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A
ミツバが目覚めた時、隣に温もりは無かった。


一瞬胸が締め付けられたが、覚醒した耳がシャワーの水音を捕えて安心する。



ゆっくりとベッドから上半身を起こすと、何も身につけておらず慌ててシーツをかぶった。
見渡すと、昨日着ていたバスローブが手の届かない場所まで飛ばされていた。


それほど、昨日の土方は積極的で貪欲だった。痛くはされなかったが、あの求め方は何かあるとしか考えられない。
昨日感じた頭の片隅にある黒い靄が、更に広がった気がした。



頭を振ってそれを払拭し、とにかく土方が出てくる前に何か着なければと辺りを見回す。
彼女の手の届く範囲にあるものは、白いシーツに無造作に放り出されている土方の黒い上着だけだった。


取り敢えず借りようとミツバにとっては大きめのそれを羽織ると、内ポケットから紙が一枚落ちた。







土方がシャワーを終えて戻ると、ミツバがベッドの上で座っていた。
ただ座っているだけではない。
借りた土方の上着の裾を握り締めて背中を丸め、俯いている。


嗚呼、知られてしまったか、と即座に思った。




「…ミツバ」



放心していた彼女に声をかけると、ハッと引かれたように土方の方を向いた。何も言わず、そのままベッドの端に腰掛ける。



「…十四郎さん、これ…」




震え声のミツバが持っているのは、たった一枚の紙。だが土方に、ミツバにとってその一重は大きすぎた。




「…ああ、そこに書いてあるとおりだ」


「ご、ごめんなさい…勝手に見ちゃって…」



言うべきことが違っているのはミツバ自身が一番分かっていた。
だが、動揺を隠すために出す台詞をいちいち考えてはいられない。


土方の上着の内ポケットに入っていた紙。それは、土方の移動を指示する本部からの指令だった。
移動とはいえ左遷ではない。むしろ、本庁に来いといった警官としてはこの上ない知らせのはずなのだ。この街が、東京のはるか西に位置していなければ。




「本部長の松平って男がいてな…そいつ…その人が近藤さんの知り合いで、俺を引き抜きたいって言ったらしい」



土方の警官としての職務と実績は確かに素晴らしいものだ。
この街では起こりえない犯罪を食い止める砦として、東京へ出るのは警察組織としても土方としてもいいことには違いない。



そうミツバは混乱する頭の片隅の冷静さを失っていない所で考えていた。しかし、その冷静さゆえにその延長にあるものにもすぐに気付くことが出来た。
東京に出たら、優秀な土方は再び戻されることなくずっとその場に留まるであろうことに。




「近藤さんの顔を潰すわけにはいかねぇから…行くことに、なるな…」




行かないという選択肢は無いことは、ミツバも分かっていた。
土方が行きたくないと言えば、近藤が何とかその松平というお偉いさんを説得するだろう。そうなれば、どんなに上手く説得しても近藤の沽券に関わることになる。




「…お前は…」




ミツバに背を向けたまま、呟くように土方は言う。




「お前は…どうする?」




急にミツバは、自分が荒れ狂う海の真ん中に放り出されたような感覚がした。


ただ一人で身動きがとれず、海底に沈んで行く。暗く冷たいそこには何もなく、孤独だった。




「わ…私…は…」




そんなミツバに、捕まれと言って泡とともに海底に手を差し伸べる腕が二本。


片方は土方のもの。
『ミツバ、捕まれ!』と言っているのが分かる。愛しい男のその腕に、手を伸ばしかけた矢先。




もう一方から、声がする。







『姉上!捕まってくだせェ!』








「私は…そーちゃんを一人にできない…」



今までずっと、二人三脚で生きてきた。その紐を解くのは、今更できることではない。



その答えを聞いて、土方は息を吐いた。ため息ではない。予想していたとおりだった、といったものだった。




「お前ならそう言うと思ったぜ」


「ごめんなさい…私…十四郎さんが…でも、でも…」



起きたばかりで上手く回らない頭を抱えて、ミツバは涙を流す。
土方があんなに積極的だったのは、このことを見越していたのだ。ミツバが弟を選ぶであろうことを、予期していたのだ。


離れてしまうことを、知っていたのだ。




「泣くな…すぐに行くってわけじゃねえ、来月の頭だからまだ一ヶ月ある」


「来月の…頭…?」



もう、一ヶ月しかない。



「それまでに心の準備しとけよ。まあ大丈夫だ、お前には総悟も近藤さんもいる。俺がいなくても、やっていける」



弟がいて、近藤がいる。
それはミツバにとって日常だった。
だが、その日常から土方という日常以上のものが切り取られて残ったものは、日常から何に変わるのか。



涙腺が緩んだように、しかし静かに流れるミツバの涙は、やがて土方の上着を濡らした。















「おう、おはよう、トシ」




その後、出勤した土方を出迎えたのは近藤だった。


いつもならばこの無防備なところに沖田の挨拶という名の奇襲が入るところなのだが、今日に至ってはそれがない。




移動のことを知らせ、二人きりで話がしたいからと姉を呼んでもらい、あまつさえお持ち帰りまでしてしまったのに、だ。
いや、だから、か。



「ミツバ殿と、話はできたか?」


「ああ…やっぱり、ここに残るってよ」



そう言った土方の表情は、笑ってはいたがどこか哀しそうで。
口では平然としているが、やはり一縷の望みはあったのだろう。一緒に行く、と言ってくれることを。




「…いいのか?トシ…」


「ああ。こればっかりはアイツが決めることだ。俺がとやかく言えることじゃねぇ」



土方とミツバが恋仲になって数年。
それを近くで見てきた近藤にとって、今回の移動はいたたまれなかった。



何とか二人を引き裂くまいと松平の本部長に直談判しようとしたが、土方にそれを止められた。
上の命令を無視できない縦社会の警察組織だからこそ、近藤の面子を潰したくなかったのだろう。



「それで…ミツバ殿との関係はどうするんだ」


「…ああ、遠距離になっちまうな」


「トシ、アレは…」


「ああ悪いな、付き合わせちまったのによ」




立ち話もここまでだ、と言うように土方は足を進め、話し足りない近藤も仕方なくその後に続く。



そんな二人の会話を物陰から聞いていた人影がいたことは、二人とも気付かなかった。













(お別れフラグでした。ミツバさんの葛藤をもっとうまく書けるようになりたい…)

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あきゅろす。
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