[携帯モード] [URL送信]
1.本土のこと(12)


 自宅と併設されているこの旅館の、まさに滝本家の居間になる部屋に、おばさんはいた。粗方の仕事を片付けて、使い古した座椅子に座ってテレビを見ている。
 卓袱台と座椅子と座布団とテレビしかない6畳間に入る前に、ボクは一呼吸置く。そして、自然に、普通に、声をかける。
「こんばんは」
「あら、仁科ちゃん、いらっしゃい」
 テレビを見ていたおばさんが顔だけ振り向いて、愛想よく笑いかけてくれた。
「こっちで一緒にテレビでも見ない?」
「あ、はい、失礼します」
 人懐っこい印象のおばさんに誘われるまま、部屋に入って彼女の隣に座る。久々の畳の感触が、正座した脚に伝わる。
「座布団使う?」
「いえ、大丈夫です」
 答えるけど、おばさんは座布団に手を伸ばしかけていた。遠慮をしていると思われたのか。
「はいよ」
 そう言って差し出された善意を断ることは、ボクには不可能だ。
「ありがとうございます」
 改めて、座布団の上に座り直した。
 おばさんが卓袱台と座椅子の背凭れに寄り掛かりながら口を開く。
「仁科ちゃん、最近どう? 学校、楽しい?」
「はい。みんな、いい人達ばかりで」
「それはよかった。一緒に来た子達は、クラスメイト?」
 おばさんは嫌味も悪意もない、本当に人のよさそうな笑みを浮かべている。
「はい。ついさっき、担任の先生とも鉢合わせしました」
「あら。どのお客さん?」
「御船って人です。赤毛で、背の高い」
「あの男前の? 高校の先生だったの。若い先生もいたものねぇ」
「あれで27歳になるみたいですよ」
「若い若い。おばさんなんて、もうねぇ」
 そこまで言っておきながら、おばさんは自分の年齢を公開しないつもりらしく、
「ところで仁科ちゃんは、お家には顔を出した?」
 がらりと話を変えてくれた。
「……まだ、です」
 本当は、家に行く気は全くないのだけど。
 言い淀んだボクに気を遣ってくれたのか、おばさんは「そう」とだけ相槌を打って、このことにそれ以上は触れない。全く違う話を持ち出す。
「仁科ちゃんは、好きな男の子とかいるのかしら」
「いやあ……どうでしょ」
「外人のあの子と仲いいんじゃないの?」
「教……アルフレッドですか?」
 アルフレッドと呼ぶのに違和感が拭えない。ともあれ。
「あの人は、好きとかじゃなくて、憧れ、みたいな人です」
「それが恋愛よ」
「いや違うと思います」
 そんなことを言ったら過去にボクは仁くんに恋をしていたことになるじゃないか。それはない。確かに戦う彼をかっこいいとは思ったけど、それはない。
 真っ向から否定したボクをおばさんは少し驚いたように見てから、緩やかに笑った。
「他に気になる男の子がいるの?」
「他に……。庵原は……黒髪の男子ですけど、彼はいい友達ですし、もう1人の髪の長い方は、なんというか、恋愛対象になり得ないんで」
 そもそも恋愛云々なんて考えたこと自体そうないぞ、ボク。いままで友達がいなかったから。
 それを知ってか知らずか、おばさんは笑顔で首を傾げて見せる。
「御船さんは?」
「はい?」
 いまおばさんはなんと仰いました?
「御船さん。担任の先生よね?」
「御船、先生……?」
 それはつまりなんですか、御船先生を恋愛対象にせよとのことですか。
「いやあの、それは、なんていうか……嫌です」
「あらま。どうして?」
「どうしてもこうしても、御船先生はちょっと……教師と生徒とかいう問題以前に色々と問題があるんで」
 引き吊りそうになる顔をどうにか通常の状態に留めておけた。
 おばさんが「あらまあ」と笑う。
「おばさんね、仁科ちゃんが恋してるのかと思っちゃったの」
「それまたどうしてですか」
「どうしてって、仁科ちゃん、女の子らしくなってるんだものぉ」
 初対面の女の子に男子と勘違いされたばかりですけど。
「おばさんにもそういう年頃があったわ。そしたら応援したくなっちゃって。何より、周りが男の子ばかりだと、なかなか相談もできないでしょう?」
「大丈夫です、相談することもないんで。ボクはそういう色恋沙汰とは縁遠い役回りみたいですから」
 何せボクを女子だと知っているのが御船先生と仁くんくらいなんだし。
 ボクは溜め息をこらえて、いい加減本題に入ろうかと口を開く。
「おばさん、話は変わるんですけど」
「あらなぁに?」
 笑顔のおばさんに向き直り、姿勢を正す。
「急に押し掛けちゃって、すいません。それと、ありがとうございます。たぶんボク、ここに泊まれていなかったら、里帰りしていませんでした」
「いいのよぉ、そんなに気にしなくて。お客さんも少ないし、ちょっとでも賑やかになってくれて、むしろおばさんの方が感謝してるんだから」
「それでも、ちゃんと言っておきたかったんです」
「優しい子ねぇ。それが仁科ちゃんのいいところよ」
「ありがとうございます」
「頑張って。長所を磨けば、きっといいことがあるから」
 その『いいこと』ってなんですか。気にしない方向でいいですか。
「それじゃあ、そろそろ失礼します」
「またいつでもおいで」
 そう言って手を振ってくれたおばさんに軽く一礼を返して、ボクは席を立った。いまのうちに大浴場に行ってしまおう。

[*前へ][次へ#]

12/22ページ


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!