だからやさしいくちづけを【完】 #4 すぐ…と言ったのに、結局僕がタイムカード切ったのは、ありこさんと別れてから、30分もしてからで。 ありこさんの不機嫌を増長させただけじゃない? 不安な思いで、僕は駐車場に急ぐ。 車内で、ありこさんは、一番後ろの席で、書類を読んでた。 「ごめん、遅くなって」 ありこさんが、後ろにいるから、僕もとりあえず3列目に座った。 「今日、来るなんて言ってなかったから。ケータイ、気付かなくて」 「別に」 ありこさんは、素っ気無く言って、僕に目も合わせてくれない。 「次、何処の店行くの?」 「行かない、もう仕事終わったもん。早く終わったから、穂積の店来てみただけ」 「あ、そうなんだ」 でも、ありこさんの口調は、やっぱとげとげしくて、手放しで喜べない。 ケータイ着歴気付かなかっただけで、ここまで怒るような人だっけ。 「お茶でも飲む?」 そう言って、僕は、さっきありこさんから貰った、紙袋の中身を探った。 「お茶と紅茶と炭酸…どれがいい?」 「って、それアタシが持ってきたやつじゃん」 「いいじゃん、僕が貰ったんだから。それとも、ビールでも買ってくる?」 「…お茶」 キャップを開けて、僕はありこさんにペットボトルを手渡した。 「あの娘(こ)誰?」 お茶をぐいと一飲みしてから、ありこさんが低い声で訊ねる。 「あの娘って?」 「アタシが、売り場にいたら、穂積くんですかあ? 放送かけて、呼びましょうかあ? なんて、したり顔で言ってきた娘」 「茜ちゃん?」 ありこさんの眉が、ぴくっと動く。 「ずいぶん、仲良しなんだね〜、何でアタシがありこさんで、あんな娘にちゃん付けなの?」 えっと。もしかして。これって。 「ありこさん、妬いてる?」 僕の不用意な一言に、車内の空気が一変した。 「穂積くん」 皮肉めいた呼び方でで僕の名を呼び。 ありこさんはぐいと、僕の背中をシートのクッションに押し付けた。 そして、僕の膝の上に、馬乗りに跨ると。 少しずつ、顔を近づけてきた。 吸い込まれるような、ありこさんの眸に、僕は身動きできなくなる。 もしかしなくても、僕、 押し倒されてる? でも、これ、普通、男女の位置、逆なような…。 なんて、呑気なことを考えてる場合じゃないか。 「ちょっと待って、ありこさん」 職場の駐車場。 車の中とは言ったって、こんな場面はヤバすぎる。 「何?」 僕の焦りを嘲笑うように、ありこさんは。 息がかかるくらい、近づけた唇を、すっと僕の耳元に持って行き、耳を舌先で舐めた。 「…っ」 思わぬところに落とされた刺激が僕を襲って、洩らした声と、魚が陸に上がった時のように、ビクンとはねあがった体。 そんな僕の反応の一部始終を、ありこさんは僕の上で面白そうに眺めてた。 「…意地悪」 僕の恨みがましい言葉すらも、愉しそうで。 「つまんないこと言うから。穂積とあんな子に妬く程、落ちちゃいません」 僕の上で、勝ち誇ったように唇の両端を上げる。 僕をさんざん、いじり倒した後の、満足気なその表情が、一番好きだと思う僕は。 …やっぱり、Mっぽい? ようやく機嫌が直ったのか、僕の上から、ありこさんはストンと降りた。 「穂積、腹減った。家で何か作って」 「…え?」 「このアタシを、30分も待たせたんだから、そのくらい当然じゃね?」 そう言って、さっき渡した車のキーを、僕の目の前でちゃらちゃら揺らした。 (やっぱり、そっちも怒ってたのね) 僕は、ありこさんの手から、キーを受けとると、運転席に移動する。 「何食べたいの? ありこさん。あんまり、凝ったものは、作れないよ」 「んーと、炊き込みご飯」 (…面倒なものを) ありこさんちの空っぽの冷蔵庫。まずは、食料の調達からか。 何を買うか考えながら、僕は車を出した。 [*前へ][次へ#] [戻る] |