だからやさしいくちづけを【完】 ♯10 「あれ」 駐車場の入り口の自販機の前で、バッタリ店長に逢った。 もう帰るのか、丁度、タバコ買おうとしてるとこで、店長は受け取り口から、箱を取り出すと、にやりと笑った。 「あいつ、連れ戻しにきたの?」 「違う」 「何だ、違うんだ」 そう言って、何でつまらなそうな顔になるのかな。 アタシと穂積のこと。面白がってるのか、心配してるのか、店長はよくわかんない。 でも、言わなきゃいけないことはある気がして。 「店長」 アタシは、彼を引きとめていた。 「オマエ、その呼び方やめないねえ」 「じゃあ、朋くん…?」 アタシはわざと、言ってみる。 「それは、カンベン」 店長はくくっと笑ってから、タバコの隣の自販機で、缶コーヒーをふたつ買った。 「じゃ、一杯付き合うよ」 アタシの前に、店長が缶コーヒーひとつ差し出す。それを受け取るのを、躊躇っていると、店長が付け足した。 「相沢なら来ないぜ。まだ、仕事残ってたし」 屋外の駐車スペースに出て、何となくふたりで、手すりに背中を預けて。並んで、空を見上げた。すっかり、日の落ちてしまった、ぼんやりと暗い空。 「何かここ、あの病院思い出すよな」 アタシの思ってたことを、店長がポツリと呟いた。 あの病院て、アタシと店長が別れたあの病院だよね。細かく見れば、全然違う。あの病院の屋上は、駐車場になってなんかないし、コンクリートの色も違う。 でも、遠くにうっすら見える海や、建物の背後に広がる山並みとか、そういうものがイメージと重なる、そんなくらいの類似点。 だけど、まだ捉われてると思われたくなくて。 「似てないよ」 アタシはそう強がった。 店長はアタシの主観など、どうでもよさげに。 「そっか。ここに来た日にオマエに逢ったから、余計そう思えたのかもしれねーな」 理屈付けをして、ふっと笑う。 「今日十三夜なんだよなあ」 雲に覆われた空を、店長は恨めしげに見上げた。 「十三夜?」 「旧暦9月13日。今日も月見する日なんだぜ。売り場で団子売ってなかったか?」 「気づかなかった」 「オマエはあれだろ、相沢しか見てなかったろ」 「そんなことは…」 ないとは言わないけど。それを、この人の前で認めるのはイヤだ。 くちごもったアタシに、店長は更に返答に窮するようなことを聞いてきた。 「さっき、売り場で何してた?」 甦るのは、あの大胆すぎるキスシーン。 「な、何って」 真っ赤になったアタシを、店長はしめた、と言いたげに、意地の悪い笑みを口元に浮かべた。 「あー、つまりそういう顔になるようなこと、してたのか」 …やられたっ、カマかけかよ。 「見てたんじゃ、ないのかよ」 「俺が見たのは、売り場に座り込んで、にやついてたオマエだけ」 衝撃のキスシーンじゃなくて良かった。アタシは心底ほっとしてた。 「悪かったな」 「嘘。すげー可愛くて、見たことないくらいシアワセそうで、悔しかったから、声掛けなかった」 「悔しいって」 「俺といる時に、あんな顔見たことなかったからな」 あんたにそれを悔しがる権利なんかねえだろ。何処までも身勝手な店長らしい台詞。 でも、店長。貴方が好きだったアタシも、本当だったよ。本当に好きで、だから別れた時は、本当に辛くて、今も、心底嫌ったり、憎んだり出来ない。 「店長、アタシもうここには来ないんだ」 きっと、貴方に逢うのも、これが最後。 「どうして?」 店長は並んでたアタシの横顔を窺う。 「辞令貰ったの。来週から、本社に移ることになったから。営業職で」 店長の眼鏡の奥の瞳がまん丸になって、そして細められた。 「そっか、良かったな」 本心から言ってるみたいで、店長はにっこり笑って、横からアタシの頭に手を伸ばして、ぐりぐり撫でた。髪、ぐしゃぐしゃになるから、やめてっての。 そうして、ひとしきりアタシの頭を撫でてから。 「笠原」 店長はふいに、真面目な顔と声になった。 「オマエは多分、二度と俺になんか逢いたくなかっただろうけど。俺はオマエに再会出来て良かったと思ってる。 あの日、俺が放り出したオマエを、受け止めてくれるヤツも見つかったしな」 「何だよ、それ」 アタシ、まだ憶えてるのに。あの病院の床の冷たさも。まるで、自分の気持ちみたいに、どんどん暗くなっていった空の色も。 「今更、いい人ぶって、そんなこと言うの卑怯だろ。謝って来たって、アタシはアンタを許さねえよ――ずっと」 「ああ…」 それでいい、と店長は大きく頷く。 「そうだな。俺は、ずるくて嘘吐きな大人だからさ。でも、ちゃんと、言ったぜ。――オマエの未来を願ってるって」 埠頭で言われたその台詞も、憶えてる。でも。あの時はそんな言葉、体のいい別れ文句にしか、思えなかったよ。 店長は店長なりに、アタシのことを思っての言葉だったの? 「要領悪いし、融通も利かないけど、相沢は嘘がない、いいやつだ。幸せになれよ。――ごめんな、何もしてやれなくて」 店長は自分の車に消えた。 まるで、あの日を再現したかのような、シーン。哀しいわけじゃないのに、アタシの瞳からは、また一筋の涙が零れてて、アタシは慌ててそれを拭った。 いつ雲が流れたのか、頭上には、月が静かに輝いていた。真ん丸に少しだけ満たない、――十三夜の月。 店長。アタシも、再会出来て、良かったって、思ってる。時を隔てて、想いが流れたからこそ、きちんと振り返られた。店長との過去、やっと吹っ切れた気がするから。 [*前へ][次へ#] [戻る] |