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先生≠彼【完】
♯1

SIDE Keisi


初めて会った千帆のお母さんは、人の良さそうな大らかそうな人だった。ああ、こういう人が育てると、ああいう素直で伸びやかな娘が出来るんだ、と納得してしまうような。


熱のせいか、千帆の眠りは深くって、母親が部屋に入ってきても、まったく起きなかった。


「春日」

そう呼んで起こそうとすると、お母さんが俺を制す。寝かせておいてやって欲しい、と。

当然の親心で、何も言わずに俺が立ち去った時の千帆の泣きそうな表情は、容易に想像出来たけど、お母さんの願いを覆す理由にはならなかった。目覚めた千帆に別れ際に切なげな顔されるくらいなら、寧ろその方がいいとさえ思った。


「本当に先生にはご迷惑をお掛けして…」

と頭を下げられる度に、良心がズキズキ痛む。千帆の発熱は9割方俺のせいだ。


沖本に不用意な発言したのも、指輪贈ったのも。そもそも俺と付き合ってなきゃ…。嫌な仮定が頭を掠める。


迷うのは、ずるい。


「先生はこれからどうされるんですか?」

お母さんが俺に聞く。


「あー、長崎市街のホテルが今夜の宿泊先なんで、そこに戻ります。春日をお願いします」

社交辞令でなく本気で言って、頭を下げた。


「先生こそお気をつけて」

自分の娘も心配だろうに、病院の裏口まで俺を見送ってくれる。こういう思いやり、千帆も引き継いでるよなあ。そう思いながら、駅までの道を歩く。


病院のすぐ近くに港があった。江戸時代日本で唯一外国の船を受け入れてた場所――。黒い海を、きらびやかな光が照らし出す。それでも、海中までは、見通せる訳もない。人の心もおんなじだ。


一度、駅で大田先生に連絡を入れてから、ホテルに行った。フロントで鍵を貰って、部屋に戻ろうとすると、酒井が俺の前に立ってた。


「おかえり、センセ」

人懐っこい笑顔で、酒井は俺の前方を塞ぐ。はっきり言って今、見たい顔じゃねえんだけどな。


「お前もお疲れ様。…消灯まで、あと15分だぞ。最後の夜に、俺なんか待ちぶせしてていいのか?」
「春日…どう?」
「俺が帰るときは眠ってた。呼吸も落ち着いてたし、大丈夫じゃないかな」

ほっとした顔を見せた酒井だが、すぐに立ち去ろうとはしなかった。


「遠藤ちゃんに話したいことあるんだよね、俺。部屋行ってもいい?」
「…ここじゃダメなのか?」
「謎は全て解けた――んだよ、俺」

人差し指を突き立てて、どこぞのアニメの探偵よろしくドヤ顔で酒井は言った。

「…殺人事件は起きてなかったはずだけど」

そっけなく言って、俺は来たエレベーターに乗り込む、カードキーを確認すると、8階の部屋らしかった。俺が押すより前に、酒井がそのボタンを押して、当然のように乗り込んでくる。


「誰が殺人事件の犯人がわかったって言ったよ。春日のカレシ。俺の推理が正しければ、全ての辻褄が合うんだ」
「はあ…」

俺はやる気のない相槌を打ちながら、カードキーを部屋の入口に差し込む。緑のランプが点いて、ロックが解除される。

酒井の言いたいことはもうわかってる。後は俺がどうするか――だ。名探偵と対峙する真犯人て、心の隅でその闇を暴かれるのを願ってるのかもしれない――、そう思いながらドアを開けて、酒井を招き入れた。


「春日のカレシって…遠藤ちゃんでしょ」

開口一番、酒井はそう言って、俺の表情をまじまじと見た。どうせ、まともな返事なんて返って来ないだろうと想定してか、心の機微を表情で読み取ろうとしてるような、真っ直ぐな目で。


「…証拠は? 探偵くん」
「さっき、遠藤ちゃんが熱あるあいつを支えてた時、あいつ全く動揺してなかったじゃん。当たり前みたいに身体預けてた。船の上で、俺がちょっと髪の毛触っただけで真っ赤になってたのにさ」

悔しそうに酒井が言う。人間の咄嗟の行動って無意識だ。だからこそ、出てしまうのかもしれない。隠しておいた感情も。


「40度近く熱あれば、立ってるのやっとだろうし、溺れる者は…で、そんなこと考えてられないと思うけど」
「そうかもしんないけど、でも、なんか違ったんだよ、あんたと春日の間に流れる空気っていうか、匂いって言うか」
「警察犬みたいだな、お前」
「勘はいいんだ、つったろ?」
「そうなあ。今回は大外しだけどな」

大げさに笑うと、酒井は納得行かなそうに、拳を握りしめた。そして、何か反論材料はないかと考えて思い出したらしかった。


「この間のアレも…アドバイスじゃなくて、俺に対する牽制だったんじゃないの? 言葉って銃と同じだからさ、ってやつ。俺、結局春日に好きって言ってないから。けど、告白するの保留にしただけで、諦めたわけじゃないからな」
「…それを俺に言われても困るよ。好きだと言うか言わないかは、お前が決めることだし、お前の気持ちをどう受け止めるかは春日が決めることだしね。ただ、慎重になった方がいい、ってのは年長者からのアドバイス。…矛盾、感じる?」
「感じ、ねえけど…っ。でも、なんか…あんた…、今本気で話してない気がする」

本当、いい勘してる。嫌いじゃないけど、こういう奴。そして、厄介だとも思う。千帆の彼氏で、先に会ってて、年長で。俺の持ってるアドバンテージなんて、たやすくひっくり返されそうな、危険を覚える。

 
「春日は俺のだから、近づかないでくれる?――とでも言えば、お前は手引くの?」

放ってしまえば取り返しがつかないと、言ってた俺の方が先に、引き金を引いてしまってた。





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あきゅろす。
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