に新調しておくかとオレ用のも一緒に買ってくれた。母さんからは屋久島のお守りをもらってまだ一ヶ月あるのに気が早いなぁと言うと早くから持っといたってバチは当たらないのよ?と微笑まれた。なんとなく何かを察しだした妹はオレのそばに寄り添うことが多くなった。なんだかそうやって優しさに触れていると家族だからかまだオレ自身素直になりきれないのかで気恥ずかしくもある。許可も得たし先に大きな荷物は向こうに送ってしまって発つときはなるべく身軽にしておこうと思う。不安という気持ちほど重いものはないだろうと感じているからだ。
「あぁ……何か実感わかないな…」
ダン箱を組み立てる手が止まってしまった。まだスッカラカンの空箱を見ているとなんとも言い様のない焦燥感にかられて手が小刻みに震えたりしてしまう。
「…いかん、いかんっ」
出来上がったダン箱をそのまま持ち上げ頭にすっぽりかぶせた。紙臭さに混じってミカンの匂いがする。四国の親戚から大量に送られてくる甘夏でも入っていたのだろう。
「………」
切り出したのは阿部だった。あと一ヶ月だな、と。オレは阿部を見たけれど阿部は掴んだ雑誌に目を向けていて読むような気配はないのだけれどコチラを見るようなこともなく。オレは肯定の単語を発して続きを待ってみるが返答などなかった。
「………、行くな……なんて……」
なんてそんなこと言うわけないし言ったところでということもわかっているはずなのに待っていた自分は本当に乙女だなと思う。センチメンタルに陥っているのは相手も同じであってくれれば満たされたりとか。
「……ホントに気持ち悪いな…ただの自己満足じゃないか……」
いつの間にか力が入っていたらしく左右に開いた蓋をギュウと引っ張ってしまい見事に底から頭が突き出してしまった。まるで一人コントだと苦笑いをしたら背中をつつかれ度肝を抜かしたのは言うまでもない。
「お兄ちゃん、デンワよ?」
「へっ?……あ、電話、電話ねっ」
不思議そうに立っていた妹の頭を撫で誰から?と尋ねるとニッコリと笑った。


「もしもし、かわりました。辰太郎です」
『なん、その丁寧』
ぶっきらぼうに返されオレは心底ホッとした。そうでなければ妹から阿部の名前を聞いた瞬間の緊張を引っ張るハメになるところだった。
「どしたの、家電になんて初めてじゃない?」
『新鮮でビックリしたべ』
「ハハッ、じゃあビックリついでにオレの今の姿を当ててみてください」
『あ?妹のスクール水着とか?』
「ど変態?正解は頭から段ボールをかぶっているでした」
十分ど変態だろ、と呆れた声にオレは笑いで返しダン箱をスッぽぬく。ちょっと待ってもらう間に片手で畳んでしまって後でリサイクルだ。
『これからなんか予定あっか?』
「残念ながらないよ」
『前言ってたコーヒーメーカーをついに親が買ったらから飲みにこね?バリスタ並みの味が出せるらしい』
「ハードル上げたね〜行く行く」
『何も持ってこんでイイから身ぃ一つで来いな、じゃ』
電話を切り一つ息を吐いた。すると腰の辺りに柔らかい腕が伸び妹の目一杯の力で服がつかまれ引っ張られる。オレはギュウとすり付けている顔にヤキモチの色を見てくすぐったい気持ち一杯に視線を合わすべく彼女の背丈にしゃがんだ。
「どした、プリキュア見てたんじゃないのかい?」
「……いっしょ、いく……」
「え?タカくんち?…んー、ゴメンね?お兄ちゃん一人で行く約束しちゃったから」
そう伝えてみて頭を撫でてみるのだけれど。口を険しく結んでしまっていつもはけして駄々などこねないのに左右で結んだ細い髪をブンブン揺らしてしがみつく。これは困った。離してくれそうにもないしこのまま電話機の前で立ち往生かと思いきや流石は女の子。
「…お兄ちゃん、タカくんスキ?」
オレにとっちゃ今最大の確信をついてきたのだ。唐突な問いに一瞬戸惑ったのは事実でハハッと笑いで返しもしたが不満足げな顔にやっぱり女の子だなぁと思う。女は現実に生き男は夢に生きる生き物だとそれが正しいというならば全くそんな勝てるはずもない。
「…んー、そうだね。大事だね」
もみじ饅頭みたいな手をとりオレの角張った関節でも痛くないよう量の手を暖めるようにこ擦り合わせる。
「スキとはちがうの?」
「………。いや、違いわないよ。ただ、…ただ……」
言い淀む。くすぐったいのかキャキャッと声をあげて指をフニフニと動かしている妹に笑みを返しながらオレは心底困っていた。困りながら阿部にもう一度連絡して今日は行かないと伝えるべきかと。そんなくだらないことを考えていた。


