だからやさしいくちづけを【完】 ♯5 どうやって病院を出て、何に乗って帰ってきたかも、覚えていない。 バイトも、学校も、就職活動も、何もする気になれなくて、時間だけが過ぎてく。 気がつくと、明日で年内の大学の講義は終わり。 (冬休み、何しよ) ぽっかりと空いしまった時間の埋め方を考えるのさえ、億劫だった。 飛行機で、熊本帰って、向こうで正月すごそうかな。お金あったっけ。あるわけないか。 ああ、だめだ、何にもする気にならない。 その時。けたたましい勢いで、アパートの呼び鈴が鳴った。 一度目は長押し。 でも、こっちの反応がないと悟ると、向きになったように、何度もピンポン押してくる。何処の新聞屋だよ。本社クレーム入れるぞ。 無視したかったんだけど、出るまでやめない、と言っているかの如く、連打してくるから、アタシは根負けして、ドアを開けた。 固く閉ざしたドアの向こうにいたのは… 「一条さん…」 厳しい顔つきをした、まだ友人とも呼べないような、彼女だった。 「やっぱりいるんじゃない」 勝ち誇ったように、彼女は言って、ドアの内側に身体を滑り込ませる。 「え? 何でここ…」 アタシの問いに答えもしないで、彼女はズカズカアタシの部屋に上がり込んだ。 「ったねー部屋」 開口一番、一条さんは吐き捨てる。 「悪かったわね」 そういえば、掃除なんか、店長と別れて以来してないし。食事も作ってないし。面と向かって、人と話したのも、もしかして、それ以来なんじゃ…。 「ってか、何しに。いや、その前に、どうしてここ…」 「敦志に頼まれた。いや、私も気になってたし。あんた、こないだの説明会、バックレたでしょ」 「ああ…」 そういえば。 一昨日、第二志望の企業の説明会が、あったなあ。 いや、待って。それより、敦志ってあっちゃん? そんな、親しげな呼び方してたっけ。 「なんで、あっちゃん?」 「学校にも来ない、会社説明会にも姿を見せない。ケータイは無視っ。笠原はどーしたんだろ、って、ムカツクくらい、敦志がアンタの心配してるから、来てやったの」 えーと、つまり。あっちゃんがアタシの心配をしてくれて。そのあっちゃんを安心させたいが為に、一条さんは大して親しくもない、アタシのところに来たと? いつの間にか、ふたりはそういう関係に? いや、まあ今は深く追及しないでおこう。 ここを突き止めたのが、あっちゃんからの情報だってことだけわかれば、いいや。他人様の幸せなノロケ話なんて、今のアタシには、聞いてる心のゆとりが、ない。 「何があった?」 ストレートな言葉と、心配そうな眼差しに、強がる気力は残ってなかった。 「…失恋」 一番、言いたくなかった一言を、アタシは告げる。 そう、言葉にしてしまうと、本人の深刻さとは、裏腹に、なんて、あっけなくて、ありふれてて、単純な出来事。 失くしたのは恋だけなのに。心も、未来も、全て失ってしまった気になるのは、どうして? 「そっか」 一条さんは頷いて。 「まずは掃除かな」 腰に手を当てて、荒れ果てた部屋をみながら、闘志を漲らせるように呟いた。 「めんどくさ」 投げやりに言って、彼女の横をすり抜けてリビングのソファに座ろうとしたアタシの、肩を一条さんが掴む。 「私はもっと、面倒だっての。とにかく、こんな自堕落な生活してたら、いつまで経ったって、浮上出来ないよ」 普段なら10倍にして言い返してやりこめるんだけど、その時のアタシは、彼女に対して、そんな気持ち湧いてこなかった。 埃とゴミにまみれた部屋を、女ふたりで、半日がかりで、綺麗にした。 暖房つけてなくても、汗ばんでしまうくらい、動き回って、部屋を元の状態に戻した頃には、すっかり日が暮れていた。 「お腹空いた」 アタシと一条さんは、片付いた部屋で、背中を合わせるように座りながら、ぼやく。 「何か作ってよ」 一条さんが、アタシに言う。 「無理。料理出来ない。それより、酒飲みたいなあ」 「はあ?」 「あっちゃんに、買ってきて貰おうよ」 冷蔵庫も空っぽだ。改めて、アタシ、この10日くらい、どうやって生活してたんだろ。 「アンタ、人の彼氏何だと」 「だって、アタシの友達だもん」 アタシはケータイを握った。あの日から、充電もしてなかったケータイ。とっくに落ちてた電源を入れると、ずらずらと、あっちゃんや一条さんからのメールや着歴。 今更ながら、どれだけ心配かけていたのかと。申し訳ない思いと、ありがたい思いで、目頭が熱くなった。 そして。 当たり前だけど、店長からは何も来てなかった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |