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先生≠彼 番外編
♯14


「ここをね、半分切らなきゃいけないんだって」

お母さんは自分の右胸を左手で抑えた。お母さんの着ていたふわりとしたラインのシャツが手のひらで押されて、隠された胸を形取る。

女性の象徴。かつて自分を育んだ命の源が、抉られるところを想像したら、あたしの胸まで痛みが走る。けいちゃんもそこまでは知らなかったのか、繋いだ手に力が込められて、緊張が伝わった。


「ステージTで腫瘍の大きさも2センチ以下。薬で散らすことも考えた。でもね、より確実に悪い腫瘍を除去出来る方法を選ぼうってお父さんと決めたの」

そう言ってお母さんはお父さんと目配せしあう。


「最初の段階ではまだステージも腫瘍の大きさもわからなくってね。だから、僕の方が焦ってしまって、慧史くんを呼んで、あんな相談をしてしまったんだ…」
「もうびっくりよね。勝手に私があと数年でいなくなっちゃうみたいなこと言われて」

話をふられて、けいちゃんは苦笑いした。あんな相談って…結婚式を挙げて欲しい云々ってやつ?

この取り乱し方とバタバタした感じ。間違いなくあたしのパニック体質はお父さん譲りみたい。


「思ってたより症状が軽いみたいで安心しました」
「当たり前よ、私はまだまだ長生きしたいもの。でも、手術を決心出来たのは、千帆と慧史くんのおかげだわ。千帆の結婚式が終わったら…って、いいきっかけだもの」
「よ、かったぁ〜っ」

安堵の溜息と涙が、あたしの中から自然に零れた。


手術はあたしの結婚式の3日後らしい。1時間くらいで終わる簡単なもので、お父さんはもうその日に合わせて休みを貰ってるらしい。


「千帆は何も心配しないで、花嫁姿見せてくれればいいから」

お父さんとお母さんはそう言って、あたしとけいちゃんを見送ろうとしてくれる。親が子どもに心配掛けまいとするのは当たり前。でも。

子どもが親を心配するのだって、当たり前、だよね?


荷物を持って、廊下にみんなで出たところで、急に思った。このままけいちゃんとこに帰っていいのかな、って。


「けいちゃん」
「ん?」
「あたし、結婚式まで実家にいちゃダメかな…」

けいちゃんちにお嫁に行く前も、あたしは同じことを言い出したことがあった。今日だけはお父さんとお母さんのところにいたい、って。

あの時は単純に新しい生活に一歩踏み出す勇気が持てなくて、けいちゃんのことは大好きなのに怖気づいて、結局お母さんに背中を押して貰った。

でも、今日のは違う。甘えじゃない、逃げじゃない。


けいちゃんにわかって欲しくて、あたしを見下ろすけいちゃんの視線を受け止める。


「貴女、またそんなわがまま言って…結婚式の準備だって、まだあるんじゃないの?」

お母さんの言葉に、けいちゃんはあたしから目を逸らして、お母さんに笑いかけた。


「準備は殆ど終わってるので大丈夫ですが…こっちはご迷惑じゃないですか?」
「え? ああ…はい」

お父さんとお母さんはほぼ同時に頷いた。


「じゃあ…」と、けいちゃんは頭を深々下げた。


「千帆をお願いします」
「けいちゃんっ」

ひとりだけ靴を履いて、「じゃあ式の当日迎えに来ます」そう言って去りかけたけいちゃんを、あたしは扉の外まで追っかけた。


「? 忘れ物?」
「ち、ちがっ。突然、ごめんなさい…主婦放棄しちゃって」

俯いて謝ると、頭のてっぺんにけいちゃんの手のひらが置かれて、ぽんぽんってされる。


「そう言い出すような気がしてた」
「……」
「と、言うより俺もそうした方がいいと思ったんだ。でも、俺から『千帆をここに置いていきます』って言うのも変だったから」

――同じ考えで良かった、そう言ってけいちゃんは笑う。いつもよりちょっとだけ寂しそうに。


あっという間にけいちゃんの車の横に着いたけど、あたしはけいちゃんのシャツの裾を引っ張って、けいちゃんの次の動きを邪魔する。――ずるいな、あたし。ここにいるって、言い出したのは自分なのに、けいちゃんとも離れがたい。


「あ、あのね、けいちゃん」
「ん?」
「冷蔵庫に残ってるお肉、あれ明日までに食べちゃってね。使わなそうだったら、冷凍にしちゃって。あと野菜室におっきなキャベツあるけど…消費出来る? 無理そうならこっちで引き取るけど。あと今日買った…」

あたしが一生懸命話してるのに、けいちゃんはぶっと吹き出した。


「おっ前、色気ないなあ。心配なのは冷蔵庫の中味だけ?」
「そ、そんなことないよっ。あ、う、浮気しないでね」
「しません。他に申し送り事項は?」

そう言ってけいちゃんはあたしの頬と腰に手を掛けて、ぐっと自分の方にあたしの身体を引き寄せる。梅雨時の独特の湿気を孕んだ夜の空気。あたしとけいちゃんを照らす空の月も滲んで形がぼやけてる。


「けいちゃん…好き…」
「え、1週間も離れてるのに、それだけ? 冷たいなあ、千帆」
「あ、愛してる…」
「うん、俺も。愛してるよ、千帆」

1週間分まとめてしておく? 悪戯っ子みたいなくすくす笑いをしながら、耳元で囁くと、けいちゃんはそのままあたしの頬に掛けてた手を傾ける。


長い長いキスを交わし合ってから「ばいばい、千帆、結婚式で会おうね」

その言葉を残して、けいちゃんはあたし達の家にひとりで帰っていった。


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