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光の祝福
身体から憑き物が落ちたみたいで熱がひいたんだと思った。三橋は何度かゆっくり瞬きをして深呼吸をする。
…水、ほしい。
まだ薄明るいカーテンの向こう。頭もとに母親が置いていったミネラルウォーターとのど飴が2つ。身体を返しのそりと起きるとシーツが名残惜しそうに足を滑り落ちていく。赤い飴玉を口に含みコッ、コッと音をたてて口に水分を通せば甘味が溶けて広がる。喉元を過ぎる甘さは優しいばかりだ。時計に目をやると、6:00前。
目は冴えてる、頭も起きた、カラダも大丈夫…はやく…。
野球、したい。そう思うだけでまたドックンと心臓が跳ねる。思い返せばあの熱が心音を早鐘のように鳴らす勝利という快感。血がめぐるのがわかってあの濡れたグラウンドと、歓声と、汗と、グローブと。チームの声と抱き締められる喜び。あの先にいる彼の眼差し。ぐぅっと力が入って大声すら出しかねない自分を早い時間と一人のせいにして身体を抱え込み溢れだす感情を抑制する。ただ顔の表情筋は緩みっぱなし。締める気もない全く。
「…っあ!え、と」
三星にいる頃、呼吸をよく止めていた。止めていることにも気づかなかったしクセになっていた。誰かが喋る度、部室に入る時、マウンドでボールを投げるその瞬間、世界から消えてなくなりたいと思ってしまうから。
まだ自分の重みでへこんだ枕の下に手を伸ばすと指先に紙の感触。それは先日もらった総評で三橋はキレイに折り畳まれたそれを開く。羅列したみんなの文字の中に点在する「三橋」という自分の名前。ヒュッと息が止まる。
もう過去だけど、嘘じゃないし夢じゃない。あのとき、あの場所にはみんないた。オレもいた。チームが、いたんだ。チームで、勝ったんだ。
息を吸ってはいて。口の中で小さくなった飴玉を奥歯で砕いて水を流し込む。大事にしよう、と思った。こんなにも嬉しくて切なくて身体が震える。
「…西浦高校、ピッチャーみ、はし。…背番号、いち…」
喉の奥が優しい味でいっぱいになる。もう息をすることを忘れるなどない、けして。背中から暖かな日差しがカーテン越しに三橋をくるむ。もとのように用紙を折り冷たい床を裸足で数回踏んだ。カーテンの脇から外を覗くと朝露で濡れた窓や木々が一斉にチカチカキラキラと輝く。毎日がこんなにも美しくて素敵なものだと最近知った気がするのは何故だろう。
いっぱい練習しよう。いっぱい勝とう……、強くなりたい。
立ち上がりながら寝巻きを脱ぎ捨てる。散らばった洗濯物の中から着ていないTシャツを探し出すのは慣れたものだ。ハーパンとジャージも必要で洗ってもらったものが庭ではためいているはず。
―ヒャリリリンッ ヒャリリリン―
「!?っうお、…はっ」
身体を丸め動物のように背中を毛羽立たせる。シーツに埋もれている携帯がピカピカと三橋を呼んでいた。とぼけた音にビビった自分を落ち着かせベットによじのぼり少しだけ緊張。
『今度はちゃんと返信しろよ』
画面を覗き込み昨日言われた言葉がパンと弾ける。
阿部隆也
メールだって会話で、言葉のキャッチボールである。返事が返ってこない側として切なくもあるし虚しい。対人相手の会話がすこぶる成り立たない三橋に携帯を介してなら…と思う阿部にとっては昨日の仕打ちにかなり堪えたハズ。しかし三橋は返信をすることをやめ顔をゆっくり火照らせながらシーツの海にくたりと身体を預けた。
返さないと怒られるかな…わかってる、だけど。こんなにも嬉しいんだ、阿部くん。
「レーン!!起きてる〜?今日球技大会どうするの〜」
階段の下から母親の明るい声。
「お、おかーさん!!行くよっ!!お弁当、作って!!いっぱいっ」
弾けるように叫ぶと携帯をズボンにしまい跳ぶように部屋を出た。

阿部隆也
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元気か

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何の気なしに送ったものだとして三橋はメールで返信してしまうことがこの上なく勿体無いように思えた。阿部の前に立てばやはり萎縮して弱い自分が全面に出る。上手く伝えられないと思う。でも今の気持ちを言葉にしたくなったのだ。相手への気持ちだけはたくさん言葉にしようと思うのだ。
下から焦げたパンのにおいと食欲をそそるキッチンの音。バタバタ慌ただしく走る振動まで伝わり主がいない部屋に日常が満たされていく。黄金色に溶けたカーテンがふんわり微笑み朝が来たのを教えていた。

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あきゅろす。
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