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だからやさしいくちづけを【完】
♯7


一方的に解雇されたのに、やめた月のアタシの給料はいつも通り振り込まれていた。

(慰謝料のつもりなのかな)

でも、わざわざ確認する気にもなれなくて。制服も郵送で返却しろ、とパソコン文字の手紙が来て、アタシはそれに従った。


年が明けて。

桜の樹が芽吹く頃、同じバイト仲間の子からのメールで、店長と真奈美さんが、入籍したことを聞いた。

もう、ほんとにアタシの手の届かないところ行っちゃったんだなあ。


アタシは、別のコンビニでバイトを始めていて、まるっきりやる気出なくて、サボってた就職活動も。


「辛い時は、とにかく予定目一杯入れるのよ。考える暇もないくらい」


すっかり仲良くなった槇に、ハッパをかけられ、第一志望ではなかったけれど、望んでいた業種の内定をもらえたのは、7月に入ってからだった。



「頑張れよ、シューショク活動。決まったら、何でも言うこと聞いてやるから」

内定通知を手にした途端、最後に交わした約束が、店長の声で甦った。


(逢いに…行ったら、ダメかな。最後に、もう一度だけ)


アタシは、お守りみたいに内定通知を持って、店長のマンションに向かった。

駐車場を覗いたら、まだあの青いスポーツカーは置いてあった。

店長が家にいることを確信して、震える指で店長の部屋のナンバーを押した。


アタシだと告げると、ため息の後に続いた沈黙。きっと追い返されるのかと思った、次の瞬間。


「そこで待ってろ、今、行くから」

機械越しの久しぶりに聞く、低い声に、涙が出そうになった。


Tシャツに短パン、ラフな部屋着で店長はアタシの前に現れた。


「なにしに来た」
「内定通知貰ったよ」

アタシは伝家の宝刀みたいに、高々と、その書類を店長の目の前に広げた。


「約束、したよね。――就職決まったら、何でもいうこと聞く、って」

有無を言わせぬ口調で、アタシは店長に詰め寄る。


記憶の糸を手繰るように、遠い目になった店長は、すぐに思い出したのか、髪をかきあげる。その薬指に、プラチナのリングが光ってた。


「言ったな、確かに。けど、今更、俺に出来ることなんてあるのか?」

別れる前の約束なんて無効だ、と言わなかったの店長の優しさに、アタシはつけ込んだ。


「あの埠頭、行きたい。連れてって」
「…行って、どうすんだ。あんなとこ」

吐き捨てながら、駐車場に向かう広い背中。アタシは黙って、その後をついていった。

重たいドア、沈み込むようなシート。後続車を威嚇するようなリアスポイラー。乗っただけで、あの頃の記憶が幾つも蘇ってきた。


「オマエ、運がいいな。この車、もう乗り納めなんだ」
「どうして?」

いつ乗っても車体はピカピカに磨いてあって、大事にしてた車。店長が手放すなんて信じられない。


「ツードア、マニュアルのスポーツカーなんて、チャイルドシートも乗せられない、って真奈美や向こうの両親にさんざん言われてな。新しい車買った」

納車待ちだという、店長が名を告げた新しい車は、流行のファミリーカー。


「似合わないだろ? ま、俺も失うものはたくさんあった、ってことだよ。自業自得だけどな」

苦笑いして。店長はいつもより、慎重に夜の街を港に向けて走り出した。



以前と同じ場所に車を停めると、海に跨がる橋は、一年前と同じように、闇に白く浮かび上がっていた。あの時と同じように、ボンネットに浅く腰掛けて、タバコに火をつけてから、店長は唐突に言った。


「今日、笠原、誕生日だろ」
「覚えてたの?」
「いや、今朝の今朝まで忘れてた。――今日、真奈美が出産したんだ」
「今日…?」

信じられなくて、信じたくなくて、アタシはもう一度聞き返す。


「ああ、今朝早く。女の子だった」
「そんな」

アタシは、ぎゅっと握った拳で、店長の胸板を叩いた。


「そんな話、聞きたくないっ」

何で、何でっ。よりにもよって、今日なの?

7月4日。アタシの誕生日が。

今も忘れられない人の、子供の生まれた日…?。




アタシ。一生、店長忘れられなく、なる。






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