先生≠彼【完】
♯9
「やだ…」
あたしの声は、もう脳を通さない脊髄反射で飛び出した。でもけいちゃんは淡々と続ける。
「…これからもリスクの多い付き合いしか出来ないよ? こそこそ隠れて会って。他人の目に怯えて。
俺はさ、千帆。世界中の人にお前にはその資格が無い、って言われたって、千帆を好きでいるのやめないから。もう無理、って言うなら、お前が俺を切って」
「やだあぁぁぁっ」
想像だけで、嫌だ。あたしは、半泣きになってけいちゃんの背中に両腕を回してしがみついた。
けいちゃんがいい。けいちゃんじゃなきゃやだ。ナルで、ロリで、埃アレルギーで、掃除がマメで、いっつもポケットいっぱいティッシュ持ってる、そんなけいちゃんが、あたしは好きなんだもん。
ばかだ、あたし。この手を離せば楽になるかも…なんて、どうして一瞬でも思っちゃったんだろう。そんなこと出来っこないから、あたしたちは一緒にいるのに。
「け…いちゃん、大好き…」
「うん、知ってる」
あたしの目から流れでた幾筋もの涙をけいちゃんは、唇ですくう。こっちの緊迫感とは真逆の、けいちゃんののんびりした態度に、ちょっとだけ我に返った。もしかしてけいちゃん。
「あたしを…試した?」
「人聞き悪いこと言わないでくれる? 千帆」
あたしの両頬に手を掛けて上向かせて、けいちゃんはにっこり笑う。
「だって、そうじゃん。やめる?って言われて、あたし、心臓止まりそうになったんだから」
「それは困るな。おどかし過ぎたね、ごめん」
って言いながら、今度はぎゅーってハグされた。さっきとおんなじ。けいちゃんの胸板が、あたしの頬にぴとっと張り付く。でも、さっきみたいな不安感や切なさはなくって。
あたしの心も身体も収まるべきところに収まったような、安心感を覚えた。
「俺だってそんな余裕ないよ。オトナですから、駆け引きは出来ても、酒井みたいに真っ直ぐに千帆を守れない。――焦りも嫉妬も覚えるよ」
多分、それはけいちゃんの本音。あたしだけを優先出来ない立場に事情に、けいちゃんはきっと、あたしの何倍も何百倍も悔しい思いももどかしい思いもしてるはず。
「…酒井くんに、付き合う振りなんて無理、て言う…」
「あー、それは…」
「え?」
けいちゃんはちょっと目を泳がせてから、複雑そうに言った。
「それはそのままにしておいて」
「え、いいの?」
「良くない。良くないけど、いい」
「遠藤先生、日本語でお願いします」
「んーと、だからさ」
けいちゃんは頬をポリポリ掻きながら、一見関係なさそうな話を始めた。
「あのバラマキの犯人…さあ、俺、心当たりあるから」
けいちゃんの言葉にあたしの耳はぴくっとうさぎみたいに反応する。
「あたしだって、あるよ」
あたしが断言すると、けいちゃんは苦笑いする。同じ人を思い浮かべてるのは、互いに明白だった。
「学校側に彼女の名前を告げなかったのは、学校側が必ずしも犯人探しには躍起になってないことと、また何やらかすかわかんないから――なんだけど」
確かにさっきの校長先生の話もそうだった。噂の否定と消滅、そしてあたしのケアには心を配ってくれてるみたいだったけど、誰がやったか、ってことについては、触れてなかった。
「けど、俺もう限界。これ以上、彼女に千帆を傷つけさせたくない。今は『好き』なのか『嫌い』なのかどっちの感情かわからないけど、とにかく彼女のベクトルの向かってる先は俺だから。俺との繋がりが見えなくなれば、沖本は千帆に攻撃してくることはないはずだから。――今は、酒井の傍にいな」
けいちゃんは噛んで含めるようにあたしに言う。この間、歴史の勉強、あたしに教えてくれた時みたいに。
やだ、って言いたかった。首ぶんぶん振って、あたしのカレシはけいちゃんだけだよ、って言いたかった。でも。
「…わかった」
不承不承頷くと、けいちゃんは「いい子だ」ってにこっと笑って、あたしの頭ぐりぐりする。
「けど、千帆に指一本触れたら、ぶっ殺す、って酒井に釘さしておくから」
ゆ、指一本…そ、それくらい日常生活してて、赤の他人とも接触してる気がしますけど。
「けいちゃん。あたしが好きなのはけいちゃんだけだからね。信じててね」
「わかってるよ。でも千帆」
「でも…?」
けいちゃんの端正な顔がちょっとだけ歪む。笑いたいのか、泣きそうなのか、わからない切なげな顔があたしに寄せられて、けいちゃんは撫でてたあたしの髪をくしゃっと掴む。
ゆっくりと重なった唇は、言葉の続きを吐き出すことなく、あたしの思考を奪っていった。
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