先生≠彼【完】
♯6
SIDE Keishi
急に暗くなった空から、大粒の雨が落ち始める。自由時間の終了を告げるみたいなその雨に、みんな慌てて戻ってきて、各クラスのバスに乗り込む。そんな人波の中に、酒井や木塚もいた。
「……?」
彼らの中にあるべき姿がないことに気づいて、木塚に声を掛けた。
「春日は?」
俺の質問の意味がわからないと言うように、木塚は首を傾げた。
「ちぃは先に戻ってるって1時間も前に別れましたけど…」
「戻ってねえよ」
慌てて名簿を確認する。戻ってきた生徒の名をチェックする各クラスの名簿。千帆のところは空欄だ。
木塚の顔色が蒼白になって、酒井は「俺、別れた場所行ってあいつ、探してくる」と雨の中を再び戻ろうとする。
浮足立った俺と彼らの様子に、本田先生が「どうしました?」と不審がった。
「単独行動した生徒がひとり、戻ってきてないんです。とっくに戻ってていいはずなのに」
「名前は?」
「春日千帆」
「先生のクラスの生徒ですね」
「ええ」
厄介事が起きたな…と、溜息をついた本田先生の横で、木塚がスマホを操作してる。恐らく千帆に掛けてるのだろう。しかし彼女の居場所を突き止めるはずの着信音は、何故か俺達のすぐ近くで鳴り響いた。
反射的に音のする方を振り返る。すると、自分の分の他にもうひとつバッグを手にした沖本が立ってた。
「沖本…?」
俺や木塚の不思議そうな視線に沖本は愉快げに口角を上げた。何か知ってる。そんな笑顔だった。
「それ、ちぃのバッグ。どうして沖本さんが…」
「春日さんから預かったの。大切なもの失くしちゃったから、探してから戻る、って。遠藤先生に伝えて欲しい、って伝言つきで」
千帆の手がかりが掴めたのだから、ほっとしていい場面なのに、持って回ったような沖本の言い方に増幅するのは不安だけだ。
大切な、もの…?
「春日は何処にいるんだ、沖本」
バッグにはスマホも財布も入ってる、これじゃ千帆は戻って来たくても戻って来れないじゃないか、悪意しか感じない。
「こっち来い」
怒りが教師としての領分を侵してく。彼女の腕を引いて、ひと目につかない駐車所の奥に移動した。
「春日は何処?」
「そんなに彼女が気になります?」
「…当たり前だろ」
千帆のバッグを俺の手に戻して、駐車場のコンクリの壁に手をついて、自分の身体と壁で挟むようにして沖本を見下ろした。
「先生…?」
「早く教えろよ」
彷徨った視線は結局足元に落ち、頬は赤く染まる。
「先生がキスしてくれたら言う…」
女の子らしい交換条件。けど、その取引を可愛いとはとても思えなくて。
千帆のためなら、何処までも残酷になれる自分を初めて知った。
「誰にも言うなよ」
秘密の共有なんて艶っぽいものじゃなくて、低い声で脅すように言う。さっきまで赤みをさしてた沖本の顔色が、一気に青ざめ、俺を見る目が怯えたものに変わった。
自分の前に立ってる男が、いつもの遠藤先生、じゃないことに気がついたんだろう。沖本の目が見開かれたまま、固まってる。
「目くらい閉じれば?」
彼女の下顎を掴んで、嘲りを含んだ声で言いながら、膝を屈めて腰を落として、自分の唇を彼女のそれに近づけようとする。強引に乱暴に。
「…や、やっぱりこんなのいやっ」
唇がぶつかる寸前で、沖本の手は俺の身体を突き飛ばした。
「先生、ひどい…っ」
「やれって言ったのお前だろ?」
「だ、ってこんなの…」
思ってたのと全然違う。沖本はぐずぐずと鼻を啜りだした。
「お前はさ、俺が好きなんじゃなくて、先生を好きな自分、に酔ってただけなんだよな」
「ちがうっ」
「違わねえよ。言っとくけど、教室での俺なんて、素の俺と全く違うからね」
「だったら、春日さんだって…」
「春日とお前、一緒にしないでくれる?」
アレルギーの症状全開。千帆がいちばん最初に見た俺は、いちばんカッコ悪い俺で。なのに、あいつは俺のこと、ずっと心配そうに見てた。マスクに花粉症眼鏡掛けた俺のことも、すぐに気がついた。千帆が見てるのは、上辺だけの俺じゃない。だから、好き。そこが好き。
「やっぱりデキてるんじゃん」
「お前には関係ない」
「春日さんと同じコト言う」
「あーもう、早くしろよ。あいつ何処」
駐車場にはもう生徒の殆どは戻ってきていた。集まってた先生たちに沖本から聞いた場所を伝え、千帆を迎えに行って、そのまま今夜の宿泊先のホテルに合流したいと申し出る。
「先生が行かなくても…」
学年主任の大田先生は、少し難色を示したけど、雨も強いし、早く行った方がいいと思うので…と強引に押し切った。
「先生、俺も行くっ」
「わたしも連れてってください。ちぃ、心配だから」
クラスのみんなに事情説明したら、酒井と木塚がそう言ってきて、結局3人でタクシーに乗り込んだ。沖本の言ってた坂の手前で、タクシーの運ちゃんは車を停める。この先は道が細くて入れないらしい。誰かを探してるなら、坂の上と下から回った方がいい、とアドバイスを受けて、俺はその場で降りて、酒井と木塚は坂の上で降ろしてもらうことにした。
雨は小止みになってきていたけれど、さっきまでの集中豪雨のせいで、階段に雨水が流れ落ちてくる。滑って歩きにくい石段を、足早に駆けると、雨雲に覆われて暗い空の下で、ずぶ濡れになってるのに、石段に這いつくばって、何かを探す千帆の姿があった。
「やっと見つけた」
下しか見てない千帆の真ん前に立って、上から声を掛けると、千帆はゆっくりと顔を上げた。
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