だからやさしいくちづけを【完】 ♯5 何を話していいかわからなくて、結局無言のまま、車体はアタシのアパートの駐車場にあっという間にアタシを運んだ。 消されたライト、止められたワイパー。 「ありがとうございました」 言って、アタシがドアに手を伸ばすと、店長は車のエンジンまで切った。 「…あの?」 アタシは店長を見た。アタシを降ろして、タッチ&ゴーで、すぐに店に戻るのかと、思ったから。 「一服するから、付き合ってよ」 車内にその低い声を響かせると、ジッポの灯りで、一瞬だけ周囲は明るくなり、すぐに紫煙が充満した。浮かせた腰を、アタシは再びシートに戻す。 この人のペースだ、と思うのに、何故か抗えない。 「笠原は吸う?」 パーラメントを、すっとアタシの前に出す。 「あ、いえ…」 酒の味は知ってるけど、アタシは煙草の吸い方は知らない。 「未成年だっけ?」 「あ、はい。あと2週間くらいでハタチになりますけど…」 「そっか。それは失礼」 指にフィルターを挟んだまま、頬杖をついて、店長は笑った。 「笠原は、彼氏いるの?」 核心を突く質問を、店長は、煙を吐き出すついでのように、訊いてきた。 何人かたまに逢う男の子の顔が浮かんで、すぐに、消す。 「――いません」 「へえ意外」 店長は、喉の奥で笑って、車に備え付けの灰皿に、短くなった煙草を押し付けた。その仕種が、帰っての合図のように思えて、消えてしまった煙が寂しくなった。 (アタシ、どうかしてる…) 店長に促されるのがイヤで、アタシは先走って言う。 「じゃあ、アタシそろそろ」 再び大きなドアに掛けた手を、今度は店長の手が抑える。 「そんなに…帰りたい?」 アタシは首をぶんぶん振った。 「面白いね、笠原は。――考えてること、丸わかり」 主導権を握ったような、勝ち誇った店長の笑みに、悔しいと思う余裕もない。 素直になれば、彼の傍にいられるなら、からかわれても、笑われても――その方が嬉しい。 「あの本面白かったです」 アタシは話題を自分から振ってみる。 「そ? 犯人の目星はすぐつくんだけどな。人間関係絡んだ動機が想像出来なかったよな」 え、アタシ全然当てられなかった。 「普段あんまりミステリー読まないから、推理出来なかったです」 「あ、そう? 笠原、本が好きなの?」 「はい」 「今時、珍しいね。ああ、でも――国文科だっけ」 「どうして…」 「履歴書くらい、真面目に読むよ。特に女の子のは」 本気なのか、冗談なのか、2本めのフィルターを取りだしながら、店長はアタシに言った。 「あのテの本が好きなら、うちにたくさんあるよ。――見にくる?」 火はつけずに、煙草をくわえた口の両端が、微かに上がった。 「――行っても、いいんですか?」 「ダメなら、誘わない」 アタシの返事に、ほっとしたように店長は唇で挟んだフィルターを火に近付けた。 再び車内に、蔓延した煙りと匂い。煙草なんか、好きじゃないのに、アタシは、嬉しくなっていた。 「駅前の一番背の高いマンションわかる?」 「行ってみれば」 「403が俺の部屋。明日は休みでいつでもいるから、気が向いたらおいで」 もし、いなかったら…と、店長はケー番もアタシに教えてくれた。転送されたデータをじっと見ながら訊いた。 「店長、名前…なんて読むの?」 「日下部朋葵…ともき。ちょっと、読みにくいけど」 「うん。でも、かっこいい。明日ガッコ終わったら行くね。電話します」 内心、心臓をばくばくさせながら言ったアタシの頭を店長は、ぐりぐり撫でた。 「うん、待ってるから」 その時は気付かなかった。 走り出した恋が、地下鉄みたいに、先の見えない闇を走るものになるなんて…。 [*前へ][次へ#] [戻る] |