先生≠彼【完】
♯7
何処をどう歩いたかは覚えてない。ひどく時間が掛かったから、随分遠回りしてたのかも。
やっと、家の屋根が見えた。
「千帆、お帰りなさ…」
「おかあさぁぁぁん」
ドアが開いて、お母さんがいつもと同じようにあたしを出迎えてくれる。その肩にしがみついて、あたしはまたも子どもみたいに泣きだした。今日、あたし、泣いてばっかり。
「どうしたの? 千帆。試験ダメだった?」
「ううん、ううん。受かってた」
肌身離さず抱えてた封筒を見せると、お母さんはますます訳がわからない顔になる。
「じゃあ、どうしたの? そんなに泣いて。とりあえず、上がりなさい」
「けいちゃんが…」
泣きじゃくりながら、あたしは靴を脱いで、リビングのラグにペタンと座り込む。
「慧史くんがどうしたの?」
「けいちゃん、クビになっちゃうかもしれない。あたしのせいで」
「どういうこと?」
パニック寸前のあたしに、お母さんは優しく問い質す。学校を出るまでのことを、あたしは嗚咽混じりに話し始めた。
校長先生は小首を傾げながら、あたしとけいちゃんに近づいてきた。
けいちゃんの手は、あたしの身体に回ってなかったけど、あたしは完全にけいちゃんに抱きついた形になっちゃってた。教師と生徒の校内でのラブシーン。訝しく思うのは当然だ。
「ち、違うんですっ。これは、あたしが…っ、合格したのが嬉しくて、感極まっちゃって、遠藤先生に抱きついちゃっただけで」
質問をされる前から、あたしはけいちゃんから離れて言う。もう、あと3日。次に来るのは卒業式だけ。今、この場だけ誤魔化せば。あたしは、それしか考えてなかった。
「春日、黙って」
あたしの最後の嘘を退けて、けいちゃんはあたしに噛んで含めるように言う。
「春日はもう、帰ってなさい。――校長、このことで校長に言わなくてはいけないことがあります」
「何かな」
「先生っ」
「いいから、お前は帰ってて。どうせ、言うつもりだったから、大丈夫」
けいちゃんはあたしの肩を背後に押しやって、こっそり言ってにこっと笑う。柔らかいけど、有無をいわさない顔。
「せ、んせ…」
「合格おめでとう。家族の人にもよろしくな」
そう言って、けいちゃんはあたしに背中を向ける。最後まで、けいちゃんは先生の態度だった。
また、あたしだけ守られて、安全なところに逃がされてしまった…。
「…そういうこと…」
真剣な顔であたしの話を聞いてたお母さんは、話終えると一言だけそう呟いた。
「あたし、ほんとばか…」
悔やんでも悔やみきれない。どうしよう、けいちゃんが何らかの処分、受けるようなことになったら。
「大丈夫よ、千帆も慧史くんも何も悪いことしてないんだから。とりあえず、あったかいココア淹れてあげる。それ飲みなさい」
「そんな気分じゃ…」
「貴女指先まで冷え切ってるわよ。女の子は、身体冷やしちゃいけないんだから」
5分くらいして、お母さんはマグをあたしの前に置いてくれた。チョコレート色の飲み物から、ほかほかと湯気が立ってる。
「あつっ」
そうだった、お母さんのココアって、牛乳をあっためて作るから、けいちゃんが作るコーヒーより遥かに熱いんだった。
口で息を吹きかけて、もう一度飲む。甘くてあったかい液体が身体の中に流し込まれると、心まで暖められた気がした。
「美味しい…」
「良かった。改めて千帆、合格おめでとう」
お母さんはあたしに微笑む。
「…うん」
でも、その喜びを一瞬でかき消すようなこと、自分でしてきちゃった。けいちゃん、今頃どうしてる? なんて、弁解してる? 校長先生に怒られたり、処分を受けたりするようなことはないのかな。
誰も注目してないワイドショーが、リビングのテレビに写ってる。芸能人の熱愛報道に、コメンテーターの感想。あたしには必要ない情報が無為に流れてるさなか、突然電話が鳴り響いた。お母さんが手を伸ばして、受話器を取る。あたしもすぐに電話機の傍に駆け寄った。
「…はい、春日です」
受話器の向こう側の人に名乗ってから、お母さんは通話口をおさえて、あたしに小声で言った。
「――学校からよ、千帆」
「あたし、出るっ」
受話器を奪おうとしたのに、お母さんは首を振った。
「お母さんと話がしたいみたい」
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