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だからやさしいくちづけを【完】
♯4


「こんなことしてるバアイじゃないじゃん、アタシ…」

はっと我に返って時計を見て焦る。


レポートは、明後日まで。今日中にさっきの本読み終わらないと、明日文章にまとめられないっ。


バイト先にあるよね、きっと。それとも、誰か持って帰ってる?
わかんないけど。とにかく、探しに行こう。


取り違えた本をカバンに入れて、アタシは家を出る。外はいつの間にか、雨が降りだしていた。頭上に傘を差し掛けると、雨粒はうるさいくらいに、ビニルに打ち付ける。アタシはチャリを諦めて、歩いてバイト先に向かった。

店の裏口から、こっそり休憩室に回ると、店長がさっき、アタシのいた席に、座っていた。

店長こと、日下部…下の名前、知らない。多分、三十路に足突っ込んだくらい。面接とバイトの初日以外、殆ど話したこともない。


長身の背中を曲げ、長い脚を窮屈そうに椅子の前に投げ出し、煙草をくわえながら見ているのは、明日の発注表?


仕事が終わったのに、現れたアタシに、店長は不思議そうな目を向けた。


「何だ、笠原。どうした?」

煙草の煙りと一緒に吐き出された声は、喉の奥で鳴らしてるような、渋いんだけど、張りのある通る声で。

あんまり、店長と接点のなかったアタシは、初めてこの人の声を、聞いた気がした。だって、あんまり店来ないんだもん。よく知らないけど、いくつか掛け持ってるらしい。


「あ、あの…本を忘れてきたんですけど、なかったですか?」
「本?」

店長は意外そうに、辺りをキョロキョロ見回して。


「これしかないよ。でも、これは俺のだから」

と、赤いブックカバーを、右手に持った。

「あっ」

アタシは慌てて、カバンから持ってきた本を取り出した。


「あれ?」

見た目全く同じ外観の本が二冊あるのに、店長も眉を上げた。あたしは、自分の持ってる本のカバーをめくる。


「アタシ、間違えて持って帰っちゃって…、店長のだったんですね。お返しします」

アタシ達は、互いに持ってた本を取り替えた。良かった、これでレポート書ける。安心して、アタシは自分の手元に返ってきた本をカバンに入れた。


「笠原も好きなの?」
「えっ?」

好き、という言葉に反応して、アタシの声は不自然に大きくなった。


「ここの本屋」
「あ…」

本屋の話か。って、何だと勘違いしたんだ、アタシ――。


「あ、はい」
「俺も好き」

眼鏡の奥で、細められた瞳は優しくて、まるで告白でもされてるかのように、ドキッとなった。


「あの、店長すみませんっ」
「何?」
「アタシ、さっき家でこの本、読んじゃいました。読み始めたら、面白くて止まらなくて…」

アタシの謝罪を、店長は何だそんなことか、と言いたげに、ふっと笑う。


「構わねえよ。もう俺も読み終わったし。もっと、じっくり読みたいなら、貸そうか?」

そう言って、アタシの手元に、もう一度戻そうと、する。

読み終わったから結構です。

そんなカワイゲのない台詞、言いたくなくて、アタシは差し出された本を、無言で受け取った。


「送って行ってやろっか」

店長は、アタシの返事も聞かずに立ち上がり、店のバイトの子に、「俺、少し抜けるから」と声を掛ける。

「あ、アタシ一人で帰れます」

遠慮してみたけれど。


「雨、降ってるんだろ? もう遅いし、俺ももう帰るとこだったから」

そう言われて、ウィンクまでされたら、アタシはもう前に進み始めた背中に、ついて行くしかなかった。


店の駐車場に停められた、青いツードアのスポーツカー。雨の夜でも、存在感たっぷりの車の助手席に、アタシは座った。


身体を沈みこませるシート。
雨の音をかき消すような、エンジンの轟音。


走り出せば、五分もかからない、アパートに行くだけとわかっているのに、何故か、見知らぬ街までドライブでも行くような、ワクワクした気持ちが、アタシを襲ってきた。


「道、教えて」

アタシの誘導のままに、青い車は雨の中を走り出した。





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