「………」
「しょーじきに言えよ」
「……うん」
「ん。どうなん」
「………正直、よくわからんな」
ブハッと大層に吹き出した阿部は、だーなー?と盛大に語尾を上げまたコーヒーをすすった。
「てか、よくよく考えたらバリスタのコーヒーを飲んだことがないよ」
「まさしくっ。いや、例えよっめちゃくちゃウメーもんになんのかと思ったのにこのザマ」
泡立ったミルクの層は見事と言えるけれど上げたハードルを飛び越える味かと言えば首を捻る。しかし横で阿部はクツクツと機嫌良さそうに笑いっぱなしだ。玄関をくぐって瞬間鼻を掠めるニオイと共に阿部が対になったカップを手にリビングから顔を見せたのはほんのさっき。ちょうど来っころかなぁと思ってよ、とそのまま階段を上がっていってしまった。勝手知ったるとはよく言ったものでさも当たり前のようにそのまま二階の阿部の部屋へオレも上がる。9段とカーブをを経て7段。小窓が3つ高いところで柔らかい光を通している。壁には花の写真が額に飾られていて季節ごとにそれは変わっている。きっと阿部のお母さんが好んでやってるんだろう。素敵だと阿部に言うと、オマエよく見てんなオレ知らんかった、と返ってきてあんまりだと小突いたこともあった。いつも阿部はオレが階段を上ってくるのをドアを開けて待っていてドアにもたれ首で入れと促してくるのだ。
「マリーゴールドだろ?」
「あれ、見てるじゃんちゃんと」
「オマエに言われりゃそりゃね」
全くぞんざいな扱いの割り律儀に待つその姿に阿部の不器用さを見ずにはいられない。得意気に鼻を鳴らす阿部に気付かれないようニヤつく口許を隠すオレも素直じゃないね、全く。
「あー…これ、やんよ」
なんだかんだ二杯目のコーヒーに口をつけながら左手を差し出してきた。
「ん?何」
素直に差し出した右手にスルリこぼれ落としたのは華奢なシルバーネックレス。小指に絡んだチェーンを軽く引っ張ればそれこそ千切れてしまいそうなほどである。自然光にチカチカと輝くそれの先には小ぶりなクロス。女性の鎖骨の上で瞬く想像が容易なネックレスをオレにやるといった本人は空にしたカップをテーブルに置いて、ションベン、と立とうとした。
「ちょっと、待って待って」
「なん、漏らす」
「それも待って。コレ、どーすんの?」
中腰で制止した阿部は眉をしかめ、だからやる、と言葉を並べたのだがオレがまた疑問を投げると今度はしかめっ面になる。
「…なんですか、いらない?」
「や、違うよ。ただ女性もの…じゃない?コレ」
「あー、で?」
で?と言われても阿部の意図がよくよく読めなくて困惑する。ネックレス、女性もの、貰う、で?
「…オレ、つけるの?」
導いた答えにはまだ疑問符付きで阿部はというとグルグルしているオレを眺めて溜め息を吐き、バカめ、と立ち上がりざま答えた。
「妹にどーかと思ったんだよ」
「…え、あ。そなの?」
「そーなの」
既に飲みきっていたオレのカップを指差し、いらん?とたずねるので、じゃあもう一杯、と答えれば片手で互いのカップを持ち出てってしまった。
「…妹になんだ」
こうして一人阿部の部屋に残されるとオレはいつもあの時を思い出す。二人の間に起こっちゃいけないことを羅列させて自分を律しようとしたあの時を。
「………ふっ、大概オレも間抜けだよね」
阿部といる時間は夕暮れを眺めている気分になる。太陽が一番赤く艶やかに染まって空を虹色に染めだす。滲むように燃える山間は蜃気楼のように美しい。何よりも暖かい時間でとても儚く寂しい時間。それによく似ている。阿部がオレといる空間をオレの一等すきなものに変えてくれているという錯覚。
「そうじゃないんだよな。オレが阿部を…」
「オレが阿部を?続きは何」
物思いに耽りすぎていて阿部はちゃっかり得意になったオレの独り言を聞いていたらしい。部屋に入ることなくドアぶちにもたれてこちらを見ている。
「あぁ、阿部。早くこっち来てこれ、ネックレスつけてよ。細くてよくわかんない」
「それ、妹のなんだけど」
「やーもう妹のだろうがオレが貰う」
「なんで。女物だし、いらんのでは?」
カップがカチャンと音をたてた。コーヒーが並々注がれているんだろう。いい匂いがする。
「阿部。ありがとう阿部。オレが阿部をすきなんだ」
オレはずっと色んな感情を阿部のせいにしてきていた。そうすれば後々言い訳がつくからだ。自分で今言ってしまったことでもう色々ややこしくなるのは目に見えてる。だけどしょうがない。
「…オマエはっ!やっと言ったなコノヤロウ」
乱暴にカップを置くからテーブルに少しコーヒーが溢れたじゃないか。
「…く、苦しいんだけど…」
「苦しんどけっアホ」
強く強く抱きしめられると力が抜けていく。どっち付かずの心臓が早い二拍子を刻んでいて阿部の背中越しでオレの右手のクロスが忙しなく回っていた。
「…すきだ…行くなよ…西広」
オレはこの一等すきな夕日を見てしまって手放すなんてもう出来ないなんてこと。
「…じゃあ、殺人犯になんなきゃ」
「……オマエ時々性格ワリィな」
わかってたんだ、オレは。

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あきゅろす。
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