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壊れた心
The heart failed


あれから何度も壱羽に電話をした。
しかし、壱羽が電話に出る気配は一向にない。
僕からの電話に出れば、別れを告げられると直感で感じ取ったのかもしれない。
昔から妙に壱羽の直感は当たる。
だから、きっと壱羽は何度電話をしたとしても出ないだろう。
僕に振られるなんて、プライドが許さないだろうから。

「今更遅いよ」

どんなに逃げ隠れしたって、お前は結局家に戻る。
誰もいない空間に。
だから無駄なんだよ。
だって、僕はまだお前に合鍵を返していないのだから。
お前はどんな顔をするかな。
泣くだろうか、悲しむだろうか、怒るだろうか、それともどうでもいいのだろうか。
もう決めたんだ。
どうやっても、この決意が揺らぐことはない。
お前とは恋人でも幼馴染みでもなくなって、二度と会えなくなるだろう。
それが、互いにとって一番良い関係だ。
通い慣れた道を歩く。
意外にも足取りはしっかりしていて、心も妙に落ち着いていた。
きっと僕は壱羽に対して、何の未練もないのだろう。
ポケットに手を入れ、今日役目を終える銀色を見つめる。
すぐに新しい持ち主が決まるだろう。
それが、誰であろうと構わない。
僕が捨てたものを拾ったにすぎないのだから。

「壱羽」

最後にもう一度だけ、名前を呼ぶ。
何年も呼び続けたその名をもう呼ぶこともなくなる。
そして、お前の声が僕を呼ぶこともなくなる。
壱羽の部屋の前で、戸惑いながら鍵を差し込む。
最後だ、最後だ、と言い聞かせて。
開かれたドアの向こうは闇だった。
いくら夏の夕暮れ時だと言っても、カーテンさえ開いていないのはおかしい。
いないのだろうか。
そう思い、引き返そうとした瞬間、部屋の奥からかすかに物音がした。
声を殺し、足音を忍ばせながら物音がした方に向かった。
物音がしたのは、寝室からだった。
少し開いたドアの隙間から、話し声が聞こえてきた。

「……な、んで……」

僕は言葉を失った。
なぜ、どうして、どういうことだ。
冷静だったはずの頭の中が、ぐちゃぐちゃになった。
理解できない、いや、理解したくない。
こんなことが現実だと思いたくない。

「……壱羽」
「ユキ、愛してる」

誰か嘘だと言ってくれ。
そうでなければ、僕はもう息の仕方さえ忘れてしまいそうだ。
何度だって、繰り返される甘い言葉。
その言葉は特別だって言ってくれたのは、一体誰。
どうして、壱羽と如音が一緒にいるの。
どうして、僕だけの“愛してる”を僕のたった一人の大切な弟に言うの。

「もう……本当にお終いだ」

お前の紡ぐ愛は僕にではなく、弟に囁かれる。
弟の如音は、僕にとって大切で愛しい存在だった。
それよりも大切で愛しいと想えたお前が、如音に愛を囁く。
全部が壊れた。
全部、全部、全部、壱羽が壊した。
もうどうにでもなればいい。

「如音、愛してる」
「僕も愛してる」

手の中から鍵が滑り落ちて、床に音をたてて落ちた。
音が遠ざかっていく。
いつも僕の一人よがりだった。
僕は大切なものをふたつ失って、絶望を見た。
これ以上の裏切りはない。
泣きたいけど泣けない。
もう涙は、とうの昔に枯れてしまったのだから。

「ゲームセットだ……僕は、負けた」

無関心になりきれず、壱羽のことを想ってしまった僕の負けだ。
失ったものは二度と手に入らない。
そう言ったのは間違いなく僕だ。
そして、失ったのも僕一人だけ。
気がついたら、知らない場所に立っていた。
小さな雫が鉛色の空から降ってきて、地面の色を変えていく。
ぼんやりと路地に入り込み、そこに膝を抱えて蹲る。
嗚呼、このまま死んでしまいたい。

「君、どうしたの?」

僕はまだ壊れていない。
ただ心が壊れてしまっただけ。
だけど、これ以上はきっともう堪えられない。
だから、僕はここから逃げる。
すべてを捨てて、僕のことを誰も知らない所まで。

「大丈夫?」

恋しさは憎しみに変わり、愛しさは殺意に変わる。
ほら、世界はこんなにも簡単に逆転する。
僕の世界は真っ黒に塗り潰されて、もう見えない。



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