結婚しようよ、ベイビー
なんとなくついてない日だった。
総悟の馬鹿は朝っぱらから寝こけて会議をサボるし近藤さんは相変わらず追っかけだった。回収しに行ったらあのゴリラ女に何故だか俺も殺られそうになるし山崎のバカは今日もミントンで使い物にならなかった。おまけに上からは小言をもらうし隊士たちは沖田死ねコノヤローとの仕事で始末書を増やすばかりで、ついでに今吸った煙草が最後の一本だった。…ストックはない。定時をぐるっと一回り以上過ぎても減ることのない書類に止まらないため息を吐いて、それから机の上整理を始めた。どうせ今日は捗りそうにない。綺麗に積み重ねたそれらを確認して部屋をあとにした。
刺すような、冷え切った空気にふるりと身震いした。風はずいぶん冷たくなったし驚くほど日は短い。電灯の明かりをぼんやり眺めて歩き出した。
(帰りたくないな)
なんとなく思った。今日も今日とて、家に着いたらあの小煩い男と顔を合わさなければならない。
(高杉はいいけど…)
なにかとこちらの肩を持ってくれる片目を思って、それからほんの少し憂鬱になる。だって、今日は、
(……坂田、いねぇんだよな…)
どこぞの山奥での仕事らしい、昨日から泊まりで働きに出向いている彼は深夜の帰宅になるのだと告げて行った。仕事があるのは良いことだ。万年金欠では流石にいただけない。給料などろくに貰ったことがないのだと、チャイナ娘は愚痴ていた。せめて依頼があるときぐらい真面目にしてもらわなければと思う。
ただ、それでも、
彼がいない家に帰っても意味がない。
足は自然と、慣れた帰り道を避けていた。
最近は、特に忙しかった。別段変わりはないのだがなにかと諸用が増えていて、すれ違いとまではいかないが、それでも一緒にいられる時間が少なかった。仕事疲れも相俟ってなんだかあまり覚えていない。最後にあのやわらかな銀色に触れたのはいつだったろう。胸の奥がぎゅうっと締め付けられて苦い息をはいた。仕事、頑張っているのだろうか。怪我はしていない?それから、それから、…はやく、帰ってこないかな。……少しは俺のこと、思い出してくれてるかな。
あぁ、
あまりの女々しさに情けなくなった。思わず足が止まって地面を睨み付ける。女子供じゃあるまいし、自分は何を考えているんだ。みっともない、恥ずかしい。じわりと視界がぼやけたが気のせいにした。こんなことではあの家に帰ったら思いやられる。ごまかすようにきつく目を瞑って大きく息を吐き出し顔をあげた。あの角を曲がって家に帰ろう。ぐるりと回れば良い時間潰しになるはずだ。何か適当に食事を済ませて早く風呂に入って、それから少し、待ってみよう。もしかしたら万事屋じゃなくてこっちに帰ってくるかもしれない。少しなら話ができるかもしれない。会いたいな、会えるかな………なんて。
見慣れた影が壁からゆらりと動いてこちらを向いたものだから、俺はまた自分に都合の良い夢を見ているんじゃないかって疑ったんだった。
「おつかれさん」
穏やかに白は歩み寄った。
(なんで、どうして、)
だって遅くなるって言った。深夜の帰りだって。間違えた?いや坂田の言葉を聞き間違えるはずがない。あのとき、確かに、
「なんか思ったより仕事早く終わってさー」
へらりと笑うそれは俺が大好きなそれで、
「なんかな、お前が通る気がしたの、こっち」
やわらかく弧を描いた目元は俺が求めていたそれで、
「当たりだった、ははっ」
甘ったるい声は今一番俺が聞きたかったそれだったから、
「……おまえも、おかえり」
一言紡ぎ出すのが精一杯だった。
みっともなく立ち止まったり呆けてしまったり、でも坂田はそんなこと一切気にしないようで当たり前のように隣に並んで歩き出した。それがあまりにも自然な仕草だったから忘れかけていた目許がまたじわりと滲んだ。
「俺さ、ほんとお前に会いたかったんだよね」
ふわりと笑う男にどうしようもなく胸が騒いで、なんだかこの寒空の下、このまま二人で歩いていたいと思った。
「……おれも、」
先程からすんすんと、泣いているのを知られたくなくて。
寒い寒いと秋風のせいにした。
なんでかアンタは俺が欲しいものを知っていてそれをいつも惜しみなく与えてくれるものだから、やっぱり俺にはアンタしかいないんだって、毎度毎度、センチメンタルってやつになる。…愛してるんだ。
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寒空の下、秘めた告白。
20091116
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