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愛の誓いもそこそこに
#1


月に2回、第一と第三の火曜日は、僕を訪ねてある人が店にやってくる。


「相沢さん」

今日もまた明朗な声で呼び止められて、僕は鮮魚コーナーの手前で足を止める。


「神野さん」
「いつもすみません」

遠慮がちに笑顔を向けたこの人は、神野誠人(ジンノマコト)さん。年は30を少し越えたあたりだと思う。

まだ若いのに、近くのイタリア料理のレストランのオーナーシェフさん。一年ほど前に開店した自らのお店は、手打ちのパスタと石釜で焼くピザが美味しいと、評判のお店らしい。

店で出す食材は独自に仕入れてるみたいなんだけど、輸入モノの調味料とかオイルとかを、どかんと買って行ってくれる店側としては、ありがたいお得意様。

「こちらこそいつもありがとうございます」

シェフさんらしい、穏やかな表情で、柔らかい雰囲気のこの人が、僕は変な意味じゃなく、好きだったりする。


「あら、神野さんじゃない」

僕と彼の立ち話に、もうひとり割り込んでくる。

「清水さん」

僕と神野さんの声が被った。

この店の開店時からいるパートのおばちゃん。口はいいから、手を動かしてくださいね、と店長に言われたのも1度や2度じゃない、おしゃべり好きでイケメン好き。

「この間はどうもご馳走様」

そう言って、なれなれしげに清水さんは神野さんの肩を叩いた。


「あ、いえいえ、こちらこそ。大勢で来ていただいて、ありがとうございます」

神野さんは、清水さんの攻撃も、やんわりした営業スマイルで答えた。

「神野さんのお店、行ったの?」
「もちろんよ。食品の午前のパート仲間で、女子会。パスタ美味しいし、ワインは豊富だし、とっても良かったわ。やっぱり、お料理を作ってる人がカッコいいと、味も更に美味しく思えるわよねー」

清水さんは自慢げに語りだす。媚びた目で見つめられて、神野さんは苦笑いした。女子会、って年かよ。いや、口には出せませんけど。

それに、料理人の顔で、料理の味って変わるの? イケメンは得ですね。別にいいけどっ。僕シェフじゃないし。

突っ込みどころ満載の言葉に、僕は思わず水をさす。

「賑やかそう。羽目外しすぎて、追い出されたりしてない?」
「しっつれいね、穂積ちゃん」

そして、僕の背中にも、バシッと跡がつきそうな平手が入れられて。

「あんたも、行けばいいじゃない。彼女と。雰囲気良かったから、デートにもバッチリよ」

余計なお世話な一言を、清水さんは言った。


「そういえば、まだ一度もお店に行ってなくてすみません」
「ああ、いいんですよ、そんなこと。でも、相沢さんがいらしてくれるなら、腕により、かけますけどね」
「この子の彼女、美人さんなのよー。釣り合ってなくて、面白いから見物なの」
「…ほっといてくださいよ」

本人目の前に、その言い草はいかがなものか。でも神野さんは、飽くまで営業トークを崩さない。

「そうなんですか、さぞや相沢さんにお似合いの清楚な女性なんでしょうね、是非お会いしたいですね」

知らず知らず、僕と清水さんの視線が重なる。清楚。ありこさんとは、程遠い言葉だなあ。




次の日、僕は休み。

いい加減、式場とか顔合わせの準備とか、しなきゃいけないよなあ。

掃除とか、買い物とか、夕飯の下ごしらえとか、まるで主婦みたいな家事を済ませてから、近くの本屋と図書館と旅行代理店に出かけた。


普段、本を読まない僕には、珍しい行動半径。

いくつか旅行のガイドを買ったり、パンフレットを貰って家に帰る。

よさげな旅館をピックアップして、サイトで確認してたら、ありこさんが帰ってきた。

僕が机の上に広げてたものを見て。


「すんげーマジになってる」
「クチコミとかも、全部読んでそーっ」

なんつって、僕を散々からかったくせに。

急に、しんみりとした表情になって、ありこさんは僕の腰に腕を回して、肩に顔を埋めた。


「何か…あった?」

僕が聞いても、ありこさんは首を横に振るだけで、答えてくれない。

何も、ないわけ、ないのに。


寄り道してきた、って言ってたけど、何処に行ってたんだろ。

ありこさんが黙ってるから、僕もそれ以上、追及出来なくて、手持ち無沙汰の僕は、ありこさんの髪を撫でてた。

さらさらと、僕の指を滑る髪。

明るい茶色の髪が、好き。僕を呼ぶかすれた声も、少し乱暴な言葉遣いも、自信たっぷりな笑顔も、そのくせ脆く崩れる、泣き虫なとこも。

貴女を構成してる、全てのものが僕を満たしてくれる。

だから、何も不安にならなくて、いいよ。

そんな思い、どうやって伝えればいいんだろ。

わからないから、僕はやっぱり、ありこさんの身体を抱きとめて、後頭部から肩に、何度も手を往復させていた。


「充電完了」

どのくらいそうしてたかわからなくなった頃、ありこさんはそう言って、顔を上げた。

僕を見て、にっと笑うその顔は、いつもの明るさに満ちていて、ちょっと安心。


「僕はバッテリーチャージャーじゃないんだけどなあ」

「えー、アタシの心も身体も胃袋も満たしてくれるじゃん」

「光栄です」

「でしょ?」

正直、僕がありこさんの欲望フルに満たせると、とても思えないんだけど。


「アタシ、お腹すいた」

僕から離れて、ありこさんが呟く。

「うん、ご飯にしよ」

言いながら、ふと昨日の神野さんとの会話を思い出す。


「そういえばさ、お客さんにイタリアンレストランのシェフさんがいるんだけど」

「へえ、すごい」

「うん、すっごい、いい人で、料理も美味しいみたいだから、今度食べに行かない?」

途端にありこさんの瞳がきらきら輝き出す。


「行く行くー。穂積にメシ誘われるのなんて初めて」

「そうだっけ」

「うん」

だって、いっつも一緒にご飯食べてるじゃん。

って、そういうのじゃないんだよね、きっと。

日常に混じる非日常。

カレンダーに丸をつけたくなるような、特別な、日。


僕たちの恋は生活に密着しすぎてるから。

ありこさんの声が弾むのも、わかる気がする。




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あきゅろす。
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