先生≠彼【完】
♯8
「あった…」
アームもハートも雨に濡れてしまってるけど、掌に載せた指輪は、雨上がりの空にきらきらっと輝いた。
「よ、かった〜」
握りしめたそれを、あたしは胸に押し当てる。もう絶対離さない。
「嵌めてやるよ。手出してごらん、千帆」
「う、うん…」
けいちゃんはあたしの指にリングを嵌めてから、首を傾げる。
「お前、さあ…」
「え?」
けいちゃんが次の言葉を紡ごうとした瞬間。
「あー、いたーっ、春日ぁ、大丈夫かあ」
「ちぃ。平気? もーう、心配したんだから」
口々に言いながら、酒井くんと七海が上の方から降りてきた。
「ごめん…」
ふたりとも探してくれてたんだ。懐かしい顔を見て安心した瞬間、くらっと目眩がした。
「春日っ」
けいちゃんがあたしの名前を呼んだと思ったら、二の腕を掴んで、ぐらついた身体を支えてくれる。
「せ、先生…っ。すみません、なんか頭ふわふわってして…」
「お前、すっげー熱あるんだよ、春日」
…熱? そういえば、さっきけいちゃん何か言い掛けてたなあ。手が熱い、って言いたかったんだ。さっきからぞくぞくする寒気は、雨に濡れてるからだと、思ってた。
「とりあえず、下まで歩けるか?」
あたしの背中に腕を回して支えてくれたまま、けいちゃんが聞く。
「は、はい…」
「酒井、先に下降りて、タクシー捕まえといて」
「え〜。逆でも、いいっすよ」
酒井くんの冗談は、けいちゃんにひと睨みされて、敢え無く散った。あたしと七海はくすくす笑ってしまう。けいちゃん、大人げないから。
タクシーであたしたちは近くの総合病院まで行く。とにかく着替えろ、ってけいちゃんに言われて、七海が売店で買ってきてくれた洋服に着替えた。
30分程待って、診察してもらった結果、あたしの体温は、40度一歩手前まで上がってて、肺炎になりかけてた――そうだ。
「あんな土砂降りの雨の中、傘も差さずに指輪探してりゃ、そうなるよ」
「…すみません」
「ちぃ、どうなっちゃうの?」
ずっと診察まで付き添ってくれた七海が心配そうに聞く。修学旅行中の生徒ということもあり、あたしは特別に入院措置を取って貰えることになった。
「これから、春日のお母さん迎えに来るから。一晩ここに泊まって、明日の朝の飛行機で先に帰れ、って」
「んだよお、明日でどっちみち最終日なのに」
酒井くんが口を尖らせる。
「…ふたりとも、ごめんね。先生も、迷惑掛けて…すみません」
ひとり個室のベッドに身を横たえて、あたしはこんな時間までついててくれた3人に謝る。ホントならとっくにホテル入って、ご飯食べたりしてる時間なのに。
「こういう時はお互い様だろ? 気にするなよ、春日」
「まあでも、酒井は何した、ってわけじゃないよね。あたしはちぃの着替え買ってきたりしたけど」
「そうだな」
「ちょっと、俺だって役に立ったでしょ? 春日の荷物、持ったじゃん。タクシー呼びに走ったじゃん。遠藤ちゃんがオイシイとこ、持って行きすぎなんだよ」
そんな会話をしていたら、学年主任の大田先生が看護婦さんと一緒に部屋に入ってきた。
「どうですか? 遠藤先生。彼女の容態は」
40代半ば、まだ独身の大田先生がメガネの奥の目を鋭く光らせながら、けいちゃんに聞く。古典の女の先生なんだけど、あたしこの先生苦手。冗談通じないし、カッチカチだから。
「ええ、とにかく熱が高いので、今夜ひとばんはここに入院してくださいとのことでした」
「そう…。春日さん、大丈夫…じゃないわよね。ホントに旅行中にこんなことになって…」
ふうっとついた溜息は、あたしだけのことを心配してるわけでもなさそうだったけど。
「それにしても…沖本さんとあなた、一体何があったの? 彼女は春日さんに頼まれた、って言ってるけど…」
苦々しく言いながら、大田先生があたしに聞く。あたしのカバンを彼女が持ち去ったことを言ってるらしい。そりゃそうか。スマホも財布も入った財布を預けてしまうなんて、普通だったら考えられない。
「え、と…」
「先生、それは春日の容態が良くなってからでいいのでは…」
言葉に詰まってるとけいちゃんが助け舟を出してくれた。
「そうね。家族の人には?」
「先ほど連絡入れて、母親がすぐにこちらに駆けつけると。羽田6時の便だそうです」
「じゃあ、それほど遅くならないうちにここに着けるわね。先生、それまで春日さんの傍についていてあげて、お母様に事情の説明お願いします」
「はい」
けいちゃんに指示を出して、大田先生は七海と酒井くんに向き直る。
「あなたたちは私と帰りましょう。付き添いご苦労様」
え〜、と七海と酒井くんはちょっと不満げにしてたけど。
「じゃな、春日。また学校でな」
「ちぃ、ムリしないでね」
小さく手を振りながら、七海と酒井くんが帰って、病室の引き戸が閉まる。個室の小さな部屋はけいちゃんとふたりきりになってしまった。
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