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先生≠彼【完】
#8

「昨日はすみませんでした、センセ」

急に頭を下げられて、戸惑った。千帆にも言ったけど、見逃そうと思えば見逃せた。それをしなかったのは、結局俺の嫉妬心、狭量のせいだ。素直に非を認められてしまうと、罪悪感が生まれる。


「女の子の部屋に行きたい気持ちはわかるけどな。消灯時間以後はやめとけ」

俺は適当に教師らしく酒井にアドバイスをする。そして、結局紅茶のボタンを押した。がたっと、大きな音を立てて、ペットボトルが落下する。その音に紛れて。


「センセはモテていいよね。恋愛で苦労なんかしたことなさそう」

酒井は何を思ったか、俺にそんなことを言って来た。


「苦労の種類も受け止め方も人それぞれだろ? 俺だって人並みに苦労してるよ」

現に今受難の真っ最中だし。


「なんか、あったのか?」

聞いてほしそうな前ふりをしてきた酒井に尋ねる。酒井は、少し目を泳がせた。脳みそと口が直結して、思ったこと全部そのまま吐き出す彼には、珍しい仕草に見えた。


「センセの周りって、いっつも女の子いるでしょ? あの中の子…好きになったりしないの?」
「ないない。だって、あれ本気じゃないし」

制服着てる間しか見えない幻覚みたいなモノだよなあ。教師への憧れなんて。


「そうなの? 例えば、例えば、カノジョいる子好きになったりとか、しないの? 好きになっちゃいけない相手とか」

全然例えになってないような気がするのは、俺だけだろうか…。お前、今、特定の女子の顔浮かべてないか?


「敢えて、そういう相手を選ぼうとは思わないけど、好きになっちゃったんなら仕方ないんじゃないの?」
「そうだよね、仕方ないよね。無理やり感情押し込めるのも良くないし、カレシ以外にもいい男いるかもよ、ってアピールするくらいは、したっていいよな?」

俺の答えは、酒井の求めてるものだったらしい。目を炯々と輝かせて、拡大解釈を語りだす。めちゃくちゃ墓穴ほったな…。俺が後悔の溜息をついてるのなんて、お構いなしだ。


「あ、何の話かわからないですよね。すみません」

いや、よくわかる。言えないから黙ってるけど。


「俺の好きな子、カレシいるんですよ。俺、そういう無理めの女の子は、はなから対象外だったんだけど。どうしても気になって」
「ふーん」

無理無理、絶対無理。悪いこと言わないから諦めとけ。…って酒井に言うのを我慢するために、俺はペットボトルの紅茶を飲んだ。これがまた、激甘。


「でもあいつの好きな人って、センセのような気がするんですよねえ」

酒井の台詞に、俺はその甘ったるい紅茶飲料を噴きそうになった。


「何で? つか、誰の話?」
「教えませんよ、匿名希望」

ここまで語っておいて、酒井は彼女の名前は暴露しない。


「あいつ自分からは寄って行かないけど、いっつも見てるもん。センセのこと。俺、頭悪いけど、勘はいいんですよ」

そんな勘磨いてねえで、勉強しろよ、受験生。


「穿ち過ぎじゃねえの?」
「でも一度もカレシの話聞いたことないし。エア彼なんじゃねえの?って。金谷とかも、俺に吹きこむし。ま、そういうとこで見栄張るタイプにも嘘つくタイプにも見えねえんだけど」

…千帆のことよく見てるし、よくわかってる。ただ。そこで言えない事情があるのかも、と相手の立場を慮ったりしない真っ直ぐなとこが酒井らしい。


「どっちみちその彼、今回の旅行に来てないから、チャンスなんだよね、俺にとって」
「?」
「自由行動の日、あいつ誕生日らしいから。――センセ、言ったよね? 生徒は対象外だ、って」

ぞくっとするような凄みのある笑顔で、酒井は俺に念を押す。


「…ああ」

今更春日千帆だけは、特別だなんて言えるわけもない。俺は、気圧されたまま頷かされた。


「じゃ、センセ。玉砕すると思うけど、俺の健闘祈ってて」

告白でもする、ってか。恋敵に応援頼んでどうすんだコイツ。千帆が揺らぐなんてことは、微塵も思っちゃいないけど、俺の足元がふわふわと頼りない。それはきっと…。


「…ガンバレ」
「うわ、今、めっちゃ棒読みだったよね、もうちょっと心込めてよ」
「何で、俺が」
「可愛い生徒の恋路が気にならないの?」

なるよ、別の意味で。


「自分の気持ちを押し通すのはいいけどさ、酒井。春日の立場も考えてから動けよ。言葉って、銃と一緒だから。一旦放っちゃったらもう、戻せない。春日はお前のこと、間違いなく友達としては好きだろうから、マジで告白なんてされたら、きっと戸惑う」

牽制なのか、アドバイスなのか、自分でもわからなかった。千帆がコイツを嫌いじゃないのは、事実だ。あんだけ俺が言ったのに、一定以上の距離を置かないのは、酒井自身が付きまとってるのもあるだろうけど、千帆も酒井に好意があるからなんだろう。恋愛感情とは別の。


「…わかった」

何がわかったのか、何処までわかったのか、酒井は神妙な面持ちで頷いた。


「俺さあ、こんなキャラでしょ? 友達に恋愛相談するタイプでもないから、人とこういう話、すんの初めてなんだ」
「ああ…」
「だからありがと、遠藤ちゃん。もう1回作戦練ってみる」

作戦? 酒井の言葉は導火線に火をつけないまま投下された爆弾みたいだ。危険で迂闊に取り出せない。


ばかで単純で、真っ直ぐで嘘がない。あいつだったら、千帆はもっと…。

後ろ向きな想像しそうになって、慌てて打ち消した。歴史にIFはない。起きてしまった史実に対して、もしこの時…なんて想定は、ナンセンス以外の何物でもないとされてる。恋も、同じだ。


もしも千帆が酒井と先に出会ってたら? その方が千帆は千帆らしく恋出来たんだろうか…。まだ残ってる紅茶ごと、俺はその想像をゴミ箱に叩き込んだ。





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あきゅろす。
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