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だからやさしいくちづけを【完】
♯3


「何だ、オマエまだいたのか」

とっくに閉店時間も過ぎて、照明も半減した薄暗い売場。

僕のほかには、とっくに誰もいなくなっていて。

僕の姿に、驚いて声をかけてきたのは、日下部さんだった。


「帰れ帰れ、俺が帰れないだろ」

バッグ片手に、スーツ姿。明らかに、退社するカッコ。

赴任してきて1週間。

何度か売場のことや、パートさんのことを訊かれた。

前任の村田さんは、僕たち部門の担当者に、割と丸投げで、好きにやらせてくれる人だったんだけど、この人は、すべてをきっちり把握していたいタイプみたい。


「えっと、あと少し」

床に転がしていた空の段ボールを、足で自分の方に引き寄せて、通路を確保しながら、僕は言った。


「少し…って量にも見えないがな、俺には」

未開封の段ボール、あと5個分。


「気にしないで先に帰ってください。守衛さんには、僕が言います」

いつも。退店時には、売場をくまなくチェックして、警備の人に異常なしを報告して帰る。

本来なら、店長や統括。管理職の人がやるーーと、マニュアルにはあるんだけれど。


「それは俺の仕事で、オマエがやるべきことじゃないだろーー」

日下部さんの口調が、厳しくなる。

越権行為。確かにそうなんだけど。

僕の仕事が終わるのが遅いから、待っててもらうのも申し訳なくて、村田さんがいた時は、その役目を代わりに僕がやることも、ままあった。


「その様子じゃ、初めてでもなさそうだな。――相沢さあ」

叱責されそうな気配を感じて、僕は作業の手を止めて、日下部さんの前に立った。


「見たよ、オマエの勤務表。残業し過ぎ、休日出勤多すぎ」
「……」
「会社って、一応決められた就業時間、休日があるんだけど」
「わかってます」

けど、どうせ休みの日なんて、ありこさんもいないし、やることもないし、月の休みを全部消化出来なくても、大丈夫。

なんて、この流れでそんなこと言ったら、確実に説教時間倍加するな。


「時間内に終わらないなら、仕事の効率見直すとか、人の手を借りるとか、やることあるだろう?
まして、管理の仕事まで、オマエが全部一人で、背負うべきことじゃない」
「はい」
「わかったら撤収。今日は帰れ」
「え。でもこれ」
「明日朝イチでやればいいだろ? あと、休みもきちんと取れ。今週もう一回くらい、休み入れるとこないのか?」
「えっと」

予定を確認しようと、僕は、ポケットから、手帳を取り出した。

その時。挟んでいた写真がはらりと、こぼれた。

床に舞い落ちたありこさんの写真。

先に手に取ったのは、腕の長い日下部さんだった。まじまじと眺めてから。


「――彼女?」

わざわざ、僕の目の前に、写真を突き出して訊いてくる。


「は、はい」

(は、ハズカシイ・・・)

真っ赤になった僕を見て、日下部さんはにやりと口角をあげた。


「じゃあ、返してほしかったら、30数える間に退店準備して」
「ええっ???? 間に合わなかったら?」
「俺がもらう。おら、急げ。30、29…」

な、何のために? そんな質問してる時間的余裕は、もちろんなくて、僕は全速力で事務所に走って、タイムカード切って、エプロン外して戻ってきた。


「おー早い早い」

自分があんだけ煽ったくせに、僕の息切らした様子を、面白そうに眺めて。


「はい、これ」

日下部さんは僕にありこさんの写真を返す。


「じゃあな、相沢。明日、休みでいいから。これ。業務命令」

い、いつのまに? そんな決定事項が???


意地悪で、有無を言わさない強引なとこ。


なんか、この人。ありこさんと同じ匂いがする…。



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あきゅろす。
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