愛の誓いもそこそこに ♯1 「こちらが当館自慢の海を臨むチャペルです」 その言葉と共に開かれた重たそうな観音開きのドア。ホテル最上階のその部屋の赤いバージンロードの先には、大きな窓枠に切り取られた横浜の海が広がった。 「うわあ」 ホテルの真正面の公園や停泊してる船だけでなく、遠くのベイブリッジやみなとみらいの観覧車まで見渡せる眺望はまさに絶景。感嘆の声を上げるありこさんに、案内役のありこさんと同年代に見えるお姉さんは満足げな顔をして、説明を加える。 「他にも教会や神式の結婚式を行う場所はありますが、当館ではこちらがいちばん人気になってまして、大安の休日などになりますと、ご予約は半年以上お待ちいただくことになります」 「はあ…」 大安に結婚したって、別れる夫婦はいると、思うんだけど…。 お分かりでしょうが。僕とありこさんは今、横浜のホテルの式場見学に来ています。ここは山下公園を真正面に見据える老舗のホテル。横浜でいちばん歴史あるこのホテルは、格調もお値段も、従業員のプライドも高そうな…。 ひとしきり館内施設を見せられた後で、通された応接室。 ソファを勧められて、僕とありこさんが座ると、幾つかのパンフレットが机の上に置かれた。 「お式はいつ頃をお考えですか?」 「7月くらい?」 ありこさんと目を合わせて、疑問形で答える。 「お呼びするゲストの方の大体の人数などはお決まりですか?」 うわ、全然そんな相談、ありこさんとしていない。全く見当つかなくて黙っていると。 「おおよそで構いませんよ。人数に応じた施設がありますので。100人以上とか」 「そ、そんなには」 「では、やや小規模の7、80人ほど?」 「いえ、そんなにもいないかと…じゃあ50名で」 じゃあ、って何、ありこさん、そんなんでいいの? ありこさんの適当な受け答えにちょっとびっくりしたけど、正面の人は安心したように、手元のファイルから、一枚のパンフを抜き取った。 「それですと…たとえば、こんなプランをオススメしています。先ほどのチャペルでの挙式、ゲストの方のお食事、新婦さまのドレス、ブーケ、新郎さまのご衣裳、控え室、ブライダルエステなどが入りまして、150万円ですね」 1たった数時間のセレモニーに150…。車買えちゃうじゃん。 「他に必要なものってあるんですか?」 目が飛び出そうな僕の横で、ありこさんは冷静な込み入った質問をする。 「何処までご自分たちでやられるかにも拠りますが…たとえば、招待状、席次表、ウエルカムボード、記念のビデオ撮影などをご希望でしたら、また別途費用がかかりますね。それと演出的なものが何も含まれていないので…」 「演出?」 「はい、例えば、キャンドルサービスやお色直しなども…」 「それって、やらないとダメなんですか?」 黙ってるつもりだったんだけど、僕は思わず言葉が出た。 「あ、もちろん強制ではありませんが、何もやらないと言うのも…」 一度言葉を切って、彼女は申し訳なさそうに繋げた。「正直間が持たないと言いますか…」 なるほどね。 「それで、例えば先ほどおっしゃってた必要最低限のもの、込みにした見積もりはどのくらいになりますか?」 何をどう取捨選択すればいいか、漠然としたありこさんの質問に、少し困ったように目を伏せてから。 「そうですねえ」 と、彼女は電卓を取り出した。 「例えばですね、招待状なんですけれど、こちらでお作りはもちろんするんですが、パソコンで印刷したものと、筆で書いたものとでは、お値段が違うんですよ」 そして、呈示された金額には3倍以上の開きがあって、僕たちは思わずのけぞる。 「最近はご自分で作られる方も多いですけどね。あと、会場の装花やBGMなどはいかがしますか? 生演奏などもありますが…」 アゼンとなってる僕たちに、彼女はたたみ掛けるように、次々に色んなことを聞いてくる。所謂質問攻めって、やつですよ。 「つまり、もう少し具体的にプランが定まってないと、見積もりも出しようがないと」 ありこさんが詰め寄ると、彼女は言いにくそうに。 「あ、はい…そうなんです」 と頷いた。 「んー、思った以上にめんどくさっ」 ホテルのロビーのドアを抜けて、舗道へ続く階段を降りながら、ありこさんは呟いた。 「予算的にも、無理じゃない? 僕そんなに貯金ないよ」 あれこれ足してたら、あっという間に200万とか行きそう。 「うん、アタシもないから」 僕より3年も社会経験長いくせに、威張らないでよ。 「ご祝儀である程度相殺出来るらしいけど」 そーゆーの。獲らぬ狸の皮算用、って言うんじゃ。 どちらからともなく、目の前の公園に歩みを進めて、空いていたベンチに腰掛けて、僕はさっきのお姉さんから渡されたパンフを取り出した。 「いろいろなプランご用意してますので、よく検討の上、またお越しくださいね」 満面の営業用スマイルで言われたその台詞が。 『無駄な案内させるんじゃねえ。一昨日きやがれ』に受け取れてしまったのは、僕だけでしょうか。 [次へ#] [戻る] |