コトコトと、何かが煮出っているような温かな音がする。そう思った瞬間に、今度はコーンポタージュの甘い匂い。ああ、懐かしい。
「……」
コロネロは目をうっすらと開くと、その音のする方へ視線を移した。
狭いアパートは折りたたみ式ベットと小さなテーブルがぎりぎり入る位のスペースで台所とトイレがある。風呂は一階にあり、アパート内で共同だ。
所々木造の、安さくらいしか売りがないボロアパート。いつもは殺風景な自分の部屋の景色には、今一番会いたくて一番会ってはいけない人物が台所に立っていた。
狭い部屋の中で微かに鼻歌が聞こえる。カシャカシャと金物が擦れる音と被さって楽しさを増していた。風もないのに、彼の髪がフワフワと揺れる。甘い匂いと、ささやかな音楽と、愛おしい後ろ姿。
「……」
幸せだなと思った。相手は自分が起きた事に気付いていない。自分だけが一方的に見ている優しい光景。
見つめるだけで満足すればいいのに、それでも触れたいと、もっと近づきたいと願ってしまった。こうやって優しい恋を秘めていればいいのに、独占欲だとか焦燥感だとかがどんどん生まれてしまった。
だから失恋したのだろうか。
だから彼は俺を選ばなかったのだろうか。
おかしな話だとはわかっている。選ぶもなにも、彼も自分も男で、はなから選択肢に入る立場にはいなかったのだから。彼は家庭教師で、自分は出来の悪い生徒。弟みたいだと呟いた事がどんなに残酷なのかなんて本人は知らない。
焦燥感からか思わず姿勢を変えたら、きぬ擦れの音が響いて鼻歌がピタリと止まった。
彼が不思議そうに振り向いて、俺と目が合うとニコリと笑った。何も知らない、柔らかな微笑みだった。
「起きた……?」
「……ああ」
絞るように出した声は掠れていて震えた喉も痛んだ。そういえば風邪をひいていたのだと思い出し、身体の怠さに眉を寄せる。
「勝手に上がってごめん。コロネロが風邪ひいたって聞いたから心配で…」
「コーンポタージュ、レトルトだけどあっためたから食べて」と湯気の沸いたカップを持って来られ、コロネロは上半身を起き上がらせた。
彼の、こういった甘さは罪作りだと思う。浅はかにも、錯覚しそうになるのだから。愛されていると、自分の望んだ愛を彼が与えてくれていると。
実際は違ったなと自嘲しながらコロネロはスプーンですくったポタージュを口に運んだ。熱かったが、トウモロコシにしては甘ったる過ぎるくらいの味がした。
「…美味しい?…まぁ俺が最初から作ったんじゃないから美味しいだろうけど」
「……甘すぎるぜ、コラ」
憎まれ口を叩きながらも二口目を飲み込む。温かいスープは身体に心地よかった。
上目使いで様子を見ている彼を伺えば、こちらをほほえましそうに見ている。
「…よかった。京子から前に聞いたんだ。風邪とかひいた時、うちはお粥じゃなくてコーンポタージュだったって」
そのあとお粥も食べるらしいけどね、とツナは笑って俺の姉の名前を口にする。照れたのか頭をかいた左指には銀色の指輪。
報われない。
その一言に尽きると思う。
「んじゃ、俺はそろそろ…」
「帰んの、か?」
立ち上がりかけたツナは俺の言葉を聞くとキョトンとした後、中腰になったまま俺の頭に手を置いて髪を撫でた。まるきり、子供扱いだ。実際年上はツナの方だが。
「…淋しがるなよ。可愛いなぁ」
「……るせっ…!」
「大丈夫。俺の代わりにもうすぐ京子が来るから。」
本当、あと10分もしないと思う。そう呟いてツナは髪をすいていた手を離した。髪にまで温もりが残っている気がした。
「じゃ、またね」
「……ああ」
結局帰るらしいツナはドアを開きながら立ち止まった。あ、と思い出したように呟き、俺の方に振り返って気遣わしげに言う。
「たまにはさ、家にも遊びに来てよ。俺も京子も淋しがってるから」
俺はそれに答えずに曖昧に笑えばツナは困ったように首を傾げてドアを閉めた。バタンと野暮ったい音を遠くで聞きながら俺は手元のスプーンでスープをすくった。それは先程よりは温くなって飲みやすかった。
「…あっま…」
ただ、火傷をしそうになる程熱かった時よりもさらに甘味が増した気がしてコロネロは溜息をついた。
スプーンを使うのも面倒で、直接カップに口付けて飲むと身体全体がポカポカとした温もりに包まれた。
「……甘ぇ…」
呟いてコロネロはなぜか泣きそうになった。風邪と不安定な温もりのせいで感傷的になってるんだと言い聞かせて、カップの残りを勢いよく飲み込んだ。
コーンポタージュ
中途半端な温もりが、1番甘くて1番辛い
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まだまだ続く義兄弟シリーズ
弟コロネロ→ツナ×姉京